信念を持つ

私は「志」や「誇り」という言葉に強い意志を感じます。そして、この言葉はどの仕事においても、重要なことであると思っています。先日、テレビ番組「半沢直樹」を見ていても、それを感じることがありました。

 

そこでは主人公の半沢直樹が「私は勝ち組、負け組という言葉が大嫌いだ」というセリフがあったのです。そして、「子会社だから、親会社だからといって、遠慮することはない。」ということも言っていました。ほかにも「信念を持って事に当たる。真に顧客のお客様の利益になるために」と言葉は正確ではないですが、そういったニュアンスのことを言っていました。

 

この言葉も、どの職業にとって、重要な意味合いがあるように思います。私は保育の話を職員にするときに必ず「理念を持って保育をしよう」と話すことがあります。一体自分たちが何のために保育をし、何のために今の仕事があるのかを考えてほしいと思っています。そして、この言葉を話しながら、自分にも言い聞かせるようにも戒めています。

 

今回の新型コロナウィルスでもありましたが、この仕事は比較的に国に守られた仕事です。コロナ禍でも仕事は休業要請からも外れ、仕事はありました。飲食業やその他の仕事は今の時代非常に苦しい時代でもあると思います。しかし、こういった社会インフラの仕事というのはそれだけ社会において重要であるということも言えるから確保された現状があるのです。この意味をよく考えなければいけないとふとドラマを見ていて改めて感じました。

 

「保育」というのは人を育てる仕事です。つまり、その先の社会に「生きる人材」を作ることが仕事です。そういった意味のある仕事であり、ただ子どもを預かっている仕事ではないのです。そのため、私の師である先生がいつも言うのですが「保育は子どもたちが社会に出た時に活躍するためには、未来のことを予測して保育しなければいけない」とおっしゃっていました。それほどまで、高い理想があるということをいわれなければ感じない私もまだまだ未熟であると思いましたが、それが実際のところ真に考えなければいけないことであり、こういったマインドを持って保育を組み立てていかなければいけないのだろうと思います。

 

今の保育の現状は「職場の人間関係」や「保護者との関係」で1年もたたずやめていく職員がいるという話を聞きますし、保育士不足も深刻です。しかし、こういった時代だからこそ、この仕事が一体、社会にどれだけ貢献し、どれだけやりがいのある仕事かということを改めて感じることが大事なのだろうと思います。でないと、仕事の意味ややりがいを感じません。なによりもそういった気持ちが持てるような保育士施設にしていくことが大切なのだと思います。

 

しかし、こういった思いを持たせるということはなかなか簡単なことではないというのは身をもって感じています。だからこそ、自分はもっとより高い信念を持たなければいけないのだろうなと感じました。変な話ですが、こういったドラマを見ると改めて奮い立たされるところは多くありますね。