適切な環境と刺激

小西氏は乳幼児位の環境において「適切な刺激」が必要だと言っています。では、なぜそもそも「臨界期」が乳幼児期にあるのでしょうか。これは生物が環境に適応していくために必要なものだからそうです。たとえば、赤ちゃんは日本に生まれたら日本語を学びます。そして、日本の社会ルールを学び、1人の人間として社会に適応して生きていきます。こういった生まれた環境に適応するための高度な能力が「臨界期」なのです。

 

小西氏は著書の中で、人間の発達に適切な環境が不可欠であることを物語る出来事を紹介しています。その一つが有名な「オオカミ少女」の話です。これは1920年孤児院を運営していたシング牧師夫妻が、伝道旅行の途中、原住民族から奇妙な化物の話を聞きます。調査をしていくと、オオカミの洞窟から手足身体は人間で、肩や胸まで髪が覆いつくし、鋭い目つきをした不思議な生き物を見つけます。シング夫妻は彼らが人間の子どもであると見抜くと、自分たちで引き取って、育てることにしました。このとき推定年齢が1歳半のアマラ、もう一人は8歳のカマラです。

 

発見当時、8歳だったカマラは、最初は乳と肉しか摂取しなかったのですが、次第にビスケットやケーキを口にするようになりました。四つん這いで歩いていた歩行も立膝になり、ついには二足歩行ができるまでになります。また、当初は人間社会から自由になろうと抵抗を示しましたが、それができないとわかると受容し、最後には人間的な関わりに好感を持つようになったと言います。しかし、アマラトカマラはシング夫妻の献身的養育にも関わらず、アマラは発見からわずか1年ほど、カマラは9年後に病気で死んでしまいます。

 

シング氏は、著書「狼に育てられた子――カマラとアマラの養育日記」の「遺伝と環境」と題した結論で、「カマラのばあいには、狼の環境の影響がおよそ万能といえるほどで、動物たちの手足と同じようになった彼女の肢体を、人間的生活に必要なように修正し、発達させることさえできなくしたということが、あっきりと立証されている」と言っています。シング氏は乳幼児期に与えられた狼の環境がカマラの人間としての発達を止めてしまったと述べています。この一件により、乳幼児期に発達を阻害する環境に置くことの怖さ、発達を促進させる外的な刺激の重要性が広く認識される一つのきっかけとなったのです。

 

小西氏はただ、この事例は社会的な接触の完全な遮断という極端な事例であり、これを早期教育の重要性に結びつけるのはいささか無理があると言っています。ただ、確実に乳幼児期において、環境の影響というのは大きいことであると思います。以前、私がいた園でもネグレクトの子どもがいました。園にもなかなか来れず、職員の母親に対する働きかけにより、幼児に上がるにつれて、徐々に保育園に来る機会が増えていきました。幼児に上がるにつれて、声を出したり、表情を変えたり、人と関わることが徐々に出てきましたが、知能は5歳の時点で、1歳児と知能障害が出ていたのは間違いありませんでした。ただ、集団の中に入ったことで、急に語彙が増えたり、関わりが増えたことを見ると、心理士の先生が言うには「もともと、知能的なハンデがあったかもしれないが、集団に入る環境にいる時期がもっと早かったら、こういった障害が重くなることはなかったかもしれない」と言っていました。私もそう思います。まさに、環境が適切ではなかったことが発達にも大きな影響を与えるということを知る機会になったのを覚えています。

 

そう考えると、アマラとカマラのように狼に育てられるといった環境はないにしても、刺激がほとんどなく、発達を阻害するという環境が今の時代はないとは言い切れないのかもしれません。