流動的な社会に向けて

「成功する子・失敗する子」の著者ポール・タフ氏は教育改革の関係者は、成功への主な障害は学校のシステムのなかにあると思いたがると言っています。そして、障害を克服留守ための解決策もまた教室の中で見つかるとしているというのです。これに比べて、改革に懐疑的な人々は、低所得層の子どもの成績が悪い原因を学校の外に求めたがると言っています。

 

実際に、彼らがその原因だとするリストを見ると、食の安全が保たれていないだとか、ヘルスケアや公営住宅が不十分であるといったこと、人種差別や個人の力を超えたものだとか、そういったものが低所得層の子どもの成績に影響していると言っています。確かにそういった問題は現実的にあります。しかし、それらが貧しい子どもたちの直面する最大の障壁ではないとタフ氏は言っています。本当の障害は高レベルのストレスを生み出す家庭やコミュニティであり、そのストレスに子どもがうまく対処するのを助けるはずのアタッチメントが欠けていることだと言っています。

 

では、なぜ、貧困が関わる学業不振の根本的な原因を探すときに、間違った犯人に焦点を合わせ、科学が教えてくれる最大のダメージを無視してしまうのか。理由は3つあるとタフ氏は言います。一つ目に、当の科学的な見解そのものがあまりよく知られていない。あるいはあまりよく理解されていないという点です。いいたいことを説明するときに「HPA軸」のような用語をつかうときにはいつも苦労すると言っています。確かに、こういった貧困やそれにおける子どもの様子が話されるときにデータから読み解くことはあっても、アタッチメントや心情、内面の部分は非常に感情論で話されることが多いように思います。しかし、タフ氏が著書の中にあるように、最近では様々な研究や脳科学の進歩によって、科学的にその影響というものが読み取れるエビデンスが出てきました。こういったことはもっとこれからの子どもたちの教育現場や保育現場にももっと取り入れられるべきものではないかと思います。そして、こういった理屈であったり、理論というものにもっと目を向けることは今後の保育や教育においても非常に重要な意味合いがあるようにも思います。

 

そして、第2に低所得の家庭に暮らしていないものは、貧困家庭における家族の機能不全いついて話すことに、落ち着かないものを感じるという点です。他人の家庭を取り上げて公然と批判的に議論するのは無礼であり、特に自分が持っているものを相手が持っていない場合、その相手のことを話すのは失礼にあたるのではないかという点があります。

 

第3は新しい逆境の科学は複雑に絡み合ったもので、その中には根深い政治信念に反する難題が含まれるという点です。アメリカにおいてリベラル(自由主義)にとっては、保守派がある大事な一点において正しいことが科学的に示されてしまった。性格が重要であるという点においてである。貧困に対抗する手段として、不利な状況にある若者たちに私たちが差し出せる最も価値あるツールは「性格の強み」をおいてほかにないというのはこれまでのタフ氏の紹介した話の中でもたびたび言われています。つまり、誠実さ、やり抜く力、レジリエンス、粘り強さ、オプティミズムです。

 

日本においては、子どもたちの育ちよりも、成績や学歴といったものがまだまだ重視され、性格の強みといったものはまだまだ、それほど注目されていないようにも思います。これから「道徳」の教科化がされましたが、それがどれほど、効果があるのか、私は教科化以上にもっと乳幼児からの積み重ねこそが、「道徳」の教科の中で最も教えたいことにつながるようにも思います。そして、こういったことの積み重ねを小学校やその先の中学校以上の教育においても連携していくことが最も重要な意味を持っていくとも思います。学歴や成績はその前提がなければいけないようにも思います。