4月2020

身体的不器用さ

宮口氏は非行少年の中には極端に身体能力の使い方がおかしい少年がいたのを目にします。例えば、体育の時間でサッカーでゴールにボールをけるところを相手の足を蹴り、一試合で何人も捻挫したり、お客さんに料理を出すときに、勢いよくおいてしまいお客さんとトラブルになったり、中にはじゃれあっただけなのに相手に大怪我をさせたと言われ傷害罪で逮捕されたなどといった非行に関するものまでありました。こういった子どもたちは少年院を出て、まじめに働こうとしても、身体的不器用さ故にクビになり、職を転々としたり、本人にそのつもりはなくても傷害罪でつかまったりするケースが見られるのです。

 

しかも、宮口氏が関わっている少年たちはたいてい認知機能の弱さも伴っていました。認知機能の弱さがあるとサービス業につくよりも建設現場で、土木作業員といった肉体労働に就く傾向にあります。しかし、身体の使い方が不器用であるとそういった肉体労働でも問題を起こして仕事が続かず、生活ができなくなるのです。安定した就労は再非行防止に欠かせない要素ですが、身体的な不器用さが就労のハードルになり、再非行のリスクを高めることにもなると言っています。

 

この身体的に不器用さというのは、発達性協調運動症といった疾患概念があります。協調運動とは別々の動作を一つにまとめる動作です。皿洗いで例えると、皿が落ちないように一方の手で皿をつかみ、もう一方の手でスポンジを握って皿を擦るという2本の手が別々の動作を同時に行う高度な協力が必要です。これが協調運動なのですが、身体的不器用さはこの協調運動に障害があるため、粗大な協調運動(身体の大きな動き)や微細な協調運動(指先の動作)に困難をきたすのです。5~11歳の子どもで約6%いるとされているそうです。

 

この身体的不器用さは協調運動が必要とされる日常生活上の身体活動の獲得や遂行に困難さを生じます。ボタンを留めたり、靴ひもを結んだりですね。ほかにも字を書くことや、楽器を演奏するといった創作的活動にも必要な動きがあります。身体的不器用さは身辺自立や創作活動にまで支障をきたすこともあるのです。また、こういった身体的不器用さは成長により無くなると言われていましたが、青年期にも持続することが数多くあります。また、こういったことは目立つので、それがもとでいじめにあったり、自信を失うことも多いのです。

 

このような少年たちの特徴は「力加減ができない」「物をよく壊す」「左右が分からない」「姿勢が悪い」『じっと座ってられない』というものが特徴的だと言います。これらのことは自分の体のイメージや相手の体のイメージが分からないことにあると宮口氏は言います。また、「姿勢がわるい」ということに関しては筋肉の調整機能に問題がある場合があると言っています。筋肉の緊張が弱いと関節が柔らかく、まっすぐ立ってもお腹が出るように姿勢になり、逆に筋肉の緊張が強いと柔軟性にかけ、ロボットのようにぎこちない動きになるのです。結果、姿勢が悪くなることでずっと座っていられなくなり、それによって指先の細かい作業ができず、指先が不器用にもなるのです。

 

このことは最近の子どもたちにも言えることです。最近の子どもたちも立っていられない子どもたちが多くなってきています。すぐ地べたに座り込んでしまうのです。これは子どもたちの遊び場問題があるのかもしれません。最近子どもたちが外で体を使って走り回ったりしている姿を本当に見なくなりました。地域で遊ぶ場や公園でもボール遊びができなくなったり、さまざまな制約があります。またテレビゲームなどの普及によってますます外に出なくなっているようにも思います。子どもたちの身体的な能力は一昔前よりも大きく下降傾向であると思います。宮口氏はこういった身体的不器用さは、じっと座っていられなければ学習にも、力加減ができなければ対人関係にも影響します。そのため、学習面や社会面に加えて、身体面への支援も欠かせないことがわかると言っています。

育つ環境・時代

宮口氏は非行少年たちの相手が何を考えているのか、表情の読み取り方など、聞く力や読み解く力、見る力が弱いといった認知機能の弱さがあると言っています。そして、それは対人スキルにおいても影響が出ているというのです。相手に嫌われないために、悪い行為に手を染めるといったように、自分たちの生き残りの手段のために非行化を行うといったこともあると言っています。

 

そして、それは社会構造にも問題があると宮口氏は言っています。現在、日本の経済産業において、第3次産業であるサービス業が全職業の約7割を占めているそうです。昔は自然に働きかけて生計を立てる第一次産業や職人仕事のような第2次産業は激減し、人間関係が苦手だからといって人間関係に重きを置かない職業は選んでられなくなりました。つまり、対人スキルに問題があると、仕事を選ぶうえでも不利になるのです。対人関係が苦手で、就活で何十社かれも面接で堕とされたりする学生はざらにいるのです。しかし、その一方で

対人スキルがトレーニングできる機会は確実にへってきてきました。SNSの普及で直接会話や電話をしなくても、指の動きだけで瞬時に相手と連絡がとれます。携帯電話が普及していないその昔、相手の家に電話を掛けるときには、本人以外の家族が出ることが多くありましたので、それなりに電話を掛ける時間帯や言葉遣いなどの最低限の礼儀は心得ていなければなりませんでした。今ではそんな必要はなくなりました。宮口氏はこのように対人スキルがうまく機能できないのは昨今の社会形態において対人スキルを鍛える環境が少なくなってきている現状もあるのではないかと言っているのです。

 

確かに職人仕事というのは昨今非常にすくなくなっているのは確かですね。すし職人など、昔は徒弟制度があったような職業においても、今では専門学校にいくことで習うことができますし、「技を盗む」という時代から「技は習う」という主体が受け身になってきているのもあるように思います。以前、麴町中学校の工藤勇一氏の本の中で言われていたことですが、最近の子どもたちは受け身になっていて、その結果、「他責」になっている子どもの様子がよく見られるということを言っていました。本来教育は「習いに行く」ものであり、「習いに行かなければいけない」ものではなかったのではないかと思うのです。しかし、それが「must(~なければならない)」ものになると主体は受け身になり、「なぜ、教えてくれないのか」といったように「周りのせいにする」意識が生まれてしまいます。今の若者の意識においてこういった「他責」という意識は意外と強いのではないでしょうか。

 

どこかで「誰かのせい」にする意識から歪んだ対人スキルを得やすい時代でもあるように思います。また、SNSなどの技術進歩も一つの要因であると宮口氏は言っています。私はSNSを否定するつもりはありません。情報を得るためのツールとしては非常に有用なものであると思います。しかし、それは使い方を間違うと凶器にもなるのです。SNSは顔を合わすこともなければ、言葉を交わらすこともありません。そして、匿名です。そう考えると常に受け手を考えて発信するといった非常に高度なコミュニケーション能力を求められるように思います。しかも、多くは不特定多数に送られます。SNSが悪いのではなく、SNSが使われるための土台を作ることができていない教育現場や保育現場、子どもを取り囲む環境に本質的な問題があるのかもしれません。非行少年たちは結果として、そのあおりを受けているようにも思えますし、今の子どもたちは昔よりも子どもたちが育つうえで過酷な環境なのかもしれません。

非行と対人スキル

非行少年に共通する特徴の5つ目は「対人スキル」です。ただ、私はこのスキルに関しては非行少年に限らず、昨今の人は全体的に多かれ少なかれこの部分に課題を持っている人は多いように思います。これは以前のメンタルヘルスの本でも紹介しましたが、特に最近の若い人たちは昔とは違い、メンタルが弱いことが言われています。つまり、対人関係がストレスになってしまうのです。そして、このことは子どもたちにとっても同様のことが起きています。その上で、対人スキルが弱い子どもたちが特に困っていることを2つ挙げています。

 

一つは「イヤのことを断れない」ことで、悪友からの悪い誘いなどを断われないというのです。そして、二つ目「助けを求めることができない」ということで、いじめにあっても他者に助けを求めることができないといったことを意味しています。このように悪いことを断れないと流されて非行化しますし、助けを求めることができないと心に深刻なダメージを残すことになります。

 

そして、この対人スキルの乏しさは様々な要因から生じます。生育環境や性格的なもの、自閉スペクトラム症など発達障害によるものなども考えられますが、認知機能の弱さによって対人トラブルにつながることもあるのです。たとえば、「聞く力」が弱いと、友だちが何を話しているのか分からず話についていけない。ほかにも「見る力が弱い」場合は、相手の表情や仕草がよめず、不適切な発言や行動をしてしまう。「想像する力が弱い」と。相手の立場が想像できず、相手を不快にさせてしまう。といったことなど、こういった認知機能の弱さのため、相手の表情や不快感が読めない、その場の雰囲気が読めない、相手の話を聞きとれない、話の背景が理解できず会話についていけない、会話が続かない、行動した先のことが予想できない。といったようにうまくコミュニケーションが取れないのです。そのためにいじめにあったり、友だちができないので悪友の言いなりなる。といった非行につながる可能性が生じるのです。

 

対人スキルというのは、認知機能の弱さによっても起こりうることがあるのですね。しかし、こういったことを見ていると、決して非行少年に限らないものでもあるように思います。程度の差こそあれ、普通の人でも、自分自身に振り返ってみても、課題はあるものであり、未熟なものを持っているのは当然なことのように思います。ただ、宮口氏によると、多くの非行少年は対人スキルが苦手な少年が多いことに注目します。

 

社会で非行少年たちは、友だちとうまくコミュニケーションが取れないために、友だちから嫌われないよう、もしくは認めてもらうために、ある行動に出ることがあります。このことは十分私たちにも起こりうることです。例えば、ある少年がふざけたことをして、周りの友だちから「お前、面白いやつやな」と言ってもらえると、その「ふざけ行為」は強化され、次第にわるいこと(万引きや窃盗など)につながっていき、そこに自分の価値を見出すようになったりするのです。悪友から悪いことに誘われても、嫌われたくないので、断ることもできません。詳しく聞くと、非行化は彼らなりの生き残りの手段だったりするのです。気が弱く流されやすくて、なんでも悪友の言うことを信じてしまう。ある意味「優しい子」ほど、流されて非行に走る傾向もあったのです。これは今の社会の学生たちも同じような経験をしている人はいるでしょうね。かくゆう私も似たようなことがありました。その頃は仲間に入りたくて、苦手な友達とも関わっていたのですが、どうも馴染めない部分がありました。そして、周りに合わせるようにしていたのですが、やはり無理が出てきます。私の場合は少し視野を広げて、友だち関係の幅を広げたときに、仲のいい友達ができ、救われたのを覚えています。こういった手段が取れない、苦手というのはかなりつらいことでしょうね。

 

こういったこととは別に宮口氏は現実的な問題もあると言っています。それはどういったことなのでしょうか。

非行と自己評価

非行少年に共通する特徴として4つ目に挙げられているのが「不適切な自己評価」です。これはある少年に不適切な誤りがあった場合、その少年がそれを正したいという気持ちを持つには、まず“自分の今の姿を知る”といったプロセスが必要になります。自己の問題に気づかせ、“もっといい自分になりたい”といった気持ちを持たせることが、変化のための大きな動機づけになるのです。ところが、もし、多くの問題や課題を抱える人が、“自分には問題がない”“自分はいい人間だ”と信じていて、自己の姿を適切に評価できていなければどうなるでしょうか。自分へのフィードバックが正しく行えず、「自分を変えたい」といった動機付けも生じないので、誤りを正せないばかりか対人関係においても様々な不適切な行動につながってしまうのです。

 

たとえば、少年院では「自分のことは棚に上げて、他人の欠点ばかり指摘する」「どんなにひどい犯罪を行っていても自分は優しい人間だという」「プライドが変に高い、変に自信を持っている、逆に極端に自分に自信がない」といった少年が見られたそうです。殺人を起こしている少年でさえも、「自分は優しい人間だ」といったことには驚いたと宮口氏は言っています。しかし、それと同時に「この自己への歪んだ評価を何とか修正せねば更生させることはできない」と課題の所在も強く感じさせられたと言っています。

 

では、彼らはなぜ、適切な自己評価ができないのでしょうか?その理由は「適切な自己評価は他者との適切な関係性の中でのみ育つから」なのです。たとえば“自分と話しているときAさんはいつも怒った顔をしている。自分はAさんから嫌われている気がする。自分のどこが悪かったのだろう”とか、“あのグループのみんなはいつも笑顔で私に接してくれる。きっと私はみんなから好かれているんだ。意外と私は人気があるのかも”といったように、相手から送られる様々なサインから「自分はこんな人間かもしれない」と少しずつ自分の姿に気づいていくのです。

 

心理学者のゴードン・ギャラップは集団の中で育ったチンパンジーと集団から隔離したチンパンジーの自己認知の発達を比較しました。すると、隔離していたチンパンジーには自己認知能力を示す徴候が見られなかったことが判明したのです。そして、それは人間も同様だと宮口氏は言っています。無人島に1人住んでいると「本当の自分の姿」は分からないのです。つまり、自己を適切に知るには、人との生活を通して他者コミュニケーションを行っていく中で、適切にサインを出し合い、相手の反応を見ながら自己にフィードバックするという作業を、数多くこなすことが必要なのです。ところが、もしこちらが相手からのサインに注意を向けない、一部の情報だけ受け取る、歪んで情報を受け取る(相手が笑っているのに怒っていると受け取ったり、怒っているのに笑っていると受け取ったり)と自分へのフィードバックは歪んでしまいます。適切な自己評価には偏りのない適切な情報収集力が必要なのです。つまり、ここで一つの目の「認知機能」が相手の言葉や表情を読み取ることに大きく影響してくるのです。逆に自己評価においては「自分が嫌い、良いところが自分にはない」と自己肯定感が極端に低い少年もいます。そうなると「どうせ自分なんて」と被害感がつよくなり、ひいては怒りへとつながる可能性があります。つまり、何事においても自己評価が不適切であれば、対人関係でトラブルを引き起こすことになるのです。

 

「自己評価は高すぎてもいけなく、低すぎてもいけない。」というのではなく、相手があってこそであって、自分の方にばかりベクトルが向いていることが、結局犯罪とは言わないまでも対人関係でのトラブルになりかねないのでしょう。こういった関わりになってしまうというのはよく聞きますし、昨今の人とのコミュニケーション能力に問題があるのは結果として相手を意識されてたものではないからだと思っています。つまりは宮口氏がいうように適切な他者との関係性というものが希薄になているからなのかもしれませんね。

融通の利かなさと思い込み

融通の利かない頭の硬い子どもの特徴は前回紹介した最適解が一つしか、見つからず、それに固執してしまい、無理とわかっても他の解決方法に至らない視野の狭さがあります。結果として、解決案が分からないまま、過去に同じ失敗をしても、同じ失敗を何度も繰り返してしまいます。ほかにも、融通の利かなさは日常的な態度においても出てきます。

 

たとえば、「思い付きでやることがおおい」こと。いったん立ち止まって考えることをせずにすぐに行動に移してしまいます。こういった場合、気づきが少なく、見たものに飛びつき、

騙されやすく、過去から学べず同じ間違いを繰り返してしまいます。ほかにも「一つのことに没頭すると周りが見えなくなる」ということ。やる前から絶対効だと思って突き進み、思い込みが強い。一部にしか注意を向けられず、さまざまなヒントがあっても注意を向けられなく見落としてしまいます。このように他の方法を思いつくように落ち着かず、結果柔軟な思考や違った視点を持つことがとても困難になります。これらは対人関係においても様々なトラブルに結びついてしまうと言います。

 

こういった直情的な思考が非行少年には多いと宮口氏は言います。この直情的な感覚がそのまま「被害感」になるのです。少年院では毎日の日課があるのですが、日課に集団で向かう際に少年たちがぶつかるときがあります。すれ違う際に少し目が合っただけで「あいつがからんできた」、肩が触れ合うだけで「わざとやりやがった」、舌打ちされると「自分に向かってやってきた」、周りでヒソヒソ話をしていると、「自分の悪口を言っている」といった訴えが多いのです。実際、本当にそうなのかもしれませんが、一方で「ひょっとして自分の感じ外ではないか?」「気のせいじゃないか」「わざとじゃないのでは」といった考えは全く出てこないのです。「絶対そうだ」と思い込んで修正が利かない思考が硬い子がとても多いのです。

 

こうした些細な出来事に対する思い込みが積もり続けてどんどんと被害感が強まり、何かの拍子にいきなり少年同士で殴り合いになるというような事態が起こります。これも融通の利かなさ、思考の硬さが原因となっていると宮口氏は言っています。

 

確かにこの特徴は絵にかいたような不良少年はこういった、「被害感」をもっていると言えるように思います。これまでに出てきた内容と、今回の融通の利かなさがあわさることで、非行にもつながってくるのだと思います。融通の利かない、思い付きでの行動に感情統制が追いつかなければ、当然トラブルにつながる行動に出てしまうのも分かります。

 

こういった子どもは保育においても、少なからずいます。そして、多くが支援が必要な子どもの特徴であります。非行少年たちは幼稚園や保育園にいたころから、こういった特性上の課題を抱えていたのでしょうか。では、そういった子どもたちに対して、大人はどのように関わっていく必要があるのでしょうか。