12月2019

正しい叱り方

「怒る」から「叱る」ためには相手を承認することが必要になってくると言っています。そして、実際「怒る」というときは意外と少ないというのも前回紹介しました。では、次に「叱る」ときにはどうすればいいのでしょうか。武神氏は相手を承認したうえで怒るためには、次の「守ってほしい項目」、「し・か・り・ぐ・せ」を守っていただきたい言っています。

 

まず、「し」は身体的接触は絶対禁止。多くの会社でパワハラかどうかの認定するときに最初の基準となるのが、身体的接触があったかどうかだからです。もちろん、ペンでたたくということや物を投げるというのは分かりやすいのですが、単純に肩を軽くたたくのも普段は問題にならなくとも、関係が悪くなると「小突かれた」や「触れられた」などとなってしまう可能性があります。

 

つぎに「か」過去は責めずに、隔離し2人で。過去は責めても変えられないのです。それよりも大切なのは今後です。過去を変えることはできなくても、そこに与える意味づけを変えることはできます。過去を学びや教訓にすることに目を向けるのです。また、部下を叱るときは人前ではなく、2人でというは基本だと言われていますが、これができていない会社は少なくないと言います。というのも、こういったことが起きる裏側には「叱る時にはほかのみんなにも聞こえるように言うことで、周りにも何がいけないかを伝えるため」という理由があることがあります。しかし、相手にもメンツやプライドがあります。特に大人になればなるほど、こういった意識は外資系に比べ、日本企業はできていない現状があるそうです。

 

つぎは「り」理論的に。感情的にならないようにすることです。この「り」にならないためには、次の「ぐ」具体的に。を守ることで可能になると言います。その「ぐ」具体的にですが、これは「何に対して叱るのか、ほめるとき以上に叱るときは具体性大事」なのです。そうでなければ、何に対して叱られているのかわからないということになりかねないのです。そして、これはほめるとき同様できるだけ早くすることも大切だそうです。最後に「せ」性格を責めない。事実に対して叱るべきであって、性格を責めるのはNGなのです。

 

ここで武神氏は一つの例を紹介しています。これは30代半ばの女性管理職が20代後半の女性職員に対して起こった内容です。あるときこの女性職員は遅刻が多く、また、短いスカートに胸元の開いたトップスといった格好が多かったのですが、管理職の女性は職場のみんなのまえでこう怒りました。「いつも遅刻してきて、どういうつもり!やる気あるの?ないの?恰好からしてだらしないのよ、その性格から治しなさい!」と怒鳴ったそうです。

 

では、これまでの「し・か・り・ぐ・せ」からみて解説してみましょう。このとき身体的接触はなかったので、「し」はOKです。しかし、遅刻してきたその場ではなく、過去の積み重ねを問題し、隔離もしていないので「か」はできていません。感情的に叱り飛ばしているので「り」もできていません。「ぐ」は遅刻のことは具体的ですが、服装のことは言わずにそれも含めて「だらしがない」と決めつけているので、これもダメです。そして、「せ」は性格を治しなさいなどと言っても効き目があるはずがありません。

 

このことを見ても、「しかりぐせ」ができていない、よくない叱り方だというのがわかります。この事例をみると「叱る」というよりは感情的に「怒っている」ように見えます。実際、これに似た事例によって自殺事件があったようです。まずは、相手を承認している気持ちがあることを大切にしてほしいと武神氏は言います。

 

これは親子においてもいえることで感情的に怒っている親をよく見ます。子どもにおいても「承認」されることは非常に重要な意味を持ちます。そこに存在意義を持つことは安心基地を持つことにもつながるのです。大人においても、子どもにおいても、「承認される」という環境にいることは情緒の安定において必要なことなのだとわかります。

怒ると価値観

武神氏は自分自身に「怒る」という感情が向かうことは何の問題もないと言ってます。そして、大切なことは相手を「承認」し、「叱る」ということにつなげるかということが重要なことだと言っています。しかし、この「承認」というのはなかなか難しく、相手を見ていないと分かりません。なぜなら、怒りの基準、つまり「どの程度までを許容し、どの程度を超えたら怒るか」は人それぞれだからです。

 

自分の価値観に沿って考えて行動し、この一線を超えたら怒る。だからこの一線を周囲の人が超えないように「見える化」しておくことが有効なこともあります。しかし、重要なのはこの一線自体も自分の価値観であり、他人が納得しているとは限らないのです。そのためにも、お互いの「怒る基準や許容範囲=価値観」を普段からよく話し合っておくことが大切だと言っています。そして、自分の価値観だけではなく、相手(他人)の価値観も尊重することも重要なのです。大切なのは「正義は人の数だけある」ということを理解しておくことです。そして、価値観は人それぞれであり、本来変えることはできないのです。

 

その価値観は、文化圏や宗教からくるものかもしれません。会社が違えば文化も異なり、「正しい」の基準も異なります。もちろん、年齢や時代というものもあるでしょう。「正しい」と思われる「価値観」は立場の数だけあるのです。武神氏はカウンセリングをしていく中で、まだまだ自分の基準や許容範囲=価値観=正義を超えたから怒る人が多い。つまり、自分の価値基準だけで怒る人が多いと感じるそうです。

 

では、怒る時にはどういった基準で考えたほうがいいのでしょうか。認知科学者の苫米地英人さんは著者『「怒らない」選択法、「怒る」技術』のなかで「怒っていいときはほとんどない」と述べているそうです。怒っていいのは ①相手に過失があり②自分がそれによる不利益を被り③さらにその過失が想定外だった時 以上の3つを満たしたときに限るというのです。そう考えるなら、大概のことは想定内です。つまり、多くは怒るよりも自分のほうを変えることのほうが重要となります。苫米地氏の考えでいうと「怒っていいとき」の説というのは、他人のせいにしないで自己責任として、自己反省や自己成長につなげようという発想ではないかというのです。

 

自分の価値観と相手の価値観(正義)が異なっただけで、相手をいくら上手に叱っても、相手がこちらの怒る判断基準に納得していなければ、その怒ることに自己満足する人もいる一方で、怒られた方は不満、ストレスが溜まってしまうのです。

 

私はこのことをもう一つ付け加えるのなら、その相手が自分自身に過失があることを自覚しているのかといったところもあるのではないかと思います。相手が同じ価値基準にいる。つまり、同じ方向を向いているのであれば、その失敗は本人にとっても「だよね」と思うでしょうし、納得した上で「きく土俵」にのった状態になります。こういったやり取りができるために相手とのコミュニケーションやお互いの価値基準をすり合わせ、調整しておくことを日常からしておかなければいけないのでしょう。

 

また、このことを子どもに当てはめてみます。子どもは大人とは違い、しっかりと意志を泣いたり、怒ったりと行動として出してくれます。そういった意味では大人よりも分かりやすいかもしれません。そのときに、頭ごなしにこちらのやってほしいことに子どもに指示命令をしていくと、叱る前提となる『相手を「承認」している』ということにはつながらず、一方的な価値観を押し付け、最悪、ここでいうところのメンタルヘルス不調と同じような状況になります。親子関係の場合、愛着障害として形が出てくることがこれに近いのかもしれません。まずは関わりにおいて「子どもであっても一人の人間」という向き合い方をしなければいけないというのがここからも見えてきますね。

「怒る」と「叱る」

武神氏は「怒る」ということに目を向けます。同じ組織の中におり、一緒に仕事をしていく中で、「怒る」というコミュニケーションは当然でてきます。しかし、この「怒る」という行為は「叱る」という行為とは違います。いくら「怒る」という行為のテクニックを学んでも、その根底にあるマインドを学ばなければ、職場のハラスメントをはじめとする人間関係のストレスはなくならないのです。では、そもそも「怒る」と「叱る」というのはどういった違いがあるのでしょうか。

 

「自分の価値観と相手の価値観が異なったとき、それが譲れないとき、それは怒るべきときだから怒っていい」と考えている管理職は意外と多いと言います。しかし、こういった人がメンタルヘルス不調者の上司であったというパターンは多くあったそうです。この上司たちは「部下が間違えた」「部下はこうあるべきだった」と丁寧に説明してくれることがあり、決して感情に任せて起こったのではないことが伝わってくる人もいるのですが、結局はメンタルヘルス不調者を出すことになってしまいます。それは「価値観の相違にあるからだ」と武神氏は言います。いくら冷静に怒ったとしても、価値観の相違を理由として怒ることは、あくまで上司の価値観と部下の価値観の相違であるからであり、その場合、どちらが正しいのかが分からない場合もありえてしまいます。なぜなら、当事者はみんな自分の価値観でやっていますし、各々が自分が正しいと考えているからです。

 

では、リーダーシップのある上司やメンタルヘルス不調者を出さない上司、ハラスメント被害者を出さない上司は、滅多なことで起こらないと言います。というのも、こういった人たちは部下を「怒る」のではなく、「叱る」と言います。つまり、この違いに職場のあり方が見えてくるというのです。この違いはどういったことなのでしょうか。

 

武神氏は「怒る」と「叱る」の違いは、「怒る」は自分本位、「叱る」は相手がいるということだと言っています。「怒る」ということは自分で自分に「怒る」こともあります。その場合誰にも迷惑はかけません。しかし、「叱る」ことには相手がいます。そのため、相手を必要とする行為である「叱る」には、その分、他人に対する責任をしっかりと認識して行う必要があります。このことについて元プロテニスプレーヤーの松岡修造の話を武神氏は紹介していますが、松岡修造氏は「叱る」のなかには「期待」があるというメッセージを掲げ、「『怒る』とは自分の感情を相手にぶつけること。『叱る』とは相手のことを思い、注意することだ」と言っています。つまり、「怒る」ときに相手を“承認”すると、それは「叱る」になるのです。逆に相手を承認してない状態、つまり、相手に対して「期待」がない場合は一方的に怒りをぶつけているというようになってしまうでしょうね。

 

相手の価値観と自分の価値観をすり合わせるということが大切なのです。メンタルヘルス不調者を出す上司はこういったところにズレがあるのかもしれません。そのため、相手の価値観を受け入れるというよりも自分の価値観を相手に押し付けることによって相手は納得できないところが出てくることになりかねず、それが結果としてメンタルヘルス不調につながっていくのだろうと思います。

原因の解決と緩和

武神氏はメンタルヘルス不調を起こしそうな不安や悩みを抱えていたり、ストレスをためていそうな部下や知人に相談されたときは「原因の解決は必ずしも必須ではない」と言っています。というのも、それは仕事量や長い拘束時間、仕事の質、対人関係などネガティブなストレス要因があり、それらが実際に解決できるかというと必ずしもできるとは限らないのです。

 

しかし、それを「緩和する」ことはできます。同じ長時間労働でも、小さな成功体験を積み重ねることで、成長実感を得たり、達成感を得るとストレスはグッと少なくなります。そのほかにもチームの連帯感、団結力をポジティブな環境にすることで、同じ状況でもやりがいや楽しさを見出すことができます。メンタルヘルス不調者を出さずに上手に部門をまとめている上司やリーダーシップのある上司というのは、ストレス緩和要因にフォーカスできているからなのです。

 

ではストレス緩和要因とはどういったものなのでしょうか。武神氏はストレス緩和要因とは達成感や裁量権(自分で選べること)を指すと言っています。達成感はボーナスなどの「金銭」のほかにも「ほめ言葉」や「表彰」などでも与えることができます。また、チームワークや団結力があれば、達成感はさらに倍増します。そして、次に裁量権ですが、裁量権を持てる人はストレスの感じ方が減ると言われています。それは仕事上の裁量権をゆだねるということもありますが、有休をとりやすくするとか、早く帰ることのできる日を作るといった、時間的裁量権を与えることもあるのです。自分で行動を選ぶことができるということは人にとって大きなストレス緩和要因になるのです。時間的裁量権は、気持ちの“ゆとり”につながります。事実、遅くまで残る日と早く帰る日をコントロールできる時間的裁量権のある人は比較的ストレスが少ないと武神氏は言います。

 

昨今、「働き改革」として「ノー残業デー」を導入しているところがありますが、これは現実的ではないと武神氏は言います。というのも、仕事は問題が出る可能性があるからです。そんなときに全員帰ることは現実ではありません。全員が変えるのではなく、一人は必ず月に1~2回は早く帰れるようにし、部署の全員が早く帰らせようとフォローしたりできるような環境を作るほうがより現実的です。一斉にノー残業デーにするのではなく、順番に早く帰れるようにするのです。このように時間的裁量を各々に委ねていくのです。

 

また、「会社のことを誇りに思う。」「自分の会社を友人に紹介したい」といったように、会社への思い入れが強い(エンゲージメントが高い)人はレジリエンス(ストレス耐性)も高く、職場でのストレスを感じにくいと言われています。

 

この内容を見れば見るほど、保育との共通点を感じます。部下の内容を子どもに置き換えることができるように思います。保育環境においても、職場環境においても、その雰囲気や環境というものは人に大きな影響を与えるのです。一定の裁量権をいかに「選択」できるようにしておくのか、人間関係がいかにお互いがフォローし合えるような透明性や関係性が保たれているのか。そこにマネジメントする上司やリーダーはこういった雰囲気を作っていかなければいけません。そして、それにはそれぞれが主体性を持つ必要があり、自分たちがその一員であるという当事者意識を持てるようにもしていかなければいけないのです。そのために、「みる・きく・はなす」といった技術を持つ必要があるのですね。

主体性と上司

そもそも主体性についてですが、原則として「あなた(自分)が持っている主体性以上のものは相手には持たせきれない」ということがあると言っています。つまり、あなたの器以上の主体性は、部下に教えることはできないというのです。その上で、武神氏は部下に主体性を持たせるには4つの要素が必要であると言っています。それは「みる力」「構築力」「教育力「負う力」です。これらの力が非常に大切な要素であるというのです。

 

まず、1つ目の「みる力」ですが、それは「任せられる人を見つける力」です。任せられることが決まっているのであれば、それにふさわしい人を見つける力です。2つ目の「構築力」は任せる仕事のやり方を伝える力です。つまり、上司自身がノウハウをしっかり構築できている必要があります。3つ目の「教育力」は任せられる人を育てるための教える力です。これは「教えるスキル」という教育力だけではなく、時間的な余裕も含まれます。つまり、上司自体が余裕がなく、「見て学べ」という姿勢だと、部下が主体性を発揮するようにはなかなかならないというのです。4つ目の「負う力」は任せた仕事の最終責任やリスクを負える力があるかどうかです。部下に仕事を任せてうまくいけばいいのですが、どうしてもうまくいかない時があります。そういった失敗したときに、責任を自分で負う力があるかどうかです。責任を負う力がない上司ほど、部下に任せようとしません。そして、任せることが怖いと部下の主体性が発揮される機会は生まれないのです。

 

これら四つの要素はどれも上司に必要な力です。この力がいかにバランスよく備え持っているかで、その人の器が決まってくると言います。このように見ていくと「はなす」という行為は、自分が持っているものですが、自分が持っているもの以上は話せないのです。自分の持っているほめる技術以上のものは出せませんし、自分の持っている主体性以上のものを相手に求めることはできないのです。

 

自分の持っている主体性以上のものを相手に求めることはできないというのは何とも考えさせられえます。しかし、考えてみると組織をマネジメントするということはそういったことなのです。これまでも武神氏が言っていたように「人を変えることはできない」のです。ということは、自分のスタンスを変えるほかないのです。だからこそ、その集団をまとめる上司によって職場の雰囲気が違っていくのだと思います。そして、ここで紹介した4つの要素を持つようになるためには、そこで働く人とのコミュニケーションは非常に重要になってきます。任せるうえで、どういった結果を出してほしいのかといった仕事の目的や目標、そして、その仕事に対する理解も含めて、自分自身の仕事に向き合う器の問題も大きくなります。結局のところ、自分自身がどう仕事に向き合っているのか、それが働く人たちが幸せになるようなものなのかということが問われるように思います。