伝え方

スピーゲルは厳しくとも大人が上からでなく、一緒になって真剣に見つめるといったことが子どもたちは必要としていると言っています。マイケル・ミーニーやクランシー・ブレアらを含む研究者たちは、幼児が粘り強さや集中力といった気質を伸ばすには養育者からの温かく愛情に満ちた世話が必要であると論じてきました。しかし、スピーゲルの成功例を見ると、思春期に到達するころの子どもたちに有効な動機づけは毛づくろいに似たスタイルのケアではなく、まったく別の気づかいです。おそらくミドル・スクール(中学生)の年頃の生徒をスピーゲルのチェスチームの選手たちと同じくらい熱狂的に集中させ、練習させるには、誰かが意外なほど自分のことを深刻に受け止めてくれるという(自分の能力を信じてくれて、もっと改善できるからしてみなさいと持ち掛けてくれるという)体験が必要なのだと言っていました。

 

これはどういったことを物語っているのでしょうか。思春期のころには自分の能力を信じてくれ、もっと改善できるということを持ちかけられる体験が必要であり、それは幼児期のような「毛づくろいに似たスタイル」ではないと言っています、どうやら幼児期と思春期とでは関わり方は違うようですね。

 

タフ氏はKIPPの教員や理事が日々の心の危機や間違った行動に話して聞かせるやり方とIS318でのスピーゲルの様子を比べてみます。そのどちらも生徒に教えるという方法です。そして、その両者はよく似ていると言っています。まず、KIPPの生徒のアプローチは認知行動療法に近いといっていました。生徒が大きく揺らいでいるとき、強いストレスのかかった瞬間や気持ちが混乱してわれを忘れそうになっているとき、物事を大きな絵で見るようにと促していました。そして、これは心理学者がメタ認知(思考を思考するという力)と呼ぶ方法で、前頭前皮質を使います。自分の気持ちを落ち着かせ、自分の衝動を吟味し、教師に向かって喚き散らしたり遊び場でほかの子どもを押しのけたりするよりも生産的な解決方法を考えるのである。

 

そして、これはチェスの試合後の分析でスピーゲルが行っているのも、これをもっと明確な形に発展させた指導です。KIPPの生徒と同じように、IS318の生徒も自分の間違いを深く見つめ、なぜ自分がその間違いをおかしたのか吟味し、ではどうしたらよかったのかを懸命に考えるよう求められます。これを認知行動療法と呼ぶのも、教え方がうまいだけだと言うのも自由ですが、ミドルスクール(中学生ごろ)の生徒に変化をもたらすのに極めて効果的な方法であることは間違いないとタフ氏は言っています。

 

しかし、この方法は現在のアメリカの学校で実際に使われることは非常に珍しいのだそうです。それは学校の使命や教師の仕事とは単に情報を与えるだけのものであると信じるなら、生徒にこうした厳しい自己分析をかす必要はないと思われているからです。しかし、生徒の気質を変える手助けをしようと思うのであれば、情報を伝えるだけでは充分ではないのです。スピーゲルは自分の教え方を説明するのに「性格」という言葉を使わなかったが、ディビット・レヴィンやドミニク・ランドルフが強調する「性格の強み」とスピーゲルが生徒に教え込もうとしているスキルには大きく重なる部分があります。タフ氏はスピーゲルが生徒に教えようとしていたのは、やり抜く力であり、好奇心であり、自制心であり、オプティミズムであるというのです。

 

日本の教育現場では「生徒指導」と「学習指導」があります。実際こういった「性格の強み」といったものは「生徒指導」の部分と言えるのだろうと思います。日本はそういった意味ではKIPPのような教育現場に近いように思います。つまり、こういったことを考えることは決して、無縁ではないことであり、こういった性格における考えも改めて考える必要があるのではないでしょうか。そして、まさにこういった性格におけることは「人格形成」にもつながり、AIでは教えることや伝えることができない部分でもあるのでしょう。