大人も遊ぶ

ブラウン氏はヒトでも、動物でも、遊びのない幼年期を過ごすと、正常な社会的、感情的、知能的発達が妨げられるといっており、いくつかの研究においてもそれは裏付けられています。子どもの自由遊びを制限すると、不安を抱えた、不幸で社会にうまく適応できない大人になるのではないかと懸念しています。では、幼年期に遊びがなかった場合、もう取り返すことができないのかというと、遊びをはじめるのに決して遅すぎることはないとブラウン氏は言っています。大人になっても遊びは精神的・肉体的健康を促進するというのです。大人にとっても「遊ぶ」というのは大切なようです。

 

これはコロラド大学のボールダー校のベコッフ氏は「遊ばずにいると大人もやがてめちゃくちゃな忙しさのせいで燃え尽きてしまうかもしれない」と言っています。あそばない大人たちは、どうしてそうなってしまうのか分からないまま、みじめに疲れ果ててしまうこともあるというのです。たしかに、世の中に出てくる優秀な経営者ほど、忙しい時間の中、好きなことにも全力で遊んでいるようにも思います。

 

では、どうやったら生活の中に遊びを取り入れることができるのでしょうか。ブラウン氏は3つの方法を進めています。一つは「体を使う遊び」記録や成績のない運動に参加する(脂肪を燃焼させるためだけに運動しているなら、それは遊びと言わない) 2つ目に「物を使う遊び」(どんな物でもかまわない。この場合も特別な目標を定める必要はない) 3つ目に、「人と交わる遊び」(特に目的の無いことをしている人々の輪にはいる。それは世間話でも、討論でもいい)

 

大切なのは、どんな遊びをするかではなく、遊ぶかどうかで、必ず遊ぶようにするには、1日のスケジュールに遊びの時間を組み込むのが良いとベコッフ氏は提案しています。「仕事というのはやり終えられるものなのだ。」といい、「実際、遊ばなかったからといって、その分たくさん仕事ができるとは思えない」と言っています。遊ぶことによって得られる幸福感や新たなエネルギーは「“失った”時間を埋め合わせてあまりあるものを与えてくれる」といってます。大人にとって「遊びをもつ」ことは社会性や感情的・知能的発達にもつながることが言えますし、幼少期に得られなかった時間を取り戻すこともできるのだろうということがいえるのです。

 

私自身は、大人になり新しい趣味を持ちました。趣味は仕事とは違い、目的はありますが、必ず遂げなければいけないというものではなく、自分で自主的に選んだものなだけにやめるのも自分次第です。ここで言われる「自由遊び」とは違うのかもしれませんが、確かに仕事においては良い影響があるように思います。ストレス解消にもつながりますし、健康にもいい影響が出ています。利害の無い関係の知り合いも増えます。大人にとってもこういった新しい関係性のある環境を作ることは非常に大切なことのように思います。しかし、どうやらブラウン氏のいう「遊び」というのはそういった趣味のようなものではなさそうです。では、ブラウン氏のいう「遊び」とはどういった定義のものをいうのでしょうか。