アメリカの貧困と対策 2

アメリカでは貧困についての議論が無くなってきた理由があるとポール・タフ氏は言います。その一つは政策によるものでした。しかし、そういった政府の支援だけをアテにしていては貧困は解消しなかったといいます。

 

そして、また別の理由があると言います。それが教育問題の議論に溶け込んでしまったということです。以前なら、教育と貧困は公共の政策の中でまったく別の二つの話題でした。一方で「新数学(ニューマス)」や「ジョニーはなぜ読めないか」の議論があり、他方にスラムや飢餓や福祉や都市再開発の議論があった。けれどもだんだんとそれが一つにまとまり。裕福な人々と貧しい人々のあいだの学力格差の話になった。貧しい家庭で育った子どもたちは学校でうまくやっていけないというまぎれもない現実についての議論である。

 

個の融合の背後にはいくつかの理由がある。まずは『ベル曲線』1994年に出版され、おおいに議論を呼んだチャールズ・マレーとリチャード・ハーンスタインによる著書で知能指数について書かれたものでした。この『ベル曲線』には非常に重要な新しい観察も含まれていた。学校の成績や標準テストの結果がのちの人生におけるあらゆる成果を予測するよい指標となる点であるということが見えてきたというのです。どこまで上の学校に進むか、学校を出たあとにどの程度の収入を得られるかといったことだけでなく、犯罪をおかすことになるかどうか、ドラッグに手を出すかどうか、結婚するかどうか、離婚するかどうかまで表されると言っています。『ベル曲線』が示したのは、学校でうまくやれる子どもたちは貧しい家に育ったか否かにかかわらず、その後の人生でもうまくやれる傾向にあるということだったのです。

 

これは興味深いアイディアであり、政治の領域にいる改革者たちを惹きつけました。貧しい子どもたちが学業スキルや学業上の成果を改善するための手助けができれば、子どもたちは余分の施しや保護がなくても自分の能力で貧困の悪循環から抜け出すことができるのです。1990年代後半から2000年前半にかけて二つの重要な現象があったためにこのアイディアは勢いを得ました。

 

1つ目はNCLB法によって州や市や個々の学校に対し、生徒の成績に関する詳細な情報を集めることが法律によって命じられたのです。このことでマイノリティの生徒、低所得層の生徒、英語が母語でない生徒などといった小群ごとのデータが分かりました。それによって、低所得の家庭は中流家庭の生徒よりずっと成績が悪かったのです。前者は中学を卒業するころには平均して2学年か3学年分遅れており、その差は年々広がるばかりだったと言います。

 

2つ目の現象は学力の差を埋めようとする学校群が現れたことです。KIPPなどの学校でこうしたディビット・レヴィンやマイケル・ファインバーグなどの教師たちの助けで生み出された驚くべき成果が最初の波となって社会の注目を捉えました。こうした教師たちは都心の学校の成功モデル、しかも信頼のおける、しかも真似のできる見本であるように思われた。

 

このような事象を踏まえて、貧困を気にかける人々の中で三段論法が形成されました。第一に学校の学力テストのスコアは生徒のバックグラウンドに関わらず、その後の人生と深いかかわりがあるということ。第二に低所得家庭の子どもは中程度の収入の家庭や高収入の家庭の子どもに比べて学力テストのスコアがはるかに悪いということ。第三に従来の公立学校と全く異なった形式の学校群が低所得家庭の子どもたちの学力テストのスコアを大きくあげることができたということ。結論として、こうした学校の達成を国中で真似することができれば成功を阻害する困窮に巨大な穴を穿つことができるしたのです。

 

これはいままでとはまったく異なる貧困の見方でした。