意見を言う

組織的に集団で動こうとすると、どうしても行われることが多くなるのが「会議」です。保育をしていく中でも、「職員会議」をはじめ、「クラス会議」「行事の会議」など、日々様々な会議が起きています。先日、ある職員と話をしている中で、「最近の会議はどう話合えてる?」ということを聞いてみました。すると、「割と最近は自分の言いたいことが言えるようになってきました」という言葉が返ってきました。これは、逆にこれまでは「言いにくかった」ということを意味しています。

 

鈴木氏は組織における個人のウェルビーイングに関して、様々な提言をしている石川善樹さんの講演での一言を紹介しています。そこにはこうあります。「“信用は理性的な判断だけれども、信頼は感情的な結びつき”―――だから“彼の能力は信用しているけれども、人としては信頼しきれない”という表現が成り立ちます」これは逆もあり“彼という人間は信頼しているけれども、彼の仕事の正確性を信用してはいない”ということです。また、これとは別に「信頼と信仰の違いというのもありますね」と石川さんは言います。そして、こう続きます。「信頼も信仰も“感情的な結びつきがある”という意味では同じ、しかし、信頼は異論反論を許すけれど、信仰はそれを許さない。異論反論を許し合ってこそ、本当の意味での信頼が醸成される」と言っています。

 

これは様々なミーティングや会議で意見においても、影響があると言っています。「自由な発言するには安心感が必要です。」「安心感は信頼感をもとに生まれるものです。」「信頼は異論反論を許し合う中でこそ育まれる。」つまり、日ごろから「異論反論を投げかけても大丈夫だ」という双方の体験が信頼を作り、安心感を生み、自由な発言を可能にするということにつながると鈴木氏は言うのです。

 

では、異論反論を許し合うということはどういうことを言うのか。これは意見を避けたり、かわしたり、つぶしたりすることでも、ただ賛成することではありません。あくまで「チームや組織の発展」という共通の目的に向けて、大切な貴重なかけがえのない情報として扱うようにコーチである人は意識しなければいけないのです。

 

そう考えると職員が「意見が言えるようになってきた」という言葉には職員関係における信頼関係ができるようになってきたということが言えるのでしょう。ただ、そういった職員はひとりではなく、隠れていることが多くあります。コーチはそういう状態において、一人一人の様子を観察し、各々が主体的に動くことや意見が言えることができるような環境作りをしていくことが求められていくのでしょうね。