遊びと質

私には趣味があります。その趣味自体は大阪の園に戻ってきたときから始めたもので、始まりは非常にシンプルに「誘われた」ことがきかっけです。それまで運動ということをそれほど、真剣にやってきたこともなく、「打ち込む」というほどやっていなかったのですが、どうやらその趣味は私の性にあっていたようで、今で6年くらいなるほど続いています。

 

これまで「遊び」ということを取り上げていましたが、大人になっても「遊ぶ」ということの大事さは身に染みて今感じているところです。職場ではいろんなことが起きます。それこそ、どうにもならない問題から、長期的に考えなければいけないパターン、逆に短期的に考えなければいけないパターン、自分自身の間違いなど、その問題は多種多様であり、仕事にはつきものです。

 

おそらく、一日一日そのことを考えることも多くあり、ネガティブに考えていくとずぶずぶと深みにはまっていくことも多くあるように思います。以前、youtubeで東進ハイスクールの林修氏がモンスターペアレントに話をするテレビ番組が紹介されていました。その時に話していたことですが、「有名な学校の教師とそうでもない学校の教師には大きな違いがある。有名な学校の教師は大体3時には帰って、その後の時間は自分の趣味や余暇、教材研究につかう。そして、その場で得た知識や活動を通して魅力が増していく、魅力が増していくと生徒もその先生から学ぶことが楽しくなってくる。というように、ポジティブな展開になっていく。一方で、そうでもない学校の教師はなかなか帰れない。」と言っていました。

 

そして、「帰れない理由は、生徒指導に多くの時間を取られるからだ。」と言っていました。親の苦情や生徒の素行など、今学校で教師が行っている業務は非常に多岐に渡ると言っています。そこに時間が大きく使われているため、通常の教材研究に時間が割けなかったり、自分の趣味に時間がさけなかったりするそうです。結果として、学校の授業自体が停滞したものになるそうです。

 

どこかで、趣味をすることや何か新しいことを考える時間があることは非常に重要なことのようです。ニューズ番組においても、今の時代、学校の教師が行わなければいけない職務というものは非常に多いということが言われています。そして、そのために肝心の授業への準備の時間を削らなければいけないとも言われています。まだ、私はこういった趣味の時間を持つことができていますが、それができないとなると、もしかしたら、いまのような働きかたはできていないかもしれません。

 

働き方改革ということが叫ばれていますが、それはただ単なる「働き方を見直す」ことではなく、「働く意味」を考えなければいけないのだろうと思います。教師や保育士は「人を作る」「人材を作る」仕事であると思っています。そのために、それを伝える教師や保育士こそ、「にんげん」を知る必要もあるように感じます。そして、子どもたちにとって、「遊ぶ」ということは罪悪のように言われるときがありますが、その必要性を考えるとその意味合いもしっかりとどういった意味があるのかを考えていかなければいけないように思います。幸い、今の時代、これまでブログで紹介してきたように、さまざまな研究がいたるところで行われており、その内容を知ることもあります。こういった研究を知ることでより「人間」を知る機会が得やすいように思います。こういった情報を捉え、保育や教育を考えていきたいですね。