発達の連続性

藤森氏は「遺伝子を受け継いだ赤ちゃんが持っている能力は、きっと将来生きていくうえで必要な能力であるような気がします。もし必要でない能力ならば、それは受け継がれたりせず、消えていっているでしょう。人類がある方向に向かって成長していくとき、それぞれの時期での発達は、その時期にだけ必要なのではなく、その後の生存に備えての発達であるはずです。」言っています。ある突然ものがつかめるようになるのではなく、それまでにものをつかむための様ざまな芽生えが見られるというのです。そして、それを「発達の連続性」と言います。

 

発達の連続性はある方向に向かって、絶えることなく生起する連続的な変化のことであり、表面的には発達が止まっているように見えたとしても、また、突然その発達が現れたとしても、体や精神はいつでも変化し続けているのです。そのため、その時期における行為を保障していくことが大切になるのです。つまり「今をより善く生きる」ことが「望ましい未来を培う力となる」ということなのです。このように考えていくと子どもたちが毎日過ごしている様子はすべて意味があるということですね。大人から見て意味のないようなことをしていたとしていたとしても、それは将来の発達にとって必要なことをしているに違いないのです。不用意に静止したり、怒ったり、イライラしたりする前に、少しそんなことを考えてみるといいかもしれないと藤森氏は言います。

 

この順序性、方向性、連続性を考えると、例えば2歳児に対して「子ども同士が関わり合って遊ぶ姿は見られない」という観察から「2歳児までは子ども同士の関わりは必要ない」という考えが導きだすのはおかしいことになるというのです。子ども同士が関わって遊んでいるかいないかという問題は、2歳児では見られず3歳児になると見られるというように、子どもの月齢によって生起することではないのです。また、その時に「関わって遊んでいなかった」ということが、「集団はいらない」ということにはならないはずなのです。

 

つい保育をしていく中で、子どもたちの発達を理解しようとする上で「○○歳児だから~~」というような見方をしてしまうことがあります。その先入観自体が目の前の子どもたちの姿や発達成長を見失わせているのかもしれません。今の発達を見て当てはめていくよりも、先の発達を参考にし、環境を作っていく意識を持つことが重要になってきます。常に子どもたちは新しい変化が起きていく中で、その環境を作っていくためには目の前の子どもたちをよく見ていかなければいけません。こういった発達の連続性はあくまで目安であり、その通りではないということは知っておかなければいけないことです。

 

また、発達は遺伝的要因による成熟と環境的要因による学習との相互作用によって起きるということも藤森氏は言っています。これまでも遺伝か環境かということは言われていましたが、それは発達にとってはどういったことが言えるのでしょうか。