指さしから象徴機能

指さしには、ことばと共通する記号的な働きがあると言われています。指によって、指すものと指されるものが分化していくのです。しかし、生後12-15カ月児の指差しは指さされるものを代表しているわけではないので、ことばの中心的な働きである表象機能を欠いています。つまり、その指差しは指をさされた対象を表すために示しているのではなく、あくまで、指示をする道具に過ぎないのです。

 

このことについて、ウェルナーとカプラン(1963/1974)は指差しは社会的文脈の中で産出される指示的行為なので、目の前の具体的対象を指示するにすぎませんが、対象の特徴から抜き取られて別の素材からなる媒体(身振りや言葉など)で表示される真の象徴に向かう第一歩だと考えたのです。赤ちゃんは指差しを通して、養育者を支持し、そのやりとりの中からそのもの本来を理解することにつながるというのです。そのため、指差しを行い、それに応じて応答することで象徴機能が備わってくるというのです。

 

では、相手との共有や共感が取りにくい自閉症の子どもにとってはどうなのでしょうか。自閉症児の場合は、原命令の指差しの理解、表出は可能ですが、原叙述の指差しは理解、表出とも困難であると言われています。また、人間に育てられた大型猿人類は原命令の指差しはありますが、原叙述の湯伊佐氏はないとの報告があるといいます。つまり、指示的に指差しはするが、それがどういった意味があり、相手との気持ちの共有、驚いたことを伝えたり、お気に入れのターゲットを知覚し伝えたりするということはできないというのです。こういった気持ちのやり取りも乳児は指差しによって行っており、この相手に見たものを知らせようとするモチベーションにより原叙述の指差しが行われるのです。そして、そのモチベーションが言葉につながっていくのです。

 

トマセロ(2008/2013)は指差しには、共有する(他者と感情や見方を共有したい)、知らせる(他者に役立つことや面白いことを知らせて助けたい)、要求する(他者に自分が目標を達成するのを助けてほしい)という、たしゃを助ける・助けられることと共有するという、ことばの基盤ともなる協力に基づく基盤構造が働いているとしていると言っています。

 

赤ちゃんは「人を助けたい」という基盤構造があるとトマセロは言っているのです。そして、いかにして「人とつながるのか」ということを赤ちゃんは能動的に取り組んでいるのですね。このことを見るといかに「ネグレクト」というのが一番虐待の中でひどいと言われているのかということが分かります。「ヒトと関わる」という行為はヒトが生まれ持った力であり、人の根源となる力でもあるのだということです。「ネグレクト」はそのやりとりを切っていく行為です。一番の赤ちゃんの強みであり、学習であり、サインであるということを切ってしまうと、それが精神的にも発達的にも大きな影響を与えてしまうというのは容易に想像がつきます。やはり、乳児期の応答的なかかわりというのは非常に重要な意味があるのですね。