大人が作った子ども社会

赤ちゃん学会の小西行郎氏の話は非常に考えさせられるものがあります。私も何度か、小西氏の講習や研修を受けましたが、研究者としては非常に保育現場に近い考えを持ち、保育現場に活かすことができるような話をしてくれていたことを感じます。その小西氏は「子ども社会」が子どもをはぐくむと言っています。このことは私も感じるところであります。

 

小西氏は著書の中で「子どもにとっての望ましい保育のあり方とは、実は子どもたち自身の中にあります。」と言っています。そして、「『三歳児神話』の登場によって、子育てに占めるお母さんの役割はずいぶん大きくなりました。しかし、子どもたちによって大切なのは、『子ども社会(集団)』の中で子ども自らが人間関係を学ぶことです。そのため、保育士は『見守り役』として必要なだけで、子どもの遊びの中心になる必要はないと私は思います」と言っています。このことは私も同じことを感じています。最近では、大人が子どもの関係の中に介入しすぎているようにも感じます。それでは子どもたちの経験値は少なくなってしまいます。しかし、これはほったらかしにしていればいいというわけではなく、小西氏が言うように「見守る」ということが重要になってきます。

 

昔は子ども社会の中に大人が入ることについて、揶揄される(からかわれる)ことがありました。しかし、今ではその「子ども社会」というもの自体が地域には無くなってきているように思います。そこにはガキ大将や子分、年上、年下といろいろな子があつまる集団がありました。そこでは自ら遊びを決め、ルールを考え、時には喧嘩もしていたというのです。そこには子どもたちが自ら決めた秩序があります。大人が介入するとそこにあるのは「大人が判定する秩序」になってしまうように思います。そのような状況で子どもたちが自律をしていくでしょうか。あくまでそれは「大人が作った子どもの社会」であり、その尺度は子ども自身が持つものではありません。

 

今の世の中にはこういった「子どものために大人が作った社会」というものが多いように思います。それは子どもの安全のためと言われますが、確かに今の時代、どんな交通事故や誘拐など危険の質は昔よりもよりシビアになってきたというのも想像できますが、それも大人が自ら作り出してしまった社会でもあるのかもしれません。ボール遊びができない公園、雑木林や自然など、これまではあった環境がどんどんなくなってきており、外で自由に遊んでいる子どもたちの姿を目にすることがとても減ったように思います。大人が作った子どもたちの環境はもしかすると「大人が管理しやすい」環境であり、結果として、子どものためではなく大人のための環境になっているのかもしれません。

 

そう思うと、乳幼児施設における重要性というのはより鮮明に見えてきます。子ども社会の保障。子どもたちが自ら働きかけることができる環境を用意する。といったことの意味がより見えてきます。ただ、託児ではないですし、そこには明確な保育の意図が盛り込まれているべきだということが見えてきます。