社会的影響と社会的責任

社会的責任の問題は2つの領域において生ずるとドラッカーは言っています。第一に自らの活動が社会に対して与える影響から生ずるもの。そして、第二に自らの活動とは関わりなく社会自体の問題として生ずるもの。いずれも、組織が必然的に社会や地域の中のそんざいであるがゆえに、マネジメントにとって重大な関心事足らざるを得ない。この2つの社会的責任は全く違う性格のものです。前者は、組織が社会に対して行ったことに関わる責任であり、後者は組織が社会のために行えることに関わる責任です。

 

このように見ていくと、教育というのは非常に社会的影響と社会的責任のある仕事であるということがいえます。保育機関や教育機関が社会に与える影響として日々の教育や保育を行っていることに対して、その責任はその後、関わった子どもたちがつくる社会において責任を持たなければならないということです。つまり、今の社会がダメだという前に、その子どもたちが受けてきた教育や保育の内容にも責任を持ち、社会と教育をリンクさせた考えを持たなければなりません。それが教育機関における社会的責任なのだということが分かります。特に乳幼児教育においては、発達や情動のコントロール、関わり、共感、など、様々な人との関わりの芽生えや原点があるように思います。つまりは、そういったところの問題が出てきたときに、改めて保育の状況や環境を見直していかなければいけないのです。

 

ドラッカーは現在の組織はそれぞれの分野において社会に貢献するために存在すると言っています。つまり、そして気が社会に対して与える影響は、それぞれが自らの存在理由とする社会に対する貢献にとどまることがない。保育でいうと、保育や教育に限らず社会において、その影響があるということをしっかりと捉えておかなければいけないということですね。

 

これに対して、社会の問題は組織とその活動の影響からではなく、社会自体の機能不全から起こる。組織は、社会環境のなかにおいてのみ存在する。そのため、社会自体の問題の影響を受けざるをえない。地域社会がなんら問題視せず、かえって問題と取り組むことに抵抗したとしても、社会の問題は組織にとって重大な関心事たらざるを得ないというのです。健全な企業、健全な大学、健全な病院は、不健全な社会では機能しえないからである。マネジメントが社会の病気をつくったわけではない。しかし、社会の健康は、マネジメントにとって必要であるというのです。

 

つまりは、理解のある社会ではないとその組織の社会的責任は認められないということなのでしょう。そのため、マネジメントはその状況をうまくいかせるための策を講じなければいけません。しかし、それはあくまでも「社会に貢献する」ということが目的になっていないとそれは遂げることができないのです。そして、その時代の状況、その社会状況においてどのような社会的影響があるのか、マネジメントはそういったことを意識した上で、考えていかなければいけないのですね。