いろんな関わり

スピーゲルはIS318でチェスを教えています。そのため生徒がどのようにすれば、試合に勝利を収めることができるのかを考えます。そのためにはどこがダメかを理解する必要があります。しかし、「負けを客観的に眺めること、失敗で自信を失わないこと、と子どもたちに話すのは簡単だ。しかし負けた本人がそれを実行するのは難しい」というように欠点を自覚し、考えることは非常に困難なことです。その困難さについて、スピーゲルも自信を持たせたかったとはいうものの、厳しい言葉を子どもに投げかけるため、自分は子どもたちに対してひどく冷淡なのではないかと思ったそうです。実際、スピーゲルはチェスの結果を見て必要としていたのは、どこがダメかを教えるために時間の大半を費やすことであり、試合後の分析の基本もそこにありました。そのため、時に「いい考えだと思ったんでしょう。でもあなたは間違っていた」というように厳しい言葉を掛けなければいけなかったのです。

 

しかし、そうはいっても、スピーゲルが教えることで子どもたちは結果を残していきます。彼女はあるチェスの試合の時に3試合目が終わるころに虐待でもしているような気持ちを抱きます。そして、全部を投げだして、嘘でいいから優しい顔だけしていようと思ったことがあったそうです。しかし、その後第四試合目になると、生徒たちは試合内容がよくなり始めたそうです。それについてあることに気づきます。「たいていの人は10代の女子生徒に向かって怠慢であるとか、あなたのしたことはお話にならないくらいレベルが低いなどとは言わない。だけどときには子どもたちはそういう言葉を聞く必要がある。もういちど姿勢を正そうとおもうために」というのです。そして、「あなたの教師像はよくあるステレオタイプだ、良い教師、特に市街地の教師は生徒との交流を深めるべきだという思い込みがあるのではないか」タフ氏に対して反論したそうです。

 

確かによく言われる「よい教師」とは「ハグや志気をたかめるスピーチや人生における教訓を披露するような人」が取り上げられます。これに対し、スピーゲルは似ても似つきません。こういったことはIS318の副校長で、監督としても同行するジョン・ガルヴィンの役割でした。スピーゲルに言わせると彼のほうが「心の知能指数」が高いから、そういうことに向いていると考えていたからでした。

 

「温かい関係を築いた子どもだってたくさんいる。だけど、教師としての私の仕事は、鏡になることだと思う。盤上での行動について話し合い、考える手助けをすること。子どもにとっては大事なことなの。大変な力を注いで何かをしようとするとき、大人が上からではなく、一緒になって真剣に見つめる。そういう機会は決して多くないけれど、私の経験からすると、子どもたちは本当にそれを必要としている。でもそれは愛しているとか、母親のように育てるのとはちがう。わたしはそういうタイプの人間ではないから」とスピーゲルは言います。

 

ここで紹介した、スピーゲルの話は保育におけるチーム保育や共感するということにつながっているように思います。社会に出たときに子どもたちは様々な人と関わることになります。スピーゲルのような人と出会うこともあるでしょうし、ジョン・ガルヴァンのような人とも会うことができるでしょう。それはまるで大人が子どもたちに合わせて役割分担をしているように見えます。そういった関わりの中で子どもたちは人との多様性を知ることができるのです。そして、これは担当制である先生ではなかなか難しく、チームで動いた時こそ見えてきます。しかし、ただいろんな人がいていいわけではありません。「大人が上からではなく、一緒になって真剣に見つめる。」というような姿勢を持つ必要があります。一時期、「ほめる保育」や「叱ることの否定」が言われていました。しかし、私はほめることにおいても、叱ることにおいても、根底に共感や承認といった相手を受け入れることが重要なことであると考えています。そうすることで子どもたちは安心した環境の中で、自分からやってみようとする次の意欲につながるのです。