乳児

有能な存在

最近、様々な研究から赤ちゃんは有能な状態で生まれてくるということが言われるようになりました。では、そもそもなぜ、赤ちゃんはこれまで無能で何もできないと思われていたのでしょうか。これは、人間の特性によります。人間の赤ちゃんは幼形成熟といわれるように母親から生まれて時には他の動物に比べ幼く生まれます。たとえば、馬や牛などは生まれて数時間後には自分の足で立って歩き始めます。しかし、人間の赤ちゃんは1年もの間、立つこともできず、食べることや、排泄することにおいてほとんどすべて一人でできません。このような状態から赤ちゃんは無能で無知な存在であると考えられてきました。

 

しかし、最近の赤ちゃん研究において、赤ちゃんの新しい事実が確認され、ヒトの赤ちゃんは生まれながらにして極めて高度な能力を持っている有能な動物であるということが分かってきたのです。では、ヒトの赤ちゃんはどのような能力を備えているのかというと、①生まれた直後から大人の顔を見分けることができる(大人識別) ②耳に入ってくる音の中からヒトのコトバとして発せられる音を正確に聞き分けることが出来る(音声識別) ③他者の目を見て自分に向けられた視線であるかどうかを察知できる(視線識別) ④他者と目を合わせ(アイコンタクトし)その人の視線が何に向けられているかを確認できる(視線追従) ⑤未知のものを見たり新しいことをするときに母親の顔をみて安全性を確かめる(社会的参照) ⑥自分の興味あるものを指すことで他者の関心を引く(共同注意)などがあります。

 

こういったことができるのは、生まれた直後から生後ほぼ9ヶ月あたりまでですが、人の子がそうした能力を備えているのは「ヒトの子は人間として成長するために大人を見分けて近寄り、出会った大人と応答することが不可欠であり、そのために必要な諸々の能力をあらかじめ備えて生まれてくる」と理解するしかいないということを門脇氏は言っています。そして、こういった能力は赤ちゃんが他の人との相互行為を行うために必要な能力です。社会力を培い高めていくためだけではなく、社会力をベースにまっとうな人間として育つためにも、両親だけではなく、周りにいる大人たちとの相互行為(応答の繰り返し)を多くすることが決定的に重要になるのです。それはこのような赤ちゃんの持って生まれた大人との応答能力をフルに使うことが出来るように努める必要があるのだといいます。

 

門脇氏はこういった子どもの能力において、テレビに子どものお守りをさせることや、赤ちゃんを抱っこして赤ちゃんと目を合わせることもなく、スマホを見ている母親の姿を見て、社会力を育てる上でとても大事なことなのに・・と危惧していました。

 

赤ちゃんは非常に有能な存在であり、他者にコミュニケーションを行う能力が高いことが見えてきます。この能力をいかに発揮させるかということが保育につながっていくのだろうと思います。つまり、それは保育をすることにおいても、子どものこういった本来持っている能力の理解する必要があることも同時に示しているように思います。

言葉を獲得する基盤③

言語の獲得における土台の3つ目は「コミュニケーション」(対人関係)です。言葉を発しない赤ちゃんはコミュニケーションを取っていないかというと、決してそういうわけではありません。表情や視線、音声、身振りなどを用いて自分の欲求や意志を示し、他者とコミュニケーションを取ろうとしています。赤ちゃんのこういった時期にはすでに人の顔に似た図形に興味を持ち、人から発せられる感覚刺激に特別な反応を示すことから、人が人と積極的に関わろうとする力は、生得的なものであると考えられています。

 

では、この赤ちゃんの姿がどのように言語獲得に影響があるのかというと、4ヶ月頃になるといろいろな音の発声が可能になり、音声や表情で自分の欲求を示し、それに応答する他者との間に情緒的な絆が形成されるのです。6か月頃の子どもは喃語や反復喃語も表出し始め、まるで言葉を発しているようになってきます。そのため保育者の働きかけを喜び、応答を通じてコミュニケーションが豊かになってきます。大人の話す言葉の意味は分からなくても、褒めているのか怒っているのか、相手の表情や抑揚から理解できるようにもなってきます。短期記憶の発達に伴い、「いないないばあ」の遊びや、動作模倣も発達し「おつむてんてん」を楽しめるようになってきます。9ヶ月になると、自分と他者、自分とものという2項関係の認知世界から、自分と他者と対象物という3項関係の認知世界へと移行します。たとえば、物を受け渡したり、玩具を他者に得意げに見せたり、指差しといったことも出てきます。他にも受取る役と渡す役を交互に演じることも行い、双方向のやりとりが可能になってきます。このような3項関係の成立によって、相手の意図や欲求が表情や身振り、簡単な言葉のイントネーションから推測できるようになります。このやりとりが、後の対話の基礎となるのです。

 

その後、1歳3か月未満頃には有意味語が出始め、音声や身振りで意志表示をすることにも意欲的になってきます。コミュニケーションが一層発達する1歳から2歳頃になると、片言や動作などで親しい人に自分の意志を伝えるようになり、動作模倣や象徴遊びをもとに「言葉」と「言葉が表すもの」を理解するようになります。2歳以上になると、それまで大人へのコミュニケーションだったものが同年齢の子どもにも関心が向くようになり、ごっこ遊びなどを通じて、認知の発達や言葉の獲得が促されていくと言われています。

 

子どもたちは子ども同士のやり取りや大人との関わりを通して、言葉を獲得していくのだということが分かります。つまり、関わる経験や体験が多いことが言葉の獲得につながるのです。私はこれが3歳児から入園してくる子どもたちの言葉の発達の差異に見えてくるのではないかと感じられます。どうしても家庭だと、大人とのやり取りは起きていても、子ども同士の体験は少なくなります。そして、大人が子どもの相手をすると言葉を掛けることもありますが、先回りして子どもの相手をしてしまうともあります。つまり、乳児期からこども集団に居る子どもたちよりも経験や体験は少なくなっていることが言われるのではないかと思うのです。今の時代は少子化が進み、家庭の中でも子ども集団というものが少なくなっている時代です。関わる相手が大人だけであることも状況として多くあるという事を意識する必要があるように思います。そして、その環境を考えることが幼稚園においても重要な意味があるということをかんがえなければいけません。

言葉を獲得する基盤➁

前回、言葉の獲得の基盤となる1つ目の基盤「音声知覚」を紹介しました。まず「聞く」ということですね。その次となるのが「音声表出」です。つまり今度は「音を発する」ということです。発話には聴覚機能の発達とともに、音声器官の発達が不可欠になってきます。でなければ、言葉を使って関わることができません。乳児はこの音声器官における構造は未発達です。そのため、段階を踏んで発達していきます。

 

初めの誕生から2か月くらいまでは不快な状況での反射的な泣き(叫喚)、げっぷ、しゃっくりを発するくらいで、発声できる態勢にはなっていません。それから音声器官の発達とともに、「クー」や「アー」といった母音を中心とした音声を発するようになります。これがクーイングです。4か月ごろになると喉の構造が変化し、声を上げて笑うようになり、まわりの大人との心の交流を図り始めます。5カ月ごろになると、不明瞭ながらも母音と子音の組み合わせの音声を発するようになり、喃語が始まります。6か月頃になると「バババ」といった子音と母音をからなる音声を繰り返す反復喃語が多出し、1歳前後に初語の獲得時期を迎えます。「マンマ」など、一語文で、意味のある言葉を発するようになります。2歳前後になると、発語はより明瞭になり、2語文の発話がなされ語彙が増加していきます。このとき、助詞も使い始めるようになります。

 

この二歳児の頃の発話の爆発的な増加は保育をしていると非常によく感じます。2歳児なので実際のところは1歳児クラスの子どもたちです。では、その子どもたちは2歳になったからといって、必ずそういったそういった発達がおきるのでしょうか。ではなぜ、個人差が生まれるのでしょうか。このことに影響してくるのが3つ目の基盤「コミュニケーション」です。そして、前回紹介した中で3歳児入園の子どもたちの語彙が乳児から入ってきた子どもとに差があるのも、これに関係しているのではないかと思います。

 

このコミュニケーション(対人関係)において、赤ちゃんはもちろん小さい頃は言葉を発しません。しかし、赤ちゃんの前言語期においてでも、表情や視線、音声、身振りなどを用いて自分の欲求や意志を示し、他者とのコミュニケーションを図ろうとします。それは新生児でも、母親や周囲から発せられる育児語に同調するかのように手足を動かして反応します。このようなことから人が「人と関わる」ということは後から身につく能力ではなく、生得的な能力であると考えられています。

 

では、このコミュニケーションは赤ちゃんの活動において、どのように変化していくのでしょうか。

言葉を獲得する基盤➀

以前、学会での発表で、3歳から幼稚園に入園した子どもが1歳から入園した子どもたちに比べて、語彙が少ない印象があるという事を発表しました。ただ、これはあくまで自園の職員に聞いた感覚的な印象であるため、証明されたわけでもなく、3歳から入園したからといって語彙の獲得ができないというものではありません。では、子どもたちはどのようにして語彙を獲得していくのでしょうか。

 

子どもの言語の獲得は1歳前後から2半ごろまでといった非常に短い期間の中で獲得していきます。そして、語と語を一定のルールに従って結合し、構造化された発話をするようになります。3~4歳になるとどの子どもも、まわりで話されている言語の主な要素を獲得するようになります。この言語の習得ですが、これには生まれ持っている能力を基盤とすることと、環境からの要因によって発達していきます。つまり、環境からの働きかけがなければ発達していかないと言われています。そして、言葉の獲得のために、前言語期の重要性があげられています。

 

この前言語期は「意味のある言葉を発するのではなく、他者の言葉に敏感に反応したり、五感を通じて物や人と関わったりするなど、言葉を獲得するための準備期間」にあたる期間のことを言います。そして、その前言語期において言葉の発達を支えるものに4つの基盤があるといわれています。

 

その一つが「音声知覚」です。これは簡単に言うと「音を聞く」といことです。赤ちゃんは生まれながらこの音声知覚を持っていると言われており、様々な音の中から音を聞き取る能力や聞き分ける能力は乳児期の早い段階から発達していると言われています。たとえば、生後間もない赤ちゃんに人の話す言語音と機械音を聞かせると赤ちゃんは機械音よりも、人の話す言語音の方をより長く注意を向けることが知られています。ほかにも母親の声と他の女性との言葉を聞き分けて、母親の語りかけに対して手足を動かして反応します。

 

子どもは当初母語に依存しない音声知覚能力を持っていると言われています。その一つがたとえば赤ちゃんは生まれた直後は英語の「L」と「R」の違いが分かるとされています。しかし、意味のある言葉を発するようになると母語に存在しない音韻の違いは聞き分けられなくなり、母語の言語体系に適した音声知覚能力となっていくのです。

 

赤ちゃんは生まれた直後から決して、受動的に存在しているのではなく、常に頭の中をフル活動して、周りの音を聞き分けながら、音韻や音節を聞き分け、自分が環境の中に適応していくために、様々なことを取り入れようとアンテナを張っているということが分かります。では「音声知覚」の他にどういった言語を習得するための基盤があるのでしょうか。

真実と想像と愛と

これまでアリソン・ゴプニックさんの「哲学する赤ちゃん」という本を追って紹介してきましたが、結びに赤ちゃんがごく早期の段階から子どもの心を変化させていく力は「学習・反実仮想・養育」といった三本の糸がより合わさって生まれると言っています。そして、これらのことは「真実・想像・愛」とも言い換えることが出来ると言っています。

 

真実は「私たちは、世界がどんなものか知るに伴い、行動を変える」ということにつながるといい。人間は他の動物よりも高い変革能力を備えています。そして、赤ちゃんは生まれつき、世界や他人についてある程度のことは知っているため、この世界やこの世界を共有する人たちについての学習は幸先よくスタートが切れるのです。そして、愛を学び、物理的な世界の因果関係を学び、心の世界までも学ぶのです。そして、他人の心を学ぶ中で、自分の心の仕組みも学習します。他人について学んだ知識をもとに自分を理解し、自分について学んだ知識から他人を理解します。そして、こういったことを通して、自分の行動を変えることを知っていくのです。自分の心がわかってくると、自分の体験を一貫性のあるストーリー、紆余曲折ある人生の物語として、統一して理解するようになります。

 

このようにして赤ちゃんは自分を理解し、知識や真実を身につけていきます。このことについてゴプニックは「真実を見出す子どもの優れた能力は、想像力と愛に依存する」と言っています。想像は心の中に因果マップを検討し、様々な予測を立てます。想像を通して真実を探るのです。そして、こういった想像を通した学習ができるのも周りの人が世話をしてくれるからであり、愛ある環境が子どもの想像における学習の土台となるのです。

 

このように「想像力は真実を見つけるのを助け、真実を知ることは想像力を育みます。」子どもの頭の中では因果マップが作られ、反実仮想が繰り返されることで理論が修正され、世界についての知識や概念が充実していきます。そして、子どもが思い描く反事実や可能性も豊かになってきます。そして、その反実仮想が目に見える形になったのが「ごっこ遊び」なのです。こういった想像力は大人になっても保たれ、世界の別のありようを思い描き、現実を変革する力になるのです。そして、想像力はこのように物理的な世界の因果関係だけではなく、心の世界においても因果マップが作られます。知識を得たことにより、別の世界を思い描くことが出来るようになった子どもたちは、空想の友だちも創造します。周囲の人との複雑な相互作用がはじまり、子どもも大人も反実仮想によって望ましい結果につながる道徳規範や社会的協定につながります。

 

このように想像力は知識に依存し、知識は愛と養育に依存します。大人に守られた子どもは自由に学習し、愛されている子どもは自由に想像力を羽ばたかせます。そして、想像力は規範意識にも影響していきます。