フロー体験

ミハイ・チクセントミハイは「最適経験」の研究において、高度な集中状態を表す「フロー」という言葉を考え出しました。フロー体験は「困難でやりがいのある何かを達成しようとする自発的な努力によって心や体が限界まで引き伸ばされたとき」に起こることが多いと書かれています。初期での研究ではチェスの名人、クラシックのダンサー、登山家に取材し、この三者が一様にフロー体験を「高度な多幸感と支配力」のような言葉で表現するのを聞いたと言います。ピーク状態にあるあいだは「集中することは息をするようなもので、考えなくてもできる。たとえ屋根が落ちてきても当たらなければ気づきもしないだろう。」とチェスのプレーヤーはチクセントミハイに言ったそうです。ある研究によると、試合中のチェスプレーヤーの体の変化は競技中のスポーツ選手のそれと酷似していたそうで、筋肉の収縮、血圧の上昇が起こり、呼吸数は平常時の三倍になるそうです。

 

しかし、このフロー状態というのは何か熟達しているものがない限り、フローを体験することはなく、普通の人がチェス盤に向かってもフロー体験は決して起こらないだろうというのです。しかし、スピーゲルの生徒のジェスタスやジェームスはいつもこれを体験しているようです。

 

タフ氏はスピーゲルにチェスの上達のために生徒たちが多くのものを犠牲にしていると思ったことはないか、尋ねたそうです。それに対して、彼女は頭がおかしいんじゃないのとでもいうような目つきで「チェスをプレーすることがどんなに・・そう、素晴らしいかわかっていないからそういう発想になるのよ。そこには喜びがある。チェスをしているときが一番幸せで、一番自分らしい自分でいられて、最良の自分を実感できる。“逸失利益”みたいなことも考えてられなくはないけれど、ジャスタスとジェームスだってチェスの代わりにやりたいことなんてないと思う」と言ったのです。

 

よく上手にギターやピアノなどを弾いている人を見ていると、「あれだけ弾けれたら楽しいだろうな」と思うことがあります。実際のところどうなのか分かりませんが、事実たのしいのかもしれませんね。そういった人は練習においても、苦ではなく「フロー」な状況、つまり集中していたり、そこに喜びを感じたりしている状況にいるのかもしれません。つまり、「フロー体験」というのは「熱中している」ということと同じのように思います。

 

現在、私がいる園では遊びのコーナーを「ゾーン」と呼んでいます。それは「ゾーニング」という建築の用語といった意味だけではなく、「ゾーン体験」ができればいいと思っています。ゾーン体験というのはつまり、スポーツ選手などが「ゾーンに入る」といった意味である「集中して周りの音が聞こえない状態」であったり、「熱中している状態」です。子どもたちが遊び込むことや友だちと真剣に遊びに集中しているというのはそれだけで喜びを感じるものです。人間だれしも、時を忘れるくらい何かに集中したり、楽しんだりすることがあると思いますが、そういった体験を子どもたちの普段の遊びから過ごしてほしいという願いを込めています。そのため、そういった環境をどう作るかは非常に問題になってきます。「フロー体験」をするにはそれ自体が好きでなければいけません。タフ氏が言うようにいろんなものに興味を持つことは必要なことです。しかし、好きなことを見つけたときに「やりこめる」ほど子どもたちは遊べているでしょうか。いろんなものに興味をもた「せよう」としているのは大人であって、子どもたちがやり「込みたい」ものを通り過ぎさせてはいないでしょうか。スピーゲルにおいても、タフ氏においても両方の意味や意図は非常に感じますが、こういった「やりこむ」環境というのは今もっと自由にあってもいいように思います。