8月2020

応答的関わり

先日、大学院の授業で、「応答的関わり」とはどういうことかということが話されていました。よくよく考えるとよく言う「応答的関わり」という子どもとの関わり。その関わりというのはどういったことを指すのでしょうか。

 

この「応答的関わり」という言葉ですが、保育所保育指針やこども園教育保育要領にも書かれています。そのほとんどは乳児保育に関する部分に書かれています。どうやら、日本の保育においては乳児期には「応答的な関わり」というのが大切なのだということなのでしょう。では、幼児期になるとそこはどう変わっていくのかというと。幼児期になると保育者との応答的な関わりから「仲間と遊び、仲間の中の一人という自覚」といったように保育者ではなく仲間関係における書き方がされています。つまり、関わりは大人(養育者)ではなく、子ども同士に関係が移行していくというのです。

 

では、海外においてはどう書かれているのでしょうか。1997年~2008年の英国EPPE(Effective Provision of Pre-school Education)と1997年~2014年のEPPSE(Effective Pre-school and Primary Education)の調査における優れているプレスクールの特徴を分析した結果、見えてきた保育者と子どもたちとの関わりに関する共通点に3つ項目があり、そのうちの一つに「保育者の子どもたちへの関わりが、温かく、応答的であること」とありました。ほかにも「『ともに考え、深め続けること』と呼ばれる関わりを含む、保育者と子どもたちの質の良い関わり」とあります。つまり、優れている保育において「応答的関わり」というのは海外においても、日本においても、重要であると言われているようです。

 

しかし、応答的関わりというのは具体的にはどういったことをいうのでしょうか。これは私たちが行っている「見守る」という保育がどういったことなのかが伝わりにくいのと同様に、想像がつかない人も多いように思います。応答的に変わっているつもりであっても、実際は知らず、待てなくて手が出ていたり、見守っているつもりが、実際は放任的な形になっていたりと、その定義はあいまいであるように思います。では、その応答的というのは具体的に言うとどういうことなのでしょうか。

 

ニューヨーク大学の発達心理学者のタミス=ルモンダは応答的について「乳児の探索的なコミュニケーションの行為に対して親がすぐに付随して反応する」と言っています。また、ランドリー・スーザンとスミス・カレンの2006年の論文で応答的について4つの定義をしています。

なぜ、4月入学?

最近、新型コロナウィルスの流行によって、小学校の入学を4月ではなく、9月にすればいいのではないかという議論が起こっています。私個人の見解としては、4月でも、9月でもどちらでもいいのですが、子どもたちの発達のスピードや教育の理解度によって、進級や進学が保証される教育現場に変わっていってほしいものだと思っています。これは前回紹介した「早生まれの不利」にもつながる話です。分からないまま、自動的に進んでいく教育体制自体がおかしいのではないかと思います。日本国民は全員に適切な教育を受けることができるはずなのに、そうではないということは前回の内容に書かれています。まだまだ、日本はそういった保証がうまくできているようには感じません。

 

さて、この日本の「4月入学」という話ですが、ではなぜ、日本は4月入学なのでしょうか。元々日本における学校は寺子屋・藩校・私塾というのが中心でした。有名なところで行くと藩校は薩摩藩や会津藩などが有名であったように思います。私塾で言うと吉田松陰の「松下村塾」などが有名ですね。これらの学校では入学の日というものは特定されておらず、随時入学することができました。なぜなら、この時代、子どもは大切な働き手です。そのため、入学する日も各々の事情によりバラバラだったのです。また、時間割も決まっておらず、子どもたちは学びたいときに学びたい時間だけ学ぶということが主流でした。

 

その様相が変わったのは明治維新です。西洋文化が入ってくるようになり、西洋の教育体系が日本でも導入されました。そのころ、高等教育の入学は9月入学だったようです。では、なぜ4月になったのでしょうか。これにはいくつかの説があるみたいです。

 

一つは明治19年(1886年)に国の会計年度が3~4月に行われるようになったことです。「会計年度」とは、歳入・歳出の区切りとされる機関のことで、通常1か年を1会計年度としています。『明治財政史』には明治元年(1868年)までは「旧暦1月―12月」で会計を区切っていました。しかし、明治2年(1869年)に国が官公庁が予算を執行するための「会計年度」の規定を設け「旧暦10月―9月」としました。その後に改暦されると」「1月―12月」「7月―6月」などと変更され、明治19年(1886年)に「4月―3月」になり今に至ります。

 

では、最終的になぜ4月になったかというと、主な理由は日本が稲作をしていたことが大きな理由です。つまり、当時農家が多く、政府の税金収入源は米だったため、秋に収穫した米を現金に換え、納税されてから予算編成をしていくには、1月はじまりでは間に合わなかったからなのです。

 

もう一つの説が軍との関係です。明治19年(1986年)12月、徴兵検査を受ける義務のある満20歳男子の届け出期日が9月1日から4月1日になりました。それによって、東京教育大学(現 筑波大学)の前身の高等師範学校が4月入学に変わりました。それ以降、多くの学校が4月入学に変えています。徴兵検査に対応して、入学時期が変わった理由について船寄俊雄・神戸大学教授は「当時の高師と師範には20歳以上の新入生がおおく、9月入学のままだと優秀壮健な人材が先に陸軍に取られてしまう。軍との人材獲得競争だった」と言っています。「4月はじまり」は教育効果への期待というより、軍や役人の都合によって定められたのが実情だったというのです。

 

4月入学の理由は稲作による税収であったり、軍の徴兵によって決まってきたのですね。現在、日本はここで出てきた理由とは生活スタイルが大きく違います。多くは農業をやっているわけでもなく、徴兵もありません。子どもたちが働かなくてもいい時代です。であるならば、より教育効果にあった入学時期や教育スタイルに変えてもいいのではないでしょうか。そして、本来として「子どもたちの利益」になるような判断がされることを今の時代行う必要があるように思います。

早生まれへの対策

東京大学大学院教授の山口教授は「早生まれの不利」によって非認知能力が育たたないことに警鐘をならしています。そして、その影響は学力や就職、所得に限らないといっています。非認知能力はそれ以外にも、対人関係に大きな影響を与えるというのです。早生まれの子どもは学校の教師や友人と良好な関係を結べないと感じていることが多く、対人関係の苦手意識は年齢を重ねるにつれて悪化していく傾向にあると言っています。そのため、他愛のない子ども同士の遊びやスポーツは、子どもの成長に決して無駄ではないというのです。

 

そのため、親が「良かれ」と思って、遊びの時間やスポーツの時間を削ってまで、習い事や塾といった“対策”をすることは、子どもたちにとってかえって不利にしていくということにつながるのです。

 

「生まれ月によって生じた差は、入試制度によって固定化されてしまうのです。遅生まれの子どもは偏差値の高い高校に進み、優秀な教師や友人と出会い、レベルの高い大学に入学し、一流会社に入社するといった正のスパイラルに乗りやすく、早生まれの子どもは負のスパイラルに陥りがちになります。だから、成人になっても差が続くと考えられます」と山口氏は言うのです。

 

では、何も対策はないのでしょうか。山口教授はこう言っています。

「制度的には、入試などの重要な場面において、生まれ月ごとの合格枠や、影響を補正した点数や評価の導入といった方法が考えられます。今からでもできる対策としては、教職員の皆さんは早生まれの子どもは不利であることを認識し、子どもたちの力関係に任せず、早生まれの子どもにリーダーシップを取らせたりしてみてはどうでしょう。親御さんは学業だけに目を向けず、非認知能力を高めることを意識してほしいと思います」と教育制度について話しています。

 

私は常々、海外のように「留年」などの措置を取れるようにしたほうが良いのではないかと考えています。ドイツでは小学校に入学する前に進級・進学するかどうかは親に確認するそうです。「進学しますか」「それとも留まりますか」と聞くそうです。そこで、学び足りないところや分からないところがあるとstay(留まる)ことができるのです。また、オランダのイエナプランでは3学年で異年齢の学級がつくられており、3学年進級するともう一度異年齢の一番年下を体験するという方法を取っていました。そうすることで、一番上の年齢になることと、一番下の年齢になることを体験すると言っていました。そして、それは異年齢による「学び合い」があるからであると言っていました。

 

今、自分のいる園では年齢別ではなく、異年齢で過ごしています。そうすることで、子どもたちは自分の友だちを「発達」に合わせて遊んでいるのが分かります。決して、「5歳児だから5歳児で遊ぶ」わけではないのです。子どもたちは「年齢別」で遊ぶのではなく、「発達別」で遊んでいます。大人が勝手に決めた4月という区切りで困っている子どもは意外に多くいるのかもしれません。大人が勝手に決めた、「教育」に子どもたちは振り回されている子どもも多いのかもしれません。一体何のために教育があり、誰のための教育なのか、そして、その力はいつ発揮されるべきもので、どういった力なのか、さまざまな研究が起こっている中で、本質を見つめることの重要性をとても感じます。

早生まれが不利な原因

山口教授は「近年の研究で、社会的に成功する人は非認知能力が高いことがわかってきています。非認知能力の低い人は犯罪で逮捕される率が高く、収入も少ないという統計もあります。今まで認知能力に比べて軽視されてきましたが、実は非認知能力は非常に重要です。早生まれの子どもは同じ学年の遅生まれの子どもに比べて認知能力と非認知能力がともに低い傾向が強いのですが、親御さんは目につきやすく対策しやすい認知の力の向上に偏重した投資をしてしまうケースが多いのです。」と言っています。

 

山口教授の調査によると、中学3年生の早生まれの生徒は、遅生まれの生徒に比べて週に0.3時間多く学校外で勉強し、読書時間も0.25時間多く、塾に通っている率が3.9%高かったという。その一方で、早生まれの生徒は、スポーツや外遊びに費やす時間が最大で週に0.52時間少なく、学校以外の美術、音楽、スポーツ活動に費やす時間が最大で0.19時間少なかった。こうやって見ると遊ぶ時間や自分の趣味に使う時間というのは遅生まれの子どもたちに比べて、少ない傾向にあるんですね。山口教授はこういった子どもたちの学業における「不利」な部分を塾や勉強・読書当てることで、遊ぶ時間やスポーツをする時間がすくなくなり、その結果、非認知能力が育ていにくくなってる可能性があると言っています。

 

以前のブログにも「遊ぶが学びにつながる」ということにも書きましたが、まさにそこで書いたことと同様のことを指摘しています。M・ウェンナー氏は自由遊びが社会性を育てることにも繋がっていると話していました。そのうえ、思考力や想像力にも遊びは影響すると話しています。そうすると、読書や塾通い、読書に充てられることが子どもの学力につながってこないというのは紹介した通りのことが日本でも同様におきているのですね。

 

山口教授は「親が子どもを思うための“対策”によって、“より不利になっていく”」と警鐘を鳴らしています。そして、他愛のない子ども同士の遊びやスポーツは、子どもの成長に決して無駄ではないと言っています。

 

「生まれ月によって生じた差は、入試制度によって固定化されてしまうのです。遅生まれの子どもは偏差値の高い高校に進み、優秀な教師や友人と出会い、レベルの高い大学に入学し、一流会社に入社するといった正のスパイラルに乗りやすく、早生まれの子どもは負のスパイラルに陥りがちになります。だから成人になっても差が続くと考えらえる」と言っています。これが30歳になってもこの差が埋まらない大きな要因であるというのです。

 

では、このことに対して何か対策をすることはできないのでしょうか。

山口教授はあることを提案しています。

早生まれは不利?

2020年8月18日のyahooニュースに「早生まれの不利は大人まで続く」という研究発表が紹介されていました。これまで早生まれつまり「1月~3月生まれ」の子どもたちは学校生活では損をすると言われてきました。これは保育をしていれば特に感じるのですが、この「月齢」は特に乳幼児期は大きく差がでます。では、小学校ではどうかというと記事には「幼少期では生まれた月の違いによる成長差は大きく、学年内で“最年長”の4月生まれの子どもは相対的に体格がよく、勉強やスポーツに秀で、リーダー的な存在になりやすい一方で、“最年少”の3月生まれは何事にも遅れがちになる」と書かれています。乳幼児期においても、児童期においてもどうやらこの「月齢」というのは何かしらの影響が出ているということが分かります。

 

そして、ここからが重要です。一般的にこうした差は小学校までの間だけで、年齢を重ねることなくなると言われていました。しかし、東京大学大学院経済研究科の山口慎太郎教授は

7月11日に公表した論文で、生まれ月による差は想像以上に長く続くとする研究結果を発表しました。

 

「早生まれの不利は、高校入試にもあらわれています。3月生まれと4月生まれで入学した高校の偏差値を比べると4.5も違います。大学の進学率も早生まれのほうが低く、これは日本に限らず、アメリカやカナダでも同じ傾向があります。さらに早生まれの不利は大人になっても消えず、早生まれの人は30~34歳の所得が4%低くなるという研究報告が出ています。」と書かれています。その影響は30歳の頃にまで影響してくるというのは衝撃です。

 

なぜそんなことが起きるのでしょうか。山口教授によると、そのキーワードになるのは「認知能力」と「非認知能力」と話しています。これはこれまでもこのブログの中で取り上げてきた内容です。認知能力は、IQや学力テストなどの頭の良さを指します。それに対し、非認知能力は「最後までやり抜く力」や「感情をコントロールする自制心」「ルールや約束を守ろうとする心」「他人と良い関係を築く力」など、社会性・情緒・内面の能力を指すとここでは紹介されています。

 

これまでも、宮口幸治氏の著書「ケーキの切れない非行少年たち」では軽度発達障害にも入らない境界知能の少年たちがこれにあたっているということが言われており、非認知能力である実行機能の低さに問題があるということを言っていました。今回は非行少年ではなく、一般的な子どもたちの実態が現実的にあることが示されています。つまり、「早生まれ」の子どもたちを大きく見るとかなりの人数がそこに該当していきます。このことを考えると日本の年度の考え方も大きく影響しているのかもしれません。

 

では、実態的に早生まれの子どもはなぜ、遅れることが多いのでしょうか。