子ども期とは

ゴプニックは人間の成人までの期間が他の種よりも長いことで学ぶことが多くでき、環境に適応し、環境を変えることさえもできる力を得ることができると言っています。しかし、その反面、不利な部分もあると言います。それは「時間がかかりすぎる」ということです。確かに、考えてみると子どもが独り立ちするまで、元服の期間ですら12~15年もの時間を必要とします。今の時代では20年期間としては確かに長い年月が必要とされます。

 

しかし、大人に守られている時間が長ければ長いほど、「学習に集中できる時間が長い」というのも半面ではあります。要はこの期間をどう有意義な時間として保障してあげることができるのかということが重要なのだということなのでしょう。大人になれば、生活のため、ただ学習だけに時間をかけるわけにはいきません。そのため、「子ども期」と言われる時代にやるべきことは学習です。そして、ゴプニックは幼児期の期間は「自分のいる世界を学び、他にどんな世界があるえるのだろうと思い描く期間です」と言っています。そして、その時の成果は大人になったときに現れることでしょうと言っています。つまり、この言葉を考えると「学習」という言葉の定義をしっかりと考えなければいけません。それは決して学歴や成績といったものではなく、「自分のいる世界と他にどんな世界があり得るのだろうかを思い描く」期間なのです。

 

先日、自園で卒園式がありました。その子どもたちの夢は非常にユニークです。「警察官になる」「アイスクリーム屋さんになる」といった夢が書かれていました。こういった夢を持つことこそがそもそもの学習の根本になければいけないのでしょうね。そして、その夢実現化していくために「学習」があるのだと思います。たとえば、優秀な「寿司職人」になるためには学校の成績が重要なのでしょうか?それよりも早くから職人の下で習っていた方がいいように思います。ただ、そのためには「なりたい」という思いが強くなければ厳しい修行には耐えれないことでしょう。ただ、最近では専門学校でそのノウハウを効率よく教えてもらうようなことができるようになっています。こういったところに学びに行くのも学習です。要は学習とは先人の知恵を学ぶことであるのです。そして、その学習の中で将来の自分を思い描き準備していく時間でもあるのです。だからこそ、学習は大切になるのです。それはただ漠然と成績を上げることや学歴をあげることを意味していないのです。

 

そのため、以前紹介したゴプニックの言葉で「子どもと大人は、同じホモ・サピエンスでありながら、形態のまるで違う生物だと考えるほうが適切です」という言葉が見えてきます。事実、赤ちゃんの脳は想像することと学習することに特化されているらしく、大人の脳よりたくさんの神経回路があることが分かっているそうです。

 

そこでゴプニックは子どもと大人の間には、進化的に一種の役割分担が出来上がっていると言っています。