11月2019

現場の責任

前回紹介した3つの条件が働きがいにつながるものであり、仕事に責任を持たせるための条件であるとドラッカーは示しています。そして、これらの条件は働くものが自らの仕事、集団、成果について責任を持つためのいわば基盤であると言います。そのため、それらを持たせることはマネジメントの責任であり、課題でもあるのです。しかし、この条件に取り組むべきはマネジメントする側だけが一方的に取り組むべき問題ではないと言います。これらの条件すべてにおいて、実際に仕事をするもの自信がはじめから参画していなければならないのです。仕事、プロセス、道具、情報についての検討に初めから参加しなければいけないのです。そして、それぞれの知識、経験、欲求が、仕事のあらゆる段階において貴重な資源とならなければいけないのです。

 

仕事をいかに行うべきかを検討することは、働くものとその集団の責任であり、仕事の仕方や成果の量や質は、彼らの責任であるというのです。したがって、仕事、職務、道具、プロセス、技術の向上は彼らの責任といえるのです。これは厳しい要求です。しかし、満たすことのできる要求なのです。

 

実際、仕事をすることにおいて、責任をもつことの重要性は非常に感じます。当然、その責任を負うということは厳しいことも多くあります。しかし、その中で、行動を起こすことによって成果が生まれ、そして、そこで得た感覚は知恵や経験となります。成果は自信につながります。たびたび、職場においても、マネジメントをしていく中で、トップダウン型の組織形態ではなく、ボトムアップ型の組織構図のほうがうまくいくように思います。なぜならばそれはドラッカーも言うように「仕事を生産的なものにするうえで独創性に期待することは夢想である。必要なものは、実際に働く者の知識と技術である。かれらこそ唯一の専門家である。仕事とは総合的なものである」というように、現場を任せている人たちの経験や技術はとても大きな資産であるということもいえるからです。そして、その働いている人それぞれのスキルアップのためには研修をすることではなく、研修で学んだことを実践することであり、結局は現場が動くことでスキルアップになっていくのです。そして、そのためには責任をある程度、持つ必要があるのだと思います。良かれと思って、マネジメントをする側が前に出ることは現場のスキルアップの瞬間を無くしてしまいかねないのです。

 

マネジメントをする上で、こういった現場にいる働く人に対する環境作りというものが大切なのではないか、とドラッカーの内容を見ているとより感じます。「現場に責任を与えること」ということが働きがいにつながりますし、そして、そこから見えるより良い組織づくりにおいて、マネジメントの向かうべき方向性はしっかりと見通していかなければいけないというのがわかります。

働きがい

ドラッカーは働いている人たちに働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならないと言っています。そして、そのためには①生産的な仕事、②フィードバック情報、③継続学習が不可欠であると示しています。では、それはどういったところを指すのでしょうか。

 

第一に「生産的な仕事」です。そもそも、仕事に責任を持たせようとしたときに、仕事を分析せず、プロセスを総合せず、道具や情報を設計せずに、仕事に責任を持たせようとしても無駄であるというのです。しかし、このことは独創性のスローガンには反するとドラッカーは言っています。人は速悪から解放されれば、専門家よりも優れた生産的な答えを出すという考え昔からあるというのです。しかし、独創性と言ってもそもそも、基本を知っていないと独創性のある仕事にはつながらないというのです。そして、正しい仕事の構成は直観的に知りうる代物ではないのです。そして、その基本構成を知ることで、独創性のあるものに変わってくるのです。

 

このことは保育をしているとよくわかります。実際、子どもの心理学や発達が出ているものであっても、目の前の子どもがそれ通りの発達をするとは限りません。あくまで、研究者の発表は一つの目安でしかないのです。逆に、保育者が子どもたちの姿を切り取り、そこから発達に当てはめていくというプロセスで物事を見るほうがより具体的で専門家の方々も驚く結果が出ることがあります。しかし、そのためには、根本的な子ども観を持っていないとできないことでもありますし、そういったことを見ることができる機会や行事などのあり方を見直したり、用意していなければいけないのです。こういったところが一つ目における保育機関のマネジメントと言えるのかもしれません。

 

二つ目に「フィードバック情報」です。これは成果についてのフィードバック情報を与えることを言っています。自己管理が可能でなければいけない。自らの成果についての情報が不可欠であるというのです。確かに、働いていく上で、自分がどれだけ成果としての実感を持っているかということは働きがいを見つけるにあたって重要な要素としてあるように思います。そして、それが所属観や安心感にもつながります。ここで重要なのが、それはあくまで「自己管理」ということなのだと思います。つまり、マネジメントする側から見るとそこで働く人自体が動いた成果でなければ、実感としての成果にはつながらないようにも思います。そのため、より有用なフィードバック情報を与えるためにはそこに至るまでのプロセスもしっかりと把握しておく必要があるのだと思います。

 

3つ目の「継続学習」ですが、継続学習は肉体労働と事務労働にも必要ですが、知識労働にはさらに必要な事柄であると言っています。なぜなら、知識労働が成果をあげるためには専門化しなければならないからです。つまり、他の専門分野の経験、問題、ニーズに接し、かつ自らの知識と情報を他の分野に適応できるようにしなければならない。経理、市場調査、企画、など知識労働に携わる作業者集団は、学習集団とならなければならないというのです。

 

こられの条件が働きがいのために必要であるというのです。しかし、ここにはもう一つこの条件を生かすために重要なことがあるとドラッカーは言います。

労働における5つの次元

ドラッカーは仕事と労働について、マネジメントは「生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果をあげさせなければならない」と言っています。そして、仕事と労働(働くこと)は根本的に違うと言っています。確かに仕事をするのは人であって、仕事は常に人が働くことによって行われることは間違いないが、仕事の生産性をあげるうえで必要とされるものと、人が生き生きと働くうえで必要とされるものは違うというのです。そのため、仕事の論理と労働の力学の双方に従ってマネジメントしなければならないのです。つまり、働くものが満足しても、仕事が生産的に行われなければ失敗であり、逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きと働けなければ失敗であるのです。また、ドラッカーは働くことは人の活動であるといっていて、人間の本性でもあるとしています。そして、これを労働における5つの次元として挙げています。

 

一つ目が「生理的な次元。」人は機械ではないので、機械のように働くことはできない。一つの動作しかさせられないと著しく疲労します。心理的な退屈や生理的な疲労もある。人はそれぞれのスピードやリズムがあり、同じ一定のスピードやリズムで働くことには適さないなど、生産性をあげるためには予測できることが一番だが、ある程度の余裕を持たすことやそれぞれに合わせた環境を作っていかなければいけないのです。でなければ、仕事にとっては優れた環境であっても、人にとっては最悪な環境になりえてしまうのです。二つ目の次元が「心理的な次元」です。これは人にとって、働くことは重荷であると同時に本性でもあるということです。ドラッカーは働くという行為を人格の延長であるといい。自己実現であり、自らを定義し、未渦からの価値を測り、自らの人間性を視るための手段であると言っています。もし、人が働かなくてもいい、労働のない社会が実現したとしたら、人は人格の危機に直面するだろうというのです。

 

三つ目は「社会的な次元」組織社会において、働くことが人と社会をつなぐ主たる絆となり、社会における位置づけまで決めるというのです。人は働くことで社会に属し、仲間を作る欲求を満たす手段でした。アリストテレスは「人は社会的動物である」と言いましたが、人は社会との絆のために働くことを必要とするといったのです。そして、働くことを通じて社会との結びつきは、時として家族との結びつきよりも意味を持つのです。それは若い独身者や子どもたちが独立した後の年配者について言えます。四つ目の次元は「経済的な次元」です。労働は生計のもとであり、存在の経済的な基盤であるのです。しかも、それは経済活動のための資本を生み出し、経済活動が永続するための基盤をもたらし、リスクに対しての備えであったり、明日の職場をつくりだし、明日の労働に必要な生計のもとを生み出します。そして、このことは私有、国有、従業員所有のいずれであっても避けられないというのです。五つ目は「政治的な次元」集団内、特に組織内で働くことは、権力関係が伴います。組織では、誰かが職務を設計し、組み立て、割り当てます。こうして労働は順序に従って遂行され、組織の中で昇進したりしなかったりします。このように権力は誰かが行使するようになるのです。

 

ドラッカーはこれまでのマネジメントのアプローチではこの5つの次元のうち、一つだけを唯一のものとした改善をしているところに誤りがったとしています。そして、多くの経済学者は経済的次元が他のすべての次元を支配するとしていたと言います。しかし、マネジメントをするためにはこの5つの次元とそれらの関係について、今日以上に知らなければいけないとドラッカーは言います。

 

確かに、保育者において職場を選ぶ視点は意外と「賃金面」ではなく、「人間関係」であったり、「職場環境」「仕事量」といった部分であったりします。保育現場においてはそのほとんどは「人間関係」において成り立っています。なおのこと、経済面だけでは続けることは難しい部分があるように思います。こういった働く人を取り囲む「次元」を理解しておくことでマネジメントの指標は見つけていくことができるのですね。

公的機関のマネジメント

ドラッカーは公的機関についても話しています。マネジメントというのは企業だけに限らず、政府機関、軍、学校、研究所、病院、労働組合、法律事務所、会計事務所、諸々の団体など、いずれも組織であり、マネジメントを必要とするとしています。そして、これらの企業以外の組織、公的機関こそ、現代社会の成長部門であり、成長部門はサービス部門であると言っています。当然そこには様々なスタッフがおり、企業内サービス部門においても、マネジメントがあり、成果を上げるためにマネジメントしなければならないとドラッカーは言っています。

 

そして、こういったサービス機関は、政府機関や病院のような公的機関であれ、企業内サービス部門であれ、すべて経済活動が生み出す余剰によってコストが賄われていると言います。それらは間接費、すなわち社会的間接費あるいは企業内間接費によって賄われているのです。平たく言うと企業においては利益から出たものの転用であり、公的機関は税などによる社会的な費用で運営されており、自前の売り上げで運営されているというものではありません。そして、こういったサービス機関は現在社会の支柱であり、社会構造を支える一因であると言っています。社会や企業が機能するには、サービス機関が成果をあげなければならないというのです。しかし、公的機関のせいかは、立派どころか、なるほどと思わせるレベルにも達していないとドラッカーは言います。

 

これは手厳しい指摘ですね。学校や病院は一昔前に比べると巨大化しており、予算は急増しているが、その反面あらゆるところで危機に瀕しているといのです。確かに少子化になり、大学は定員割れが多く出ています。病院においても、残る病院とつぶれる病院といったように格差が出てきているという話を聞いたことがあります。郵便や鉄道はどうでしょう。19世紀にはさほど苦労はなくマネジメントされていたのが、今日では巨額の補助金を受けつつ膨大な赤字にあえぎ、しかもサービスは劣化しているといっています。そのために国営から民間に日本は変化していっていますね。中央政府や地方自治体も、一層の成果を求めて絶えず組織改革を行っている。こういった中、あらゆる国において、官僚主義への不満が高まっているというのです。それは貢献と成果のためではなく、そこにいる者のためにマネジメントしているとの不安さえあるというのです。

 

では、公的機関は不要なのか?というと、やはり社会の支柱ということもあり、廃止ができるものではありません。なぜなら、公的機関こそ、社会に貢献すべきところが多分にあるからです。そのため、ドラッカーは「われわれに与えられてた選択は、サービス機関が成果をあげるための方法を学ぶことにほかならない」と言っており、そおためにマネジメントが必要だと言っています。

事業と保育

今日の企業は、組織のほとんどあらゆる階層に、高度の知識や技術を持つものを多数抱えていると言います。そのため、企業そのものや企業の能力に直接影響を与える意思決定が、組織のあらゆる階層において行われているのです。当然、それぞれで漠然とではあっても、自らの企業について何らかの定義を持って意思決定を行っているのですが、企業自体がその「自社の定義」をもっており、それを伝えていなければ、あらゆる階層の意思決定が、それぞれ違い両立不能な矛盾した企業の定義に従って行われることになるのです。そのため、あらゆる組織において、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには、「我々の事業は何か。何であるべきか」を定義することが不可欠であるとドラッカーはいいます。

 

ドラッカーは自らの事業は何かを知ることほど、簡単で分かりきったことはないと思われるかもしれない。しかし、分かり切った答えが正しいことはほとんどない「われわれの事業は何か」を問うことこそ、トップマネジメントの責任であると言っています。そして、企業の失敗や挫折の最大の原因はこの企業の目的としての事業が十分に検討されていないことだと言っています。逆に成功を収めている企業の成功は、「われわれの事業は何か」を問い、その問いに対する答えを考え、明確にすることによってもたらされていると言っています。

 

これは保育にとっては各現場での保育カリキュラムや保育のねらいといったものが企業で言う「事業」にあたるのかもしれません。それぞれのクラスやチームで園の理念を理解した上で、クラス運営をしていかなければいけない。そのためには、園がどういった理念を考えているのか。どこに目的があるのかといったことを理解し、実践していくことが重要になってくるのだと思います。そのため、マネジメントをする側の人の役割は園の理念をしっかりともち、その理念を周りに浸透するための方針を持っていなければいけないということなのだと思います。そして、それを実現するにあたり、ドラッカーは「その出発点は顧客でなければいけない」と言っています。事業は社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義されるのです。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的であり、その実現が事業なのです。

 

そのために、では「顧客」とは保育や教育の世界において誰のことを指すのでしょうか。このことを知ることは組織や企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いとなるのです。この問いに対する答えによって、企業が自らを定義するかがほぼ決まってくるとドラッカーは言います。