8月2020

愛着スタイル ②

「不安定型」は「アンビヴァレント型」ともいい、「養育者をスムーズに受け入れられず、逆に怒りを示したり、グズグズとして状態を長く引きずってしまう」つまり、分離時に非常に強い不安や混乱を示します。この場合養育者との関係は不安な時に居たり、居なかったりするような養育を受けているので、どうすればいいのか見通しがつきにくいのです。そのため、おいていかれるくらいならくっつくといった不安行動をしめします。全般的に行動が不安定で随所に用心深い態度がみられ、養育者を安心基地として、安心して探索活動を行うことがあまりできません。

 

この愛着スタイルをもつ子どもに対する養育者の特徴は子どもが出す各種の愛着のシグナルに対する敏感さが相対的に低く、子どもの行動や感情状態を適切に調整することがやや不得手である特徴がある。子どもとの間で肯定的な相互交渉を持つことも少なくないが、それは子どもの欲求に応じたものというよりは、養育者の気分や都合に合わせたものであることが相対的に多い。結果的に子どもが同じことをしても、養育者の反応に一貫性を欠くため、応答のタイミングが微妙にずれるといったことが多くなり、結果、子どもの様子においても不安や混乱をきたすことになるのです。

 

最後に「恐れ/回避型」は「無秩序・無方向型」ともいい、「養育者にくっつきたいのか、養育者から離れたいのかよくわからない、どっちつかずの行動を示します。」この場合、子どもは不自然でぎこちない動きを示したり、タイミングのズレた場違いな行動や表情を見せたりする。さらに、突然すくんでしまったり、うつろな表情を浮かべた理事っと固まって動かなくなってしまったりするようなことがある。総じてどこへ行きたいのか、何をしたいのかが読み取り辛い。時折、養育者の存在のおびえているようなそぶりを見せることがあり、むしろ初めて出会う実験者等により自然で親しげな態度をとるようなことも少なくはない様子が見えてきます。

 

この「恐れ/回避型」の子どもの場合、被虐待児や抑うつなどの感情障害の親を持つ子どもに非常に多く認められる。そのため、精神的に不安定なところがあり、突発的に表情や声あるいは言動一般に変調をきたし、パニックに陥るようなことがある。言い換えると子どもをひどくおびえさせるような行動を示すことが相対的に多く、時に通常一般では考えられないような(虐待のような)二木せつな養育を施すことがある養育者の特徴です。

 

子どもとの愛着は養育者との関係性が大きく影響しますが、このような愛着スタイルが見えたときに子どもたちとの対応を考える必要あるということを感じます。そして、「養育者」は確かに多くは保護者であり、両親であることが言えます。しかし、その中で祖父母や保育者もその一端を担っているのは確かです。最近では子どもたちが家庭より保育施設のほうが長い時間要る子どもも少なくはありません。こういった子どもとの関係性を含めて保育を考えていく必要があるように思います。

愛着スタイル

ヒトには「愛着スタイル」が4種類あります。一つは幼児期に養育者が確実にそばにいて自分の欲求を誠実に満たしてくれると感じていた人は「安定型」、必要な時に養育者に突き放された経験がある人は「回避型」、また養育者が自分の欲求をみたしてくれるとは限らないと気付いていた人は「不安型」。最後に幼少期に養育者に何らかの形で傷つけられたと感じた人は「恐れ/回避型」と4つの愛着スタイルがあります。

 

それぞれにおいて、子どもの様子を見るとある特徴が見えてくるといいます。

まず、安定型の子ども、この愛着スタイルを持つ子どもは「養育者との分離時に泣いたとしても、その後の再開場面でスムーズに養育者を受け入れることができる」と言います。それと同時に養育者とは安心基地が築かれているので積極的に探索活動を行います。

 

この場合、安定型の子どもの養育者は子どもの欲求や状態の変化などに相対的に敏感であり、子どもに対して過剰なあるいは無理な働きかけをすることが少ないそうです。そして、子どもとの相互交渉は、全般的に調和的かつ円滑であり、遊びや身体接触を楽しんでいる様子が伺えます。

 

つぎに「回避型」は「養育者との分離に際し、泣いたり混乱・苦痛を示すということがほとんどない。」つまり、あまり不安定さもみせず、近づいても余計遠ざけるといった経験から、遠ざけられるくらいならそこにいてもらうという思考になり、抵抗しなくなるのです。そのため、養育者を安心基地として探索活動を行うことがあまり見られません。

 

こういった愛着スタイルになる場合の養育者の様子は、全般的に子どもの働きかけに拒否的に振る舞うことが多く、他のタイプと比較しても、子どもに対面しても微笑むことや身体接触することがすくない。子どもが苦痛を示していたりすると、かえってそれを嫌がり、子どもを遠ざけてしまうよう場合もある。また、子どもの行動を強く統制しようとする働きかけが多くみられる。つまり、いうことを聞かせようとする行動が見られるということです。

 

子どもの働きかけにどうこたえるかというのはケースバイケースでもあり、一筋縄ではいかないこともあります。

 

では、他のタイプはどういった特徴と養育者の様子があるのでしょうか。

所有物と不安衝動

所有物は子どもが母親とは別の独立した自我を持っていることを認識し始めると、母親の代わりとなる「移行対象」によって安心感を高めるといったように、所有物は大切な人の代わりとして安心感を与えてくれるというのですが、どうやら、それ以外にも意味があるそうです。それはどういったことかというと「所有物は自分自身の延長である」とみなしているところです。つまり、自分のエッセンスが所有物に何らかの形でしみ込んでいると信じている。あるいはそのように振る舞っているというのです。だから、それらの所有物が傷つけられたり、失われたりすると自身も傷ついたり喪失感を味わったりするのです。自分の大切にしているものが壊されたり、無くしたときに感じる喪失感はその所有物に対して、自分自身の延長として感じているからなのですね。

 

英ノーザンブリア大学の進化心理学者ニーブは「人はみな物を所有しているし、所有物に慰められている」と言っています。そして、「これは進化の過程の課程で受け継いできたものだ」と言っています。人は食べ物(特にようやく手に入れたもの)を取っておくことは、今でも重要な生存戦略だとニーブは説明しており、それは武器や道具にも当てはまるというのです。「人は何も持たずに世間に放り出されると無防備に感じる」「生き延びることを可能にする所有物が必要」なのです。生きていく中で所有物というのは人間にとっては非常に重要なもので、物を準備しておくことで安心感を得るのです。

 

しかし、人間は社会的な動物です。そのため、安心感を得るために必要となるものは、単に肉体的生存を可能にする基本的な事柄よりも複雑です。この説明にはマズローの欲求階段(欲求ピラミッド)が役立つといいます。1943年に発表された欲求ピラミッドでは、生理的欲求(食物や空気、水)が底辺を占め、その上に肉体的な安全(隠れ家や武器)。愛と所属(人間関係や社会)、承認(強い自我)の各欲求が積み重なり、自己実現の欲求(自分の潜在能力を最大限に発揮している情緒的に最適な健康状態)が頂点を締めています。人は生存していくために、こういった欲求を持っているのですが、その中でも、自己の安全や人間関係における自信といったすべての領域にで、所有物は安心感をもたらすのに一役買っているといいます。

 

ヒトにとって、所有物というのは思いのほか、必要な要素なのですね。確かに、もしものために大目に買っておくというようなことをすることもありますし、あることでなくなった時のことを考えなくてもいいといった安心感があります。これは今回の新型コロナウィルスでも、マスクやアルコール、手洗い石鹸などが売り切れたりしましたが、それも新型コロナウィルスに対する不安から起きた行動なのだと思います。普段であれば、それほど多く買わなければ、まんべんなく配給できるにもかかわらず、無くなるかもという不安から大量に買い、結果として、すべての人にとっても希少なものになるということにつながり、人の起こす衝動的な行動の裏には、こういった欲求が隠れているのです。そして、この欲求に対して所有物というのは大きく関わってくるのですね。

所有物

園に登園してくる子どもの中に、小さなぬいぐるみやおもちゃを握りしめて登園してくる子どもたちがいます。子どもたちは、なぜ、こういった「お気に入りのもの」ができるのでしょうか。先日、東京大学の客員教授であり、発達心理学専門の遠藤利彦先生の講義を受けました。そこで紹介されていたのが、「ライナスの安心毛布」です。このライナスはスヌーピーで有名なチャールズ・モンロー・シュルツが1950年から書き始めた漫画「ピーナッツ」に出てくるキャラクターです。このライナスも毛布を持っている絵があります。

 

この絵を紹介して遠藤氏はある傾向を話していました。こういった所有を求める子どもは「人工乳をする子や時間を決めた授乳、添い寝の習慣がない、別室寝をする家庭」の子どもにこういった特定のものの所有をする子どもが多いようです。つまり、すぐに「おっぱいが貰えない」という状況はストレスがかかります。そして、こういった特定のものを所有する子どもは割とストレスに敏感な子ども、ストレスを感じやすい子どもほど、特定のものを所有する傾向があるのです。確かに、考えてみると、割と園でもそういったものを大切に持っていたり、手放したくないといったような子どもほど、ストレスに敏感であったり、引っ込み思案である子どもが多いように思います。

 

所有物を持つことでストレスを緩和しているのです。このことを単純に見ると、ストレス下にいる子どもがかわいそうに思えてきます。しかし、遠藤氏は果たしてそうなのだろうかと言っています。欧米では「子どもはストレスを解消・調整する力を自ら持っている」と考えられているそうです。そして、その力が「生きる力」だとも言っています。以前、オランダに行ったときに日本人からすると非常に疑問を持つ様子がありました。その園ではお昼寝をする部屋があるのですが、その場所は檻のようなゲージに入れられ昼寝をします。そして、起きて泣いても10分は泣かせておくとも言っていました。泣いたらすぐに抱っこするという日本の感覚からすると違和感を持ちます。しかし、その考えの根底には先に話した能力を子どもは有しているという考えが根底にあるからなのでしょうね。

 

では、実際のところどうなのでしょうか。遠藤氏は赤ちゃんは泣くことですぐにおっぱいをもらえるということで、赤ちゃんは「自分でおっぱいを作れる・何でもできる」といった魔術的万能感を持つそうです。しかし、月齢を重ねていく中で、欲求が多様になってきます。そうすると、当然その欲求に応じてあげることができなくなります。すると、何かを欲してももらえないというストレスを子どもは感じます。このように思い通りにならないなかで、自分は「生かされている」という2者関係を持つようになります。このことを心理学者のウィニコットが20世紀後半に行った研究で、幼児は自分が母親とは別の独立した自我を持っていることを認識し始めると、母親の代わりとなる「移行対象」、つまり安心毛布のような所有物によって安心感を高めることを学習すると言っています。

応答的関わり②

ランドリー・スーザンとスミス・カレンは「応答的」について、4つの定義を出しています。

 

まず、1つ目は「子どもの行動に付随して反応する」ということです。乳児は養育者に対してシグナルを出します。それに対し、養育者が即時に敏感に反応することで、乳児が自分の要求が予想通りにかなえられることを経験するというのです。これは自己有用感につながります。つまり、自分がここにいてもいいという自己肯定感や自尊感情を持つことにも影響が出るということが推測できます。

 

2つ目、「感情的―情緒的にサポートする」ポジティブな感情の入力(暖かさ、微笑みなど)と強いネガティブな行動がないこと(刺激がきつい粗暴な声のトーンや身体的な侵入など)は養育者の関心、受容を情緒的に伝えると言っています。乳児からのサインを養育者に伝えることで、自分の感情を受け入れてもらうという経験をするということですね。こういった関わりを通すことで、子どもの社会的発達(協力、感情の制御など)の発達を促進すると言われています。これは今よく聞く「非認知スキル」にも大きくつながっているのだということが見えてきます。海外の研究におけるすぐれたプレスクールの共通点で「応答的な関わり」が入っているというのはこの非認知スキルに関わるからより注目されているのかもしれませんね。

 

3つ目「子どもが注意を向けていることをサポートする」とあります。そして「乳児が注意をあてていることをサポートすることは、構造を与えたり、乳児の未熟な技能に対して足場を与えているので、高次なレベルの学習や自己制御を促進すると考えられるといいます。二方向のインタラクションでJoint engagementや相互性を促進する、注意を維持することは注意の焦点を移さないで乳児の未熟な注意をサポートする。子どもがアクティブな役割を取り始め。究極的には自分の行動を制御するようになる。言語発達や事物の操作を促進する」といっています。応答的な関わりが安心基地にもつながるということであると読み解けます。安心基地があることで自分の世界を子どもたちは広げていきます。そして、分からないことは大人の力を借りようとして、自ら助けを呼びます。だからこそ、『ともに考え、深め続けること』といった海外における優れた教育にはあるのでしょうね。大人が答えを出すことが求められるのではなく、あくまで主体は子どもであり、その中で、大人がどう関わるか、それは世界を広げることの手助けをすることが重要であるのでしょう。

 

そして、最後に4つ目「発達要求をサポートする言語入力」です。これは「①養育者が乳児の発声を模倣する。養育者が付随的に音声でかえす。②豊かな言語入力(事物や行為やラベルやこれがどのように相伴っているか、機能しているか)を子どもがうけること、また、これが乳児期に特に重要」といっています。つまり、音声言語習得において、養育者が乳児の言葉を模倣したり、応答したり、変換したりすることで言語を習得していく機能があるということが言えるのです。

 

「応答性」というのを4つの定義として見ていくと、いかにこの関わりが乳幼児教育において重要な関わりなのかということが見えてきます。そして、「応答的」というのは、なんでも子どもたちの言いなりになることでもなければ、逆に何も言わないことでもないのです。

 

大切なことは子どもたちの主体性をどう保障するかということが大切なのだろうと思います。そして、子どもたちは主体的に学び、主体的に活動しており、保育者や養育者が教え「なければいけない」のではなく、自ら学んでいるということを信じることが大切なのだろうと思っていなければ「応答的な関わり」にはならないのです。各夕海外の研究における優れたプレスクールの特徴の共通点の三つ目は「すぐれているプリスクールほど、子ども主導の遊びや活動、子ども中心で教師がつなぎ発展させる遊びや活動が多い」という特徴が見えてくるのです。こういったことができるのは保育者自体の子どもに対する保育の視点が定まっていなければできないことなのだろうと思います。

 

ランドリー・スーザンとスミス・カレンのいう「応答的」な関わりのあり方はまさに子どもたち本来の力を引き出すことにつながる関わりであるのでしょう。そして、現在さまざまなところで叫ばれている「非認知スキル」をつけるにあたって、こういった関わりはこれからの保育には必須と言ってもいいほどの能力なように見えてきます。