2月2020

影響

MCIIのように自分の中にルールを作ることや習慣をつけることなどは成功などより良い道をたどりやくすなるコツだと言われています。これとは他にも「集団の一員であるという認識は業績に大きな影響を及ぼす」とも言われています。この説を出したのがスタンフォード大学教育学大学院学長で心理学者のクロード・スティールです。彼は「ステレオタイプの脅威」という現象を突き止めました。スティールによれば、知的なあるいは身体的な能力を試すテストの前に帰属する集団に関係することがらをほのめかされると、テストの結果に大きく影響すると言っています。

 

プリンストン大学の白人の学生がミニゴルフの10ホールのコースを回るまえに生まれつきの運動能力(彼ら自身、自分にあまりないと思っている能力)を試すテストであると言われたケースでは、戦略的思考能力(持っていることに自信のある能力)のテストであると言われた白人学生のグループよりもスコアが4打数悪かった。黒人の学生については効果が正反対で、戦略的思考のテストであると言われたグループのほうがスコアは4打数悪かった。スティールの理論によれば、「白人は運動能力が低い」「黒人は知的でない」といったステレオタイプを自分もそのままうけとめてしてしまうのではないかと不安に思っていると、より悪い結果が出るという。

 

ほかにも60代と70代と80代の人々が年齢とともに記憶力は低下すると書かれた記事を読むように指示され、そのあと、記憶力のテストを受けたときには、テストに出てきた単語のうち44%しか覚えていなかった。テストの前にその記事を読まなかった同様の構成のグループでは、58%の単語を覚えていました。数学の難題を解く大学のテストでは女学生たちは自分が女性であることを指摘されただけで、何のほのめかしを受けなかった女学生よりも成績が悪かった。

 

しかし、この話には続きがあり、かすかな「ほのめかし」が引き金になるが、それと同様にほんの小さな対策で脅威を無効にできる点です。現在でもあらゆる状況で調査がつづいているが、もっとも効果的なテクニックのひとつはステレオタイプの脅威にさらされいる生徒たちに「知能はさまざまな影響を受けやすいものである」と種明かしをすることだ。そのこと自体を理解した生徒は自信を持ち、テストの得点やGPAがあがることもたびたびあるという。

 

「心の持ちよう」や「病は気から」といった言葉がありますが、知能においても、同じことが言えるのですね。よくスポーツ選手もルーティーンの中で、ポジティブなことを自分に言い聞かせるひともいれば、自分のふがいなさを言い聞かせてネガティブなところからの改善をパワーに変える人がいると言うのがあります。「メンタル」という言葉はよく聞くようになりましたが、それだけ人は様々なことから影響を受けるのですね。

ルールと習慣

成功へ計画を立てるためには「実行意図」を作りだすことが必要であり、そのためには「もし/ならば」という問答のかたちで障害とそれを克服する方法を考えることがことが求められるのです。そして、そのためには「気持ちはポジティブな結果に集中しながら、途中の障害についても考える」必要があります。要するに「実行意図をともなう精神的対照(MCII)」は自分のためのルールを作る方法の一つなのだとタフ氏は言います。

 

食品医薬品局の元長官であるディヴィッド・ケスラーは著書「過食にさようなら」に「なぜルールが機能するかについて神経生物学上の理由がある」と言っています。ケスラーによるとルールを作ると前頭前皮質を味方につけることができ、つまり本能に突き動かされて反射的に働く脳の部位に対抗できるというのです。しかし、ルールは意志力と同じものではないとケスラーは指摘しています。ルールはメタ認知を利用した意志力の代用品だというのです。ルールを作ることによって、たとえば揚げ物を食べたいという欲求とその欲求に抵抗する堅い決意との間に起こる厄介な葛藤を回避できるのです。ケスラーの説明によれば、ルールとは「構造であり、魅力的な刺激との対決に向けた準備となるもの、私たちの関心をほかへ逸らすものである」ということなのです。そして、ルールはやがて欲求と同じくらい反射的に働くようになります。

 

また、このことを違った言い方で説明している人がいます。それがダックワースが性格について話すとき、たびたび出てくるウィリアムズ・ジェームスです。彼はアメリカの哲学者で、心理学者でもあります。そして、ジェームスは「我々が美徳と呼ぶ特質は単なる習慣で、それ以上でもそれ以下でもない」と書いています。このことを受けて、ダックワークはKIPPの教員に「習慣と性格とは本質的には同じもの」と言っています。そして、こう続けています。「よい子どもと悪い子どもがいるわけではなく、良い習慣を持った子どもと悪い習慣を持った子どもがいるのです。そんなふうにいえば子どもたちも理解できるはず。なぜなら習慣を変えるのは大変かもしれないけど、不可能ではないと子どもたちにもわかっているからです。私たちの神経系は1枚の紙のようなものである。とウィリアム・ジェームズは言っています。繰り返し折れば、折り目がつく。KIPPでみなさんがしているのもそういうことだと思います。生徒たちがKIPPを出ていくとき、後の成功につながるような折り目が彼らについていることを確認して下さい」

 

ダックワースによれば、良心的な人々も道徳にかなった行動をしようとつねに意識して決めているわけではないというのです。「よい」ことをする(社会的に受け入れられやすい選択肢、あるいは長い目に見て利益につながる選択肢を選ぶ)のはそれが習慣として身についているからだといっており、最も良心にかなった道がつねに最も賢明な選択では限らないのです。

 

たとえば、以前紹介した読替えスピード・テストで高得点をあげた生徒は何の見返りもないのに実に退屈な作業を懸命に行いました。これは「誠実」ともとれれば「馬鹿正直」にも見えます。しかし、長い目で見れば良心的な行いが身についていれば役に立つことが多いのです。それは本当に問題になるとき、たとえば、期末試験のために勉強をしなければいけない時や会社の面接に行くのに時間を守らなければいけないとき、誘惑に負けて浮気しそうになった時などに、こういった経験は奮闘したり疲労困憊したりせずに正しい選択ができるようになるのです。MCIIのような戦略や、マシュマロの額縁があると想像する行動は、結局のところ、よりよい道を取りやすくためのコツなのです。

 

こういった思考の変換や見方をかえることは大人になったときに大いに役に立つことでしょう。ルールを作ることや習慣として身につけること、このどちらも見通しをもつことと同じ意味を持ちます。そして、そのスパンを遠くしていくという行為は保育をしている中で子どもの様子を見ていても感じるところです。こういった行為は確かに意志でとめるというよりも条件を自分で作るということであり、本来意志力でとめれるのであれば必要の無い行為なのかもしれません。しかし、これらの行為は意志力を強化するために必要なプロセスであるように思います。様々な方法を駆使して人は自分の自制心や見通しを持つことができるようになってくるのですね。

バランス

エッティンゲンは「実行意図をともなう精神的対照(MCII)」といった手法の中で、人が目標を設定するときに用いる戦略は3つあり、そのうち2つはうまくいかないと言っています。先の話では「オプティミスト」は「空想」という戦略を使い、「ペシミスト」は「思案」という戦略を用いると言っています。しかし、そのどちらも実際の達成には繋がらないとエッティンゲンは言っています。最後の1つが達成につながる戦略というのですが、それはどういったものなのでしょうか。

 

その3つ目の戦略は「精神的対照」と呼ばれるものです。そして、それは先に二つを組み合わせたものだと言っています。気持ちはポジティブな結果に集中しながら、途中の障害についても考えることだとしています。ダックワースとエッティンゲンが最近の論文に書いたところによれば、この両方を同時におこなうことで「未来と現実に強いつながりができ、望ましい未来に到達するために乗り越えるべき障害が浮かび上がってくる」と書いています。エッティンゲンによると、成功への次のステップは「実行意図」を作り出すことだと言います。つまり、ある計画について「もし/ならば」という問答の形で障害とそれを克服する方法を考えるのです。たとえば、「もし放課後テレビに気を取られそうになるならば、先に宿題を済ませてからテレビを見る」といった具合にするのです。つまり、保育の中でいう「見通し」を持つということですね。

 

ダックワースはKIPPの教員にこういいます。「来学期になったら毎日数学の宿題をちゃんとやろうと想像するだけ。それもそのときには気分の良いものです。けれども、それだけではどこにもたどり着けないし、何も起こらない。私はさまざまな学校を訪れ、多くの学校で“夢は必ずかなう”と書かれたポスターを目にしてきましたが、誰もが裕福で有名な大人になれるという空想は捨てて、目指す場所にたどり着くための現にある障害の事を考える必要がある」と言っています。

 

確かに「オプティミスト」のようにただ楽観的であるだけでは、物事の細かいことに気づかないことが多くあります。しかし、逆に「ペシミスト」といった悲観的な考えでは、「あ~でもない、こ~でもない」とネガティブな要因ばかりを取り出してしまい、これもまた埒があかず進まなくなることがしばしばあります。つまりはバランスといったことなのでしょう。ポジティブに物事をとらえ、ネガティブな要因を確認しながら、改善していくといったプロセスに臨むことが成功するために必要なことなのです。成功する人は「実行意図をともなう精神的対照(MCII)」という手法をうまくとらえて、目標を設定し、活動につなげているというのです。

成功と思考

前回出てきた認知行動療法(CBT)は、心理学者がメタ認知と呼ぶものの一つです。メタ認知という用語はいろいろな意味を含むが、おおまかにいって思考についての思考のことです。性格の通知表をみるという行為も、メタ認知的な戦略であると言えます。

 

では、こういったメタ認知はいつごろからできるようになるのでしょうか。『オプティミストはなぜ成功するか』を書いたセリグマンはこう書いています。「悲観主義の子どもを楽観主義にかえるのに最適な時期は「思春期より前、しかしメタ認知ができる(思考についての思考ができる)程度には成長したころ」であるという。このころに性格について話すこと、性格について考えること、性格を評価すること、これらはすべてメタ認知のプロセスなのである。

 

しかし、アンジェラ・ダックワースは、性格について考えたり、話したりするだけでは、特に思春期の子どもたちにとっては充分でないと信じています。やり抜く力や意欲や自制心を伸ばす必要があると観念の上でメタ認知を理解することは大切です。しかし実際に気質を育むためのツールを手にいれるのはまた別の問題だというのです。これはダックワースがモチベーションと意志力を区別していることと表裏一体の考え方です。つまり、意志力があっても動機づけがなければあまり助けにならない。同様に、動議づけがなされていてもゴールまでたどり着く強い意志の力がなければそれもまた充分ではないのです。どちらか一方があっても、目標を達成するには不十分だというのです。そして、ダックワースは現在、若者たちがこの意志力というツールを身につける手助けをしようとしています。

 

この意志力をつけるということについて、ダックワースは多くの点で、ウォルター・ミシェルとの共同研究(マシュマロテスト)の延長線上にあると言っています。ダックワースはKIPPインフィニティで5年生に試したメタ認知を促す戦略を説明しています。これは「実行意図をともなう精神的対照(MCII)」という手法で、ニューヨーク大学の心理学者ガブリエル・エッティンゲンとその同僚たちが行ったものです。これは人が目標を設定するときに用いる戦略は3つあり、そのうち2つはうまくいかない。というものでした。

 

まず、オプティミストは「空想」を好むと言います。到達したい未来を想像して、それにともなって起こるはずのあらゆる良いこと(賞賛や自己の満足、将来の成功)を思い描く。エッティンゲンによれば、「空想」はドーパミン分泌の引き金となることもあり、本当に気分の良いものではあるが、実際の達成にはつながらないと言います。

 

つぎにペシミストは、エッティンゲンの言葉で言えば、「思案」という戦略を用いることが多い。ゴールに到達するまでの障害となりそうな事柄をすべて考えるのである。たとえば、典型的な「思案」型の生徒が数学の成績でAを取りたいとすると、宿題を終えられないのではないか、そもそも勉強ができる静かな場所などないではないかと考えます。そうすると授業中も気をそらしてしまいます。このように「思案」もまた実際の達成には繋がらないのです。

 

では、もう一つの人が目標を設定するときに用いる戦略とはなんなのでしょうか。そして、それがどうやら成功する戦略であるということなのですが、どういったものなのでしょうか。

アプローチ

一口に「規律」といっても、それは場所や環境によって違うものです。たとえば、日本では箸を使ってご飯を食べます。そのため、幼稚園や保育園からでも箸の使い方を教えますし、手づかみ食べなどは「赤ちゃんがするもの」として捉えられます。しかし、例えば欧米ではどうでしょうか。箸は使わず、スプーンやフォークで食べます。インドなどではどうでしょうか。カレーなどは手で食べます。また、それにおいてテーブルマナーも違っています。その国では常識であっても、他の国では非常識になることもあるのです。KIPPにおける規律では「罰則が厳しい。そのため、生徒は先生の前では常識的な行動をするが、先生が背を向けたとたんに、できる限りさぼろうとする」ということがありました。そのため、KIPPにおいてはより深い内省と成長の可能性を生むものになるための変革を行っていました。

 

KIPPの変革を進めていく中でブランゼル自身も批判の手を緩めるようになりました。かつては、あまりにも高圧的であると思えたKIPPの行動変容システムも、いくつかの要素については高く評価するようになったのです。たとえば、SLANTです。これは生徒がKIPPでの最初の年に初めに教え込まれる教室での習慣で、正しい姿勢で座ること(Sit up)、よく聞くこと(Listen)、質問をすること(Ask questions)、うなずくこと(Nod)、話して目を向けること(Track the speaker with your eyes)の頭文字をとったもので、ブランゼルにとってはこれはTPOを教えるのに便利な方法だったのです。状況に応じて適切な行動を取れるというのは、KIPPや都市部の他の多くの低所得地域の学校で特に大事な能力であるからです。TPOのセオリーに従うなら、街角にたむろしているときには粗野な様子でも構わないのですが、博物館や大学の面接や高級レストランに行くときにはそれなりの行動をとらなければいけなくなります。そうでなければ大切なチャンスを逃すことにもなるからです。そのため、こういった行動様式を覚えさせなければいけないのです。

 

では、リバーデールではどうなのでしょうか。リバーデールではKIPPのこういった変革についてはっきりと意見が分かれると言います。リバーデールのK・C・コーエンは、性格の通知表の特定の項目に関して、この一年の間に2校間で意見の合わないことが増えてきたように思うと言っていた。「たとえば、KIPPでは自制心を示そうと思ったら、姿勢を正して座って脅威氏の方を見ればいいのです。しかし、うちでは椅子の上で膝を抱えようが、床に寝そべろうが、誰も気にも留めません」というのです。ほかにも「たとえば、“この生徒は大人や同級生に対して礼儀正しい”という項目」があるが、コーエンは(自制心にかんする項目の一つとして)「これは素晴らしい」といったうえで「リバーデールでは子どもたちは私のところにやってきてポンポンと肩をたたきながら“やぁ、K・C”なんて挨拶をするんです。でも、KIPPでは教員はつねにミスター・誰々。ミセス・誰々でしょう。ちょっと堅苦しいくらいに」

 

こういったところがTPOの難しいところです。特権階級の文化の中にいる子どもたちは必ずしも学校で形式的な態度を保たなくてもいいのです。もっと正確にいうのであれば、リバーデールのような学校では背筋を伸ばさずにいたり、シャツの裾を出してきたり、教員とふざけ合ったりすることの方が普通の行動なのです。

 

本来規律とはどういったものなのでしょうか。コーエンは言います。ガムをかむ生徒について「うちの学校では異常に活発でガムをかまずにいられない子どもたちがいます。しかし、KIPPでは絶対に許されないことでしょう。ここでは、子どもたちはすでにマナーくらいは心得ているという前提があります。だからおかしな姿勢でいすに腰掛けたいならそうすればいい。ところがKIPPでは、ダメダメ、みんなが決まりに従わなければ、といわれるんです。なぜなら、規律を遵守することが成功への助けになるとされるから」

 

このことから見ていくといかに自分の行動に責任を持って行動することが大切なのかということが言えます。その答えは生徒自身が持っているというのがリバーデールでの教員の言いたいところなのだろうと思います。しかし、KIPPではその環境からかネガティブであったり自滅的だったりする思考や解釈を自覚することから始めなければいけません。そのうえであえてよりよい見方を口にだすようにするようです。これはポジティブ心理学全体の根幹をなす臨床心理学の認知行動療法(CBT)というテクニックの一つです。つまり、仮に最悪の時期があったとしても、それを乗り越えることができる子どもは「こんな小さなことは乗り越えられる。私は大丈夫。明日は新しい一日だから」と言える子どもです。

 

こういった言葉の力というのは日本では「言霊」と言いますね。ポジティブな言動を心がければ自然とポジティブな考えになってくると言います。KIPPでもうまくやれる子どもはこういったことができる子どもだそうです。つまり、子どもを取り囲む大人というのも子どもたちにとってネガティブな言動ではなく、ポジティブな言動を心掛けたほうが子どもたちにとっても良い環境になっていくのでしょうね。