9月2022

脳と社会

人間は言語を利用し、コミュニケーションを効率よく行っていくことによって、ネアンデルタール人と比べ、社会や集団を形成し、様々なトラブルを避けることや、協働できるなどができるようになり、生き抜いていくことにつながっていきました。つまりは社会形成を行うことができたことが人間の生存戦略において非常に重要な意味あいがあったといえるのです。しかし、このような社会行動自体は生物界にも多く見られます。人間の特徴はこの社会形成は他の生物よりも群を抜いて、複雑で大きいものでした。そのうえ、文化を生みだし、知識を伝え、家族を越えたグループ間で分業や経済活動を行い、さらに政治や宗教などの社会制度まで作り出していったように、質においても他の生物とは大きく違っているのです。人間の本質的な特徴というのはこういった社会形成にあるのは間違いないでしょう。しかし、これはある問題を生み出します。

 

人間の特徴が社会であるということは、逆に問題も社会的なものであることが多いのです。たとえば、会社や学校などの社会組織をどう維持していくのか、家庭内問題やいじめ、戦争や差別なども社会的な問題から生まれているとも言えます。それほど、ヒトの生活において「社会」というのは重要であることが分かります。

 

この社会形成において、今の世の中を考えてみると、どんどん人は社会とは離れていっているように感じるのです。また、子育てにおいてはなおの事、その様相は非常に大きな影響となっているように思います。核家族が多くなり、家庭には子どもが一人しかおらず、母子と一対一で見ることになるといったような社会の印象というのは今の時代でも根強くあります。「子どもは母親がみるもの」という意識はこれまでの社会の形成といったことを考えると非常に危険な環境であるようにも思います。

 

社会を形成するために人は脳を大きくし、コミュニケーションを取れるようにカスタマイズしたにもかかわらず、今その唯一無二の能力を捨てようとしています。果たしてこのことが何を示しているのか。それと共に、教育や保育においても、子どもたちの生きる環境というものはどうあるべきなのか、どうやら、このことに関して教育や保育と脳というのは大きく関係しているのだろうと思います。

 

保育という仕事はそれだけ、多岐にわたる学問に通じているのだと改めて感じます。

言葉を介したコミュニケーション

人の脳は進化の過程で大きくなってきましたが、なぜ、エネルギー消費の大きな脳を持つ必要があったのでしょうか。このことには諸説ありますが、20万年前から10万年前にかけて現生人類のルーツとされるネアンデルタール人がアフリカに出現しました。その後、10万年前に現生人類の祖先であるホモ・サピエンスが出現し、ネアンデルタール人としばらくは共存することになります。その後、ネアンデルタール人は3万年前に絶滅。ホモ・サピエンスは6万年前からアフリカを離れ、グレートジャーニーといわれるたびに出て、5万年前ごろには世界に広がっていきます。日本に到着したのは3万8000年前と推定されています。4万年前から1万年前には、現生ヨーロッパ人の祖先とされるホモ・サピエンス種のクロマニヨン人が現われ、言葉など多くの文化を創り出しながら現在に至ります。

 

ネアンデルタール人とホモサピエンスとの交配はなかったようです。しかし、ネアンデルタール人は現在のヒトに比べると脳波100㏄も大きい平均1520㏄の脳を持っていたそうです。そして、それだけ大きな脳を必要としたのは、高度の狩猟技術を生かした肉食中心の食生活をしながら、不自由な仲間を助けるなど、仲間を気遣い、食物を分け合い、火を用いて調理するなど、多くの仲間と協力し、共同で生活するために、高度な社会性を必要としていたからではないかと紹介しています。

 

ではなぜ、それほど大きな脳を持っており、共同するくらい社会性もあったネアンデルタール人であるにもかかわらず、絶滅してしまったのでしょうか。諸説ありますが、門脇氏はこのことに対して、言葉のコミュニケーション能力が不足していたからではないかといっています。そして、このちょっとした差によって絶滅したというのです。

 

「心の先史時代」を著した考古学者瑞マンはヒトの脳の知識には➀博物的知能:道具やシンボルを用いる能力 ②技術的知能:仲間の行動や心の動きを解釈し理解する能力 ③社会的知能 といった3つのモジュールがあり、状況に応じて、瞬時に作動し、適切に行動し、問題を解決できるようになるといっています。そのため、情報処理装置ともいえる脳が、それぞれの部位をいかに連結させ迅速に作動させるかが生き抜いていくためには必要になってきます。そして、それらを効率よく使うことでコトバが使えるようになります。ネアンデルタール人はこういった能力差が厳しい環境を生き抜いてく中で問題となり、絶滅に至ったのです。

 

裏を返せば、血縁者であれ、仲間であれ、社会や集団を形成し、食料の確保や性交渉などに伴うトラブルを回避し、協働を持続するための意思疎通をしっかり行うためには、コミュニケーション能力は決定的に重要なのです。結果、言葉の常習化、文化の学習、社会組織の拡張、社会性の洗練(高度化)、社会脳の性能アップといった生存を支える循環が人の進化を支えてきたといえると門脇氏は言います。

 

言葉の発達というのはヒトの生存戦略に大きな影響を与えたのですね。それは逆に捉えると、言葉を使ったコミュニケーションが人間の一番の特徴とも言えます。今の時代はどうでしょうか。高度でよりグローバルになった世の中において、こういったコミュニケーションはどれほど起きているのでしょうか。特に最近は新型コロナウィルス感染症による人との接触が制限されたことは人に大きな影響を与えることになったかもしれません。事実、最近、園に入園してくる子ども多くが言葉に何らかの問題を抱えている子どもが多いように思います。このことを考えると、特に人と関わることというのはなによりもの教育になるのかもしれませんね。

脳の発達と実体験

門脇氏の話の内容は非常に考えさせられるものがあります。社会力というのは今の日本の世の中に対しては非常に問題となる内容であると私は思っています。特に勉強や学習によって得ることが出来る認知的な能力ではないだけに、体験や経験といったものがいかに重要なのかということが分かりますし、このことにおいて乳幼児教育はどうあるべきなのか、どのような活動を経験や体験できるように環境を整えていかなければいけないのかが問われているように思います。

 

また、こういった非認知能力を得ることに対しては、脳が大きく影響しています。これまでも森口氏の本にもあったように脳とスキルというのは密接にかかわっています。そして、その脳の大きさは現在の人間も太古の昔に生きた人間においても、それほど大きくは変わっていないそうです。こういったことを踏まえあらためて、門脇氏の内容から脳の仕組みについて見ていこうと思います。

 

そもそも、ヒトの脳はゾウやキリンなどの大きな動物に比べても大きいということが知られています。特に新皮質に関してはさらに大きいことが知られています。また、面白いのは脳はヒトの体重2%ほどの容量しかないにも関わらず、エネルギーの基礎代謝量にすると20%も消費するといわれています。成長期の子どもでは40%~85%ものエネルギーを消費するといわれています。また、ヒトの脳は思春期の15、6歳ころまでに成人と同じ大きさになります。このように体の成長以上に脳の成長にエネルギーを割いているのも人間の特徴といえます。

 

また、ヒトの脳は約一千億個の神経細胞(ニューロン)から出来ていて、その数は生まれたばかりの赤ちゃんが最も多いといわれています。そして、このニューロンはシナプスといわれる神経線維によって繋がれています。この神経線維は脳を使う回数、つまり実体験がおおくなるほど、増えるといわれています。逆に、使われない神経細胞は消去されます。これが刈り込みです。そのため、脳の働きのよしあしは、神経細胞の数ではなく、どれだけ多くの神経線維が脳に張り巡らされ、脳のそれぞれの部位をつないで情報交換しているかということによって決まるのです。そして、門脇氏は脳の機能をよくするために、生まれた直後からどのような人間環境の中で、どれほど多くの実体験を重ねるかが重要といっているのです。

 

これは乳児期から入園した子どもたちと幼児期から入園してきた子どもたちの様子からもうかがえるように思います。最近ではコロナのために家庭で隔離され、社会から断絶状態になっている現在ではその弊害というのはより顕著に出ているように思います。というのも、コロナ禍で入ってきた子どもたちは多くが言葉の発達が遅れているということが自分の園を見ていても見えてくるのです。これは脳の実体験の差であるのではないかと感じることは多くあります。

社会力の定義

門脇氏は「社会力」と「社会性」は違う内容だといっています。アメリカにおいても「Social Competence」としてあるらしく、この概念は門脇氏が考える社会力と非常に近い認識であるようです。そして、その定義ですが「社会力とは、社会的、情動的、認知的、行動的な側面を持つ多義的で複雑な概念である」とされています。そして、それらの能力を10個にまとめています。

 

①その場その場で相手がどういう気持ちや意図をもって自分の目の前にいるかを正確に察知できる能力 ②誰かと相互行為しているときに刻々と変化する状況に適切に対応できる能力 ③自分の感情をコントロールできる能力 ④過去の経験から学ぶ能力 ⑤学んだことを活用して困難な状況を乗り切っていける能力 ⑥会話能力 ➆先を見通す能力 ➇自己有能感 ⑨社会に前向きに対応できる行動力 ⑩社会に適応するための知識 といったものです。つまりは、社会で生活していくうえで出会う様々な人たちと適切に関わるうえで必要な能力であるといった内容です。そして、門脇氏はこれらの能力を大きく2つにくくっています。

 

一つは友好的であるとか、協力的であるとか、援助的であるといった向社会的能力。二つ目の側面は腹立ちを抑えるとか、交渉力があるとか、問題解決能力であるといった調整能力といったものです。

 

こういった力が欠けていると他人と友好的になれず、攻撃的になったり、他者との相互行為を持続することが難しくなったり、知覚面においても、状況を適切に把握できないといったことや他人の言葉や行動の意味だけでなく、相手の顔や表情や身体の動きが何を意味しているかを正確に読むのが難しくなり、他者との付き合いや相互行為に支障をきたすことになるのというのです。

 

この内容を見たときに私は「非認知能力に近い」と感じました。感情のコントロールや向社会力といったのは実行機能を指しています。つまり、今保育の中で言われている必要な力というのと同じことが言えるのです。社会力に関しては、非認知能力をより社会的活動に落とし込んだ考え方であると考えられます。そして、それと同時にそれだけ今の世の中で、人と関わる力というものが様々な分野から警告を鳴らされているのかということも見えてきます。子どものみならず、大人自体にこういった力が備わっていないというのは非常に危険なことであるように思います。そして、なによりそういったことに自覚していないということはより深く意識していかなければいけないことであるようにも思います。

 

今自分たちがいる社会がどういった状況にあり、何を変化させていかなければいけないのか、特に教育に関わるものは社会をつくる仕事でもあると思います。こういった本質的な内容を受けて、これからの教育・保育に向き合う必要が社会を変化に貢献していくことになるのだろうと改めて考えさせられます。

思いやりと社会力

昨今でも、色々な事件が起きています。あおり運転、無差別な殺人、衝動的な事件など、これまでなかったかのような問題がたびたびニュースに取り上げられ、ずいぶんと物騒な時代だなと感じることが多くあります。その中で、門脇氏はアメリカのハーバード大学のある研究を紹介していました。

 

ハーバード大学のパットナム教授はアメリカ50州全部について、その週の社会関係資本の豊かさによって、それぞれの州の地区の福祉水準や子どもたちの教育レベルや非行や犯罪率に大きな差があることを示しました。(「孤独なボウリング」柴内康文訳 柏書房)これは、社会関係資本つまりは住民の人的ネットワークが強いと ①福祉水準が高く ②子どもの成績もよく ③犯罪や非行は少ない ということが言えるというのです。地域の中で生活する住民のつながりがしっかりしているほど、子どもだけでなく、大人たちにとっても住みやすい地域になるということが言えるようです。そして、つながりが強いということはその地域に住む住民一人ひとりの社会力が高いということが言えるのです。住民の社会力がしっかり育っているからこそ、地域の人間関係が濃密になるのです。

 

このことをはじめの今起きているニュースの話題に戻すと社会力というものが関係しているのかもしれません。社会力が育っていないと様々なところで不都合が起きると門脇氏は言っています。まず、個人的には他の人といい人間関係が作れなくなります。つまりは仲良くなれないということです。会話が無くなり、共に活動することが出来なくなります。他の人を深く理解することもできなくなりますし、自分のことを理解してもらうことも難しくなります。当然、相手への愛着や信頼感を持つことも困難になってきます。これは現在起きている引きこもりの原因でもあると門脇氏は言います。引きこもりは現在社会において非常に大きな問題です。

また、社会力が乏しい人が多くなると、他の人に無関心になり、他の人を疎ましく感じるようになります。さらに、お互い相手を疑ったり、警戒したり、危害を加えてもなんとも思わなくなるといいます。これが冒頭で話していた内容です。今起きている事件やニュースであったり、ひいては世界で起きているポピュリズムであったり、無差別テロや貧富の格差などもこの社会力が影響しているといっています。そのため、門脇氏は個人と個人の間の関係を良くし、他の人の事であっても自分の事のように思ったり考えたりできるような社会力のある人を育てていかなければいけないといっています。

 

いくら時代は進み、様々なものが開発されて便利な世の中になったとしても、人が生きていく社会において、この社会力といった力は重要になってきます。保育においても、この「相手を思ったり考える」ということを「思いやり」といい、その力を育てることを大切にしていることが多くあります。その力は門脇氏の言葉を借りると「社会力」言えるのですね。