要求と情報

コミュニケーションの3つ目は「要求」です。ドラッカーはここで新聞の例を出しています。新聞では紙面の余白を埋めるために、ニュースにならない些事を2,3行にまとめて、埋め草を使うことがありますが、かえってこの埋め草の記事のほうがよく読まれ、よく記憶されることが多くあります。それはなぜなのでしょうか。ドラッカーは「それらの豆記事が何も要求しないからである。読者の関心と関係がないからである」と言っています。

 

コミュニケーションは受け手に何かを要求します。受け手に何かなること、何かをすること、何かを信じることを要求する。それは常に何かをしたいという受け手の気持ちに訴えようとします。そして、それが受け手の価値観、欲求、目的に合致するとき強力となるのです。逆にそれらのものに合致しない時、まったく受け付けられないか抵抗されるのです。しかし、それらのものに合致しない時でも、コミュニケーションが力を発揮したときには受け手の心を転向させることができるといいます。それは受け手の信念、価値観、性格、欲求までも変えるというのです。しかし、そのようなケースは、人の存在に関わる問題であり、まれであるのです。人の心は、そのような変化に対し、激しく抵抗するというのです。

 

以前、研修の中で、なにかを変えるときに進むベクトルよりも戻るベクトルのほうが強くなり、保育においても変化を起こし続けるのが難しいことがよくあるということが言われていました。大きく人の価値観を変えるのはなかなか難しいことです。そして、一度ついて価値観というのを拭い去るのも難しいのかもしれません。そのため、マネジメントは相手の価値観や欲求、目的を分析し、うまくコミュニケーションを図っていかなければいけないのです。相手を知るための共感や傾聴する力というのはとても重要になってきます。

 

最後の原理は④「コミュニケーションは情報ではない」ということです。ドラッカーはコミュニケーションと情報は別物であると言っています。しかし、その関係は依存関係でもあると言っています。コミュニケーションは近くの対象であり、情報は論理の対象というのです。情報は形式であり、それ自体に意味はない。情報には人間はいなく、人間的な要素はない。情報はむしろ、感情、価値、期待、知覚といった人間的な属性を除去するほど、有効となり、信頼度も高まるのです。しかし、情報はコミュニケーションを前提とすると言います。情報と記号であり、情報の受け手が記号の意味を知らなければ、情報は受け取られることもないのです。情報を発信する送り手と受け手との間に、あらかじめ何らかの了解、コミュニケーションが存在しなければならないのです。

 

確かに情報を流れてきたとしても、それにどういった意味があるかわからなければ理解することはできません。暗号ばかり送られても暗号解読できなければ、その情報に意味はないのです。そのため、コミュニケーションにとって重要なことは、情報ではなく、知覚することだとドラッカーは言うのです。

どうも「コミュニケーションをとらなければいけない」という話になったときに、人は発信するほうにばかり目がいってしまいがちです。しかし、コミュニケーションというのは相手があってこそなのです。当たり前のことですが、ですが実際のところ受け手の期待を察知し、対応していくことが難しくもあるように思います。ドラッカーのコミュニケーションの原則は非常にシンプルなところを冷静に取り出しているように思います。受け手の意識を察知し、知覚できるように、要求や期待に応えるそういったところにコミュニケーションの大切な部分があるのですね。