期待

ドラッカーはコミュニケーションについて「4つの原理がある」と言っています。そして、その一つが前回紹介した「知覚する」ということであり、相手とコミュニケーションをとるにあたり、「相手がわかることを話しているか」やそもそも「聞き手が聞く気があるか」といった、「受け手の知覚能力の範囲内か、受け手は受け止めることができるか」といったことを「知覚」することでした。

 

そして、次にコミュニケーションの原理に挙げているのが②コミュニケーションは期待である。ということです。このことは非常に単純で、「われわれは期待しているものだけを知覚する」と言っています。そして、期待していないものは反発を受け、その反発がコミュニケーションの障害になるというのです。そして、重要なのは、期待していないものは受付けられることさえないというのです。見えもしなければ、聞こえもしない。無視される。あるいは間違って見られ、間違って聞かれます。人の心は期待していないものを知覚することに抵抗し、期待するものを知覚できないことに対しても抵抗します。つまり、期待する者であっても、分からなければ抵抗するというのです。そのため、期待されるものが何かを警告する必要があるのですが、その期待されるものが何なのかを、そもそも知っていなければいけない。そしてさらに、それが期待されないものであった場合、間違いなく伝える方策、つまり、誤解なく伝え、連続した心理状態を断ち切るショックが必要となるというのです。

 

言葉に出してみるとまるで、言葉遊びのようにもきこえますが、つまりは、相手が何を期待し、何を期待していないのかをマネージメントする側はしっかりと理解していなければ、後にも先にも動きずらいのです。期待するものを知って、初めてその期待を利用することができる。あるいはまた、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを強引に認めさせるためのショックの必要を知ることができるというのです。

 

保育を変えていくにあたって、こういった壁に当たることはよくあります。とくに「受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを強引に認めさせるためのショック」を与えるというのはとても難解です。「知覚する」ことにおいても「期待する」ことに対しても、相手がどう考えるかというアンテナを張る必要は非常に重要であるということが分かります。自分ばかりが進めていては組織は成り立ちませんし、まとまってはいきません。また、そのためには小手先の「今の状況」や「動き」といった具体的なことよりも、もっと大局の理念や理想といった大きな組織の目標を共有するということがなによりも重要な要素としてあるように思います。その目的に向かって、「期待する」ことが適しているのか、それとも破壊する必要があるのかといったことを伝えていかなければいけないのだと考えています。それは組織の人だけではなく、人との関わりにおいても同じことが言えますね。