教師の質

「ベル曲線」の研究から、学校の成績や標準テストの結果が後の人生におけるあらゆる成果を予測する良い指標となる点が見えてきました。そして、貧困の家庭にいた子どもでも、優秀な教師の元、学力テストのスコアを大きくあげることができること。つまり、こうした学校が生徒の成績を上げることを達成できれば、成功を阻害する困窮に大きな穴を穿つことができるということが分かってきたのです。

 

では、どこを改革するべきなのでしょうか。まず、ビジョンとしてはKIPPの学校が低所得者層の子どもたちにしたのと同じことを国中で行うことです。しかし、このビジョンを実現するための最善の政策はどうしたらいいのでしょうか。これについてはこの改革運動の提案者のなかで意見は一致しませんでした。保証人だろうか?国家規模のカリキュラムか?一クラスの規模を小さくすることだろうか?チャータースクールを増やすことだろうか?10年が経った現在、提案者たちの関心はある特定の問題に寄せられています。それは「教師の質」です。そして、ほとんどの改革提唱者が共通して言うのは「期待通りの仕事のできる教員があまりにも少なすぎるということです。特に貧困率の高い学校で生徒の出す結果を改善するには、教員の採用、研修、給与、解雇の仕組みを変えるしかないと言っています。

 

このことは1990年代の後半から2000年代の前半まで経済学者や統計学者によって発表された一握りの研究論文でも言われたことでした。この論文によれば、付加価値分析として知られる統計的な手法によって二つの教員を見分けることが可能でした。それは生徒の学力を徐々に上げていける教員と、ずっと生徒が遅れるがままにしておく教員です。この考え方から、どう変えればよいかが導き出されていきます。もし成績の悪い低所得層の生徒が続けて何年かにわたり能力の高い教員に担当してもらえば、その生徒のテストの得点は継続して上がっていくはずです。そうやって3年、4年、5年と経ったのちには、裕福な同年齢の生徒との学力差はなくなっているかもしれません。もし学校のシステムや教員との契約を徹底的に見直してすべての低所得層の生徒が能力の高い教員にあたれば、学力差を完全になくすことができるというのです。ここ数年でこの考え方は政府高官の間でも受け入れられています。

 

結果、連邦政府の申し出を受け、各州が教員の給与、評価、在職資格にかんする様z愛実験的思考が国中の学校システムにおいてあらゆる形で試されています。様々なところで良質な教え方とはどういったものか、よりよい教員集団を生み出すにはどうしたらいいのかという疑問に確実な答えを出そうとしています。

 

日本においてはこの点についてどうでしょうか。以前のブログにも書いたように、貧困と教育の観点は繋がっているように思います。しかし、そこを改善するような動きはまだまだ進んでいないようにも思います。とはいえ、アクティブラーニングなど、さまざまな手立てを打っていますが、あまり効果が出ているようには思いません。教師の質や教育現場の質。これは保育においても同様で保育の質というのはずいぶん前から言われています。このことはよく考えていかなければいけません。しかし、アメリカにこういった動きで教員の質における国の支援が行われている一方で異論も上がっています。