やりがいを生む

東京新聞Webに「クレーマーだったはずなのに・・世田谷区の『非常識な公園づくり』が住民にもたらした半端ない満足感」という記事がありました。この内容を見ていると保育にもつながりますし、組織運営においても重要な要素があるように思います。内容は題名にもあるように区主導で行われる公園づくりにおいて、世田谷区の住民との対話やその後のことを記事にしていました。

 

もともと以前、何かのニュースで東京世田谷区での公園建設について地域の住民からかなりのクレームが出ているというのを見ました。この公園は東京23区で唯一の自然渓谷・等々力渓谷のすぐそばにある国家公務員宿舎の跡地を国から買い取った世田谷区が公園化をすることから始まります。2017年の宿舎の解体工事からはじまり2018年公園づくりをめぐる主催のシンポジウムにはのべ1530人もの住民が参加し、合意形成を進める話し合いが始まります。

 

当初参加していて住民たちは騒音に関するクレームが噴出していました。これが私が見たニュースなのですが、どうやらその先があったようです。当初区にはフットサル場や大型レストラン建設の建設の要望も寄せられていました。しかし、区が設けた様々な対話の機会や現地見学会などで住民との話し合いを重ねるうちに「大きな建物を作るのではなく、原っぱで寝転がりたい」といった意見にまとまっていったそうです。

 

住民らの考えも当初は「クレームを言う」ということが中心だったところから「どうせこうえんができるならいい場所にしよう」というプレーヤーに変化していったそうです。その際、「まだ決まっていないで詳細を公表できない」や「決定後は計画を変えられない」といった多くの自治体がいう言葉はなく、住民の声を積極的に取り入れようとした姿勢が大きかったようです。これについて、当時の世田谷区の担当係長の津田さんは「住民同士が対話を重ね、普通の公園建築の倍以上の時間をかけて合意形成に至ったため、質や納得度は高いはず」と話しています。住民のかたも「心の満足度は半端ない」という言葉を挙げられていました。

 

「クレーマーからプレーヤーに」つまり「外野から当事者に」なったということ、それと同時に自らが物事をコントロールし、作り上げたということが「満足度」にもつながったのでしょう。ここでの「満足度」は仕事上での「やりがい」とも同義にもいえることだとも思います。やりがいを持って仕事をしてもらうには自分たちで作り上げているという実感がなければいけないのでしょう。これが最近言われている「コーチング」という姿勢なのだろうと思います。そして、これは保育にも言えます。「子ども主体」がなぜ大切なのか、それは自ら遊ぶことで満足感を得ることによって、次の遊びに向かう期待や楽しみにつながります。遊びの広がりは楽しさから生まれるものと私は考えていますが、そうすると大人が楽しませる以上に、子ども自身が楽しむような環境を作る方がいいでしょう。大人はその環境に「面白そうな要素」を置くことが重要になります。これが「環境を通して」ということが大切といわれる所以であると思います。

 

今回の世田谷区の公園づくりの記事の様子からも、ともに作り上げるという姿勢を世田谷区の姿勢から感じます。誰が主に立つかということはあっても進めていく過程は「ともに」ということが重要な姿勢であり、やりがいとともにそこに所属する幸福度のようなものも結果的につながることになるのかもしれません。