権限と権力

ドラッカーは「人は最大の資産である」と言っています。現場に責任を持たせることで成果があがるということは長い間知られてきたことであり、いくつかの企業が、取り組んで生きたことでもあります。そして、必ず成果を上げ、組織の体質を強化し、繁栄をもたらしてきました。結果としてマネジメントも強化されてきたと言っています。しかし、実際に行動に移したマネジメントはそれほど多くないとドラッカーは言っています。なぜ、多くのマネジメントにおいて、良いことが分かっていながらも実践がされていかないのでしょうか。

 

その主たる原因が「権限と権力の混同」とドラッカーは言っています。マネジメントは、肉体労働者からも、知識労働者からにも、責任を持ちたいとの要求に対して、それをマネジメント側の権限の放棄を要求するものと誤解して抵抗している。つまり、自らの権限を危うくすると誤解しているため、なかなか現場に責任を与えることを拒んでいると言っています。しかし、権限と権力は異なっており、そもそもマネジメントは権力を持たない、責任を持つだけであるとドラッカーは言っています。その責任を果たすために権限を必要とし、現実に権限を持つ。それ以上なにものももたないというのです。現場側とマネジメント側ではその役割は別であり、その権限によって現場に対しては本来は何も持たないということなのでしょう。マネジメント側が現場に権力を行使することは本来はないのです。

 

しかし、権限と権力の混同によって、マネジメントが自らと自らの組織にとって好ましくない結果をもたらした例は珍しくない。かつて分権化は大変な抵抗を受けました。それはトップマネジメントを弱体化させ、その執権を招くと心配されたためです。しかし、今日ではあらゆるマネジメントの分権化はトップマネジメントを強くすることを学んでいます。分権化によってトップマネジメントはより成果を上げ、本来の仕事ができるようになるのです。そして、トップマネジメントの権限は分権化によって増大するのです。逆に分権化がうまくいっていない場合は、マネジメントはマネジメントの仕事でない活動、マネジメントでは貧弱な成果しかあげられない活動、時間ばかりとられる活動にとらわれ、思ったような成果があげられないと言っています。

 

そして、トップマネジメントがかつて分権化に抵抗された理由はもう一つ。分権化が課すことになる高度な要求を恐れたということにあるというのです。これは働くものや職場コミュニティに責任を持たせることを恐れるマネジメントの抵抗も理由は同じだったそうです。責任を与えられたものは高度の要求をする。自らの仕事に責任を持つものは、マネジメントが報酬にふさわしい仕事をすることを要求すると言っています。

 

ここでドラッカーは大切なことを言っています。「人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。しかし人は、これらのことをゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みゆえであり能力ゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結び付け、人の弱みを中和することにある」というのです。

 

これはチーム保育にも言えることです。チーム保育をする上で、一緒に組む人の相性を見るようにしています。そして、弱みをフォローし、お互いを補いあうことでよりいいチームになるからです。このマネジメントは非常に難しいです。それぞれの人のパーソナリティを見ていかなければいけませんし、うまくそれが作用するかというとそうではないときも多くあります。だからこそ、マネジメント力というのは大切なのだと思います。どう人が動けるような環境を作ることができるのか、それは現場に権力を振りかざして、現場に口出しをするのではなく、現場に権限を持たせ見守るだけの器量も持っていなければいけないのですね。