子ども社会の重要性

小西氏は「子ども社会」が消えてしまった原因に「子どもたちが忙しすぎることに加え、地域に子どもたちが魅力を感じる場所が無くなったことも影響しているのではないか」と言っています。それは「路地裏のような暗くてじめじめした場所、雑草の生い茂った身を隠せる場所、雑木林」といった環境でそれらの多くは「大人の視点から見て危ない場所」とみなされ、いつの間にか無くなってきたものだと言っています。その代わりに、清潔で明るい、見通しの良い場所ばかりが出てきました。大人は子どもの闇の部分を何とか照らすことですべてを明るみ出そうと他のです

 

その一つが保育所です。小西氏は、保育所を訪問するたびに、「保育士が仕事しやすいように設計されているなあ、どこから見ても保育士の目が届くな」と感じたそうです。しかし、その思いに反して肝心の子どもは「大人が作った公園では遊ばずに、大人が行かない場所に『秘密基地』を作ったり、『隠れ家』を見つけて探検したりしたのです」ものを汚したり、半分壊したりして、創造力豊かに遊びに没頭したのではないかと言っています。そのため、子どもたちは想像もできないような遊びを次々と作り出すようになるのです。

 

そして、「子ども社会を作ることは、結果的に親と子の間に適度な距離を作る」と小西氏は言っています。これは今回のコロナウィルスでの家庭での自粛でも言われることでした。家庭で子どもとの関わりが増え、本来のところ、子どもと親との絆が深まったと思うところが結果、虐待の件数は増えてしまっているのです。子どもたちにとっても、親にとっても自由が無くなっているというこの時代においては、社会環境に大きな問題があるのかもしれません。

 

こういったことを通して見えてくるのは子どもを預かる施設においては、子ども社会を保障することも大きな意味合いがあるのかもしれません。こういった異年齢での子ども社会を保障し、そのうえで、教育カリキュラムや保育プログラムを担うことが同時に行われることが今の社会には大きな意味合いが見えてくるのだろうと思います。

 

実際、今自園では異年齢で保育を行っています。そこでは子どもたちは自然と遊んでいるのですが、不思議と「わざわざ」年少の子どもたちをお世話しているわけではなく、自然と子どもたちの様子を読み取って関わっています。しかし、面白いのは乳児から子ども同士の関わりを持っていた子どもと、3歳から入ってきた子どもとでは少し関わり方は違っていました。もちろん、子どもによってその様子は違うのですが、比較的乳児から入園した子どもの方が、相手の子どもの意図を読んだり、無駄な関わりをしないようなやり取りをしていました。一方で、3歳から入ってきた子どもは比較的お節介を焼いている様子が見えました。

 

これは集団による経験値の違いが少なくとも影響しているのではないかと思います。やはりコミュニケーションの土台を作るにあたり、子ども同士の関わりとくに異年齢での関りの重要性をそういった部分でも感じます。