叱る

「リーダーシップをとる」ということの難しさを日々感じていますが、どういった時に人はリーダーシップを感じるのでしょうか。または、どうすれば信頼関係を持つことができるようになるのでしょうか。ただ、こういった関係性を作るうえで必要になってくるとどこでも言われることが「承認」ということです。相手の存在を「認める」ということがこの承認に込められているのですが、それは私にとっては難しいことでした。自分の思っているようにことが進んでいない時に相手に伝えるときにはどうしても、その意識を相手に伝えるということが難しく、質問しているつもりも相手にとっては詰問口調にとられたり、認めていないわけではないのですが、「叱られた」と受け止められることがありました。

 

では、こういった時にコーチングにおいてはどう考えたらいいのでしょうか。鈴木氏がある飲料メーカーで講演をしたところ、ある一人の管理職がこういいました。「承認することが大事であることはわかりました。でも叱ることが必要な時もありますよね。そういう時はどうするんですか?」確かに、この言葉は正直なところ私も疑問であった内容です。承認ばかりでは人は育つはずがないとまでは言わないですが、果たして、それだけで思った方向に人は向いていくのだろうかと考えてしまいます。

 

このことについて鈴木氏はそもそも「叱る」の定義について話しています。アメリカの心理学の本においては「叱るの定義」は「挽回への励まし」であると書いてあったそうです。そして、本来「叱る」というのは、「相手がミスをしたり、間違った時に“言い訳させずに、ダメなことはダメだったと認識させ、けじめをつけさせ、次に向かわせる”という行為」のことを指すと言っています。鈴木氏はその意識で叱るのであればよいと思うのですが、多くの場合、上司の感情的な反応でしかないことが多いというのです。つまり「自分が思った通りに動かないのは気にいらない、だから叱る」「自分が行ったことをやらないのは頭にくる、だから叱る」まさに、自分自身が思っているタイミングで「叱る」ということが起きているのです。

 

こういったことを部下は感じ取り反応します。つまり感情的になることに反応してしまい、本来の「叱る」といった「挽回への励まし」といった内容としては受け止めないのです。そうならないようにすること、つまり「反応すること以外の新しい行動に意識を向ける。それが“承認し続ける”」ということなのです。これは部下の言動や行動を見て、どんな小さなことでもポジティブなものを発見したら、そこに言葉を投げかけます。そして、これは「すごいね」といった言葉でなくても、行動に光が当たればいいと言います。「期限通りに企画書を出してくれたんだな」とか「急いで作ってくれたんだね」といったように、「知っている、気づいている、見ている、ただそのことを言葉で表す。表し続ける」ことが重要なのです。つまり、マイナスな行動を減らすのではなく、プラスの行動に目を向け増やしていくように考えるということです。そうすることで、自分で主体的に変わっていくというポジティブな意識に変えていくことの方がいいのではないかというのです。

 

なかなか、この意識に変えていくのは難しいですが、以前、私はある先生に「無いものねだりではなく、あるもの探しをしよう」といわれたことを思い出しました。これは保育でも同様です。自分自身、なかなかそこに目が向かず、考えさせられることが多くあります。本当に待つだけで人は育つのだろうか、しかし、子どもたちの様子を見ていると、待つことの重要さ、自ら育っていく過程のすごさを感じます。それは大人でも同様なのかもしれません。自ら育とうとする力を持てば、自ら育つための知識を得ていきます。それは環境においておきることであり、もう少し、長い目で見て考える視野の広さが必要になってきますね。