大学の問題

日本の大学は昔から「入りにくく、出やすい」ということがいわれていることに対し、アメリカの大学は「入りやすく、出にくい」とよく言われることが多いように思います。そして、アメリカの大学といえば、世界トップクラスの大学が名を連ねていることも多いです。しかし、そんなアメリカの大学で問題が起きていると言っています。

 

そもそもアメリカの大学は20世紀のあいだずっと、高等教育システムの質とそのシステムを首尾よく通過した若者の割合において、並ぶもののない国でした。1990年代の半ばにいたるまで、アメリカの大卒者の割合は世界一高く、先進諸国の平均の倍以上だったのです。しかし、今や世界の教育に関する入れ替わりは激しく、25歳から34歳までの人々の4年制大学の卒業率でアメリカは1位から12位に転落しています。それはアメリカの国内の大卒率が減っているわけではなく、他国の割合が急激に伸びているのです。

 

ある分析によると1990年代から2000年の間に、大学を卒業した親がいる裕福な生徒の学士号取得率は61%から68%に増えたのに対して、最も不利な状況(低所得者層のうちでも下位25%の家庭に育ち、親が大学を出ていない子どもたち)の間の取得率は11.1%から9.5%に減っているのです。これは不平等の広がりつつある現在において、この傾向は意外には思われないかもしれない。つまり、アメリカの階級格差が起きていることが見えてくるからです。しかし、前世紀にはすべてが全く違っていたということを覚えていた方がいいとタフ氏は言います。

 

ハーバード大学の経済学者であるクローディア・ゴールディンとローレンス・カッツが2008年に著した『教育とテクノロジーの競争関係』には、20世紀のアメリカの高等教育の歴史は事実上、民主化の歴史と重なるとかいてます。つまり、初め1990年ごろはアメリカの大学の卒業生はたったの5%ですべてはエリートの裕福な白人でした。そこから戦争がえりのアメリカ兵が大学に行くのを助ける法律ができたことや、女性については、大卒者の割合の増加が男性をはるかに超えたことが時代とともに変化してきました。そういったことが結果として、アメリカのキャンパスはエリートだけの場所ではなくなり、多様性が増していくことになります。工場労働者の子どもが工場所有者の子どもと同じ空間で学ぶこともありえるようになります。そうした時代が「教育に関する上向きの流れがそのまま社会全体の特徴となっていた」とゴールディンとカッツは書いています。しかし、現在、各世代がそれぞれに前の世代の教育レベルを大きく超えた時代の進み具合は止まっているというのです。そして、高等教育システムは社会の流れをつくる道具であることをやめ、平等の機会を増やすことをやめてしまいます。

 

最近にいたるまで、教育政策の関係者は大学の門戸を広げることだけに力を注いできました。特に不利な状況にある若者の入学を増やすかなどです。しかし、大きな問題は入学ではなく、卒業の方に限定や不平等の問題があるのではないかということが見えてきたのです。