遊びの本質

先日、大人にとっても「遊びが大事」と言っていました。しかし、私の言っていた趣味としておこなう「遊び」というのはここで言われる「自由遊び」ではありません。規則があり、一定のルールがあります。このことを子どもたちの遊びに当てはめて見ましょう。たとえば、子どもたちに「運動をする遊び」というとどういったことを思い浮かべるでしょうか。多くの人は、サッカーや野球などの遊びが出てくるのではないでしょうか。では、そこに「自由遊び」の要素はあるのでしょうか。こういったサッカーや野球などはルールがあります。専門家はこういったゲームや系統だった活動は「自由遊びを侵食している」と言っています。

 

こういった系統だった。規則に従うゲームは面白いし、学習体験としても大切なことが言われています。ミネソタ大学の教育心理学者ペレグリーニも、そうしたゲームは社会的なスキルや集団の団結力といったものを伸ばすだろうと言っています。しかし、その反面「ゲームには、あらかじめ決められ、従わなければならない、優先されるべきルールがある」と言っています。そして、「ところが遊びにはそうしたルールがないので、より創造的な反応ができる」というのです。たしかに、ゲームや競技といった系統だった活動というのはルールがある分、あらかじめ、それを守ることが求められます。一方で、自由遊びというはその場で起きることはイレギュラーなことも多く、その都度、ルールを作っていかなければいけないですし、ある意味で「フリースタイル」です。

 

そして、このような創造的な側面は、発達中の脳にとって、あらかじめ決められたルールに従うよりも良い刺激となるため。極めて重要だといいます。自由遊びでは子どもたちは想像力を使って新しい役割や活動を考え出すことが求められるのです。

 

子どもたちが自由に遊んでいる中では、さまざまな場面が見られます。たとえば、ままごとではそれぞれがそれぞれの役割を演じたり、子どもたちの戦い遊びなども、今の子どもたちを見ていると決して「ヒーローと悪者」という構造ではなく、「ヒーロー対ヒーロー」になっていたりと役割が混とんとしています。こういったように自由遊びにおける遊びのあり方の定義は非常に多岐に渡ります。

 

さらに自由遊びには、動物にみられる遊びに非常によく似ていることから、重要な進化的ルーツがあることが示唆されています。「Genesis of Animal Play(動物の遊びの起源)の著書 バーガード氏は、18年をかけて、動物を観察し、遊びをどう定義したらよいかを学びました。そこでは「反復的であること」「自発的であること」「ゆったりとした状態で始められること」が条件だと言っています。動物も子どもも、栄養を十分に与えられないときや、強いストレスにさらされているときには遊ばない。最も大事なことは、観察されている状況において、その活動に明白な機能があってはならないことだ。つまり、明らかな目的がないことが条件だというのです。

 

「自由遊び」とは「明らかな目的がない」ことが言えるのです。確かに子どもたちの遊びには「目的はない」ですね。「楽しいからやってみる」といったことが言えるのかもしれません。それに比べ、最近ではルールのある遊びをさせようとさせすぎているところもあるのかもしれません。現場を見ていると「柔軟性」というものがなかなかできないことが多いです。それは私自身も人のことは言えません。その部分の裏にはこういった系統だった遊びが進められており、「自由遊びは悪」といった風潮があるからなのかもしれません。