9月2020

偏見

偏見は知らずしらず起きていることがあります。それを「無意識の偏見」とクリスティーン氏は言っています。そして、気を付けなければ知らず知らずのうちに誰かに無礼な態度をとる恐れがあるのです。そうなってしまうと、当然、とても悪い結果がもたらされますし、職場内の無意識の偏見を放置すれば、それは不平等へとつながり、業績に悪影響を及ぼしかねないのです。しかし、多くの人は自然と無意識の偏見をしていると言います。

 

クリスティーン氏がある法律事務所に頼まれて、社員間の直接のフィードバックについて講義した時にアフリカ系アメリカ人の社員から「マイノリティ(少数)は、正直なフィードバックを得られにくい、同僚たちがマイノリティを保護するべき存在と感じ、何か良くないところを見つけても正直に言いにくいからだ」という発言があったそうです。つまり、「悪いところがあっても、気を使って言わないのは、その人を下に見ることであり、侮辱であるばかりか、必然的に失敗へと導くことでもある。自分より下だと思っている人には、初めから期待をしない。だから、正しいフィードバックもしない。その結果、相手が何か失敗をすれば、自分より本当に下であることが証明されたと感じてしまう。いわゆる「予言の自己成就」が起きるというわけだ」というのです。要は相手を下に見ているがゆえに、失敗するのを分かっていながら見てみぬふりをするというのだ。しかし、そんなことをしていると業績が上がってこないのは当然であるし、働く職員のレベルアップにもつながらない。

 

そのため、無意識の偏見と闘うには、隠れている偏見を表に出し、目に見えるようにすることです。「自分にはどういう偏見があるのか」「その偏見によって影響を受けているのは誰か」「それによってどのような結果がもたらされるのか」まず、自分の偏見を持っているといった客観視が必要になってくるのです。

 

保育でも、子どもたちに対して「この子はこういう子」というように悪く言えば「レッテル」を貼る人がいます。確かに子どもの様子や発達を見ることが仕事ですが、それが固定概念化されるとその子自体へのアプローチや関わり方に偏りが出てくるようにも思います。だからこそ、今自園で行っているような「チーム」で子どもたちを見るということは必要なことだと常々思います。一人だけの目線であると、偏見を持った見方に偏ることが起きてしまいいます。そのため、他の人の目線からも子どもを見ることで、偏りが緩和されます。その人にはその人の視点、自分には自分の視点といったように偏らず、複数の視点を持つことで子どもの発達をより多角的に見ていくことができます。しかし、そのためにはそもそものチームを組んでいる職員間も風通しがよく、関わりが持てていなければ、新たな子どもの見方が産まれてきません。最終的には職員間の子どもに対する見方をすり合わせ、尊重しあわなければ、より良い見方にはなりません。やはり大人にっても、子どもにとっても、偏見以上にその人そのものを見つめなければいけませんし、そういった人であるようにしていなければいけませんね。

多様性と偏見

話をさえぎってしまうというのはどうも、相手の話を聞いていない人の癖でもあるのかもしれません。こういった場合、もっともよく相手の話を聞いている人の話すことと聞くことのバランスは「1:2」がベストであるそうです。そして、それと同時に、「質問する」ということも一つの聞くことのテクニックであるとクリスティーン氏は言っています。

 

つまり、どうしても自分が話したくなってしまう人、他人の話に割り込みたい衝動といつも闘っている人は、逆に「あなたはどう思いますか?」と質問するほうが良いというのです。そうすることで、なかなか自分からは口を開くことのない人が話をしてくれるというのです。自分が話すのではなく、謙虚な態度で他人に質問をすることが大切なのです。このように、「笑顔」「相手の存在を認める」「相手の話を聞く」ということが、礼節ある行動につながるといい、こういった態度が相手にとって温かい人といった印象を与え、そのうえで有能さが見えてくるのです。

 

これら三つの心がけは、人との関わりの中で必要なことであるということは疑いようがありません。また、こういったコミュニケーションの取り組みはこれからの社会においても重要な力です。様々な国や地域の人と関わることが求められる時代です。意見や感覚などは今以上に多種多様な時代になってくることだと思います。そんな時代に変化していく中で、多様な気質を持った人をつなげ、お互いが認め合うような集団を作っていかなければいけません。

 

クリスティーン氏は多様性について「ただ多様性があるだけでは期待するような利益は得られない。多様性が真に価値を持つかどうかは、企業の文化や、その構成員の態度によってきまる」と言っています。当然、ただ多様な人材があったとしても、それぞれが自分に自信がなく、価値があると思えなければ、あまり力を発揮することはできません。そういった人材が力を発揮するためには自分が尊重されていると感じれなければいけないのです。そこで重要になるのが礼節であり、礼儀の正しさだとクリスティーン氏は言っています。つまり、相手を打いけ入れ、無意識の偏見や、その偏見による態度、行動をでないようにすることです。しかし、それは困難なことだということが言われています。

 

なぜ人は偏見を持ってしまうのでしょうか。どうして、その偏見を崩すことができないのでしょうか。そこで重要になるのが「認知的過負荷」だとクリスティーン氏は言っています。人間の脳には絶えず大量の情報が入ってきています。しかし、その情報のほとんどは処理されていません。そのため、取り入れた情報のほとんどは無意識のうちに処理されるのです。無意識の情報の処理はよく「ショートカット」されます。ショートカットの際に頼るのが「ステレオタイプ」です。つまり、先入観や固定概念といった、一つのフォーマットを作ることです。こういった概念を作ることで、さほど重要でない情報や、初めから正しいはずのない考えを除去することができ、限られた情報をもとに短時間で判断を下すことができるのです。しかし、この固定概念や先入観のせいで間違いをしてしまう恐れもあるのです。

聞く態勢とは・・

「聞く」ことを効果的に行うためには「聞く態勢」を作らなければいけないということが世界中の多くの人の共通する答えだったとクリスティーン氏は言っています。相手のいうことをただ受け身的に聞くのではなく、相手に対してしっかりと意識を向けること、相手の意図にあった質問をすることなど、相手のことを見通し、共感することが重要なようです。前回の内容をこう要約していくと、保育における子どもとの向き合い方と同じことが言えるように思います。「共感する」というのは相手を意識していないといけませんし、一人の人間として向き合わなければできないことでもあるように思います。

 

クリスティーン氏は音をテーマにコンサルティングをしているジュリアン・トレジャーさんの聞くときの4つの留意すべき点を紹介しています。1つ目は相手の話をそのまま「受け止める(Receive)」、2つ目は「尊重する(Appreciate)」相手を尊重し、余計な合いの手を入れて話を妨げない。3つ目は相手の話したことをうまくまとめる「要約(Summarize)」、4つ目は「質問(Ask questions)」の4つです。これらの4つを心掛ける必要があると言っています。

 

そして、「どれだけ熱心に話を集中して聞いたか、話す相手によって聞き方を変えていないか、地位や能力、知性、性別、文化的背景によって最初から熱心に話を聞かないことはないか。場所や状況によって話を聞かなくなったりしていないか。自分によって都合の良くない話になり、不愉快な情報を伝えられ始めると、途端に聞かなくなる人がいる。そんな人になっていないか」と問いかけます。ありのままの相手を見て、偏見なく話を聞く姿勢が必要なのです。

 

そして、それは態度に現れてくるのです。「まだ相手の話が続いているのに、自分の考えを話したりして、遮ってはいないか。話の途中で話題を強引に変えさせたりしてはいないか。相手の言っていることに興味を示さず、より自分にとって興味の持てる話に変えてしまっていないか。自分と違う意見を持っていると感じたときに、必要以上に身構え敵対的な態度になっていないか。相手と口論にならないか。会話の途中で注意がほかに向いてしまい、相手に同じことを言わせていないか。話を聞くよりも話すことが多くなっていないか。」といった態度になっていると、相手とのコミュニケーションはうまく測れないのです。つい、人の話を聞くよりも、人の話に割って入りたい衝動にかられます。それでは相手は話せなくなります。

 

しかし、これは訓練すれば改善できるとクリスティーン氏は言っています。その方法は単純です。相手が考えをすべて言い終わるまで待つように努力するのです。しばらく続けていくと、自分の衝動を抑えることが当たり前になるというのです。初めは常に緊張することもあるだろうが、次第に自分の態度を監視する必要もなくなってきます。その行動を当たり前にし、習慣づけることが必要なようです。

 

大切なことは「話すこと」よりも「聞く」ことがコミュニケーションにおいては需要なことがよくわかります。そして、それは態度として表れ、礼節として相手に伝わっていくのです。イノベーションを起こすためには自分の言葉を強く言うだけでは新しいことは生まれません。相手の話していることを聞くからこそ、自分の持っていない視点の見方を知るのです。そして、それは結果として、周囲にいるメンバーや同僚、部下にとっても自信をつけるプロセスにもつながるのです。そうすることで、集団はまとまり、より良い風通しがよく、より良い環境になっていくのでしょう。そして、それは子どもたちが相手の保育においても心掛けなければいけない共通の事柄であるように思います。

聞く態勢を作る

自分の園にいる子どもたちにおいてもなかなか相手の話をよく聞いて、自分の話をすることが難しい様子をよく見ます。待つということが難しく、口々に話したいことを言うので、こちらの話を聞かせるために大声をあげている職員もよく見ます。これは大人でも例外ではなく、今の時代「相手の話を聞く」ということができない人が多くなってきているのかもしれません。しかし、この能力は社会に必要な力であるとクリスティーン氏は言っています。そして、特にリーダー層にとっては重要な力であり、この力は部下や一緒に働く人たちへの信頼関係をもたらす重要な力であると言っています。このことは自分自身にとっても実感するところです。

 

ではどうすれば人の話を聞くことができるのでしょうか。クリスティーン氏はこの問いを世界中のいろいろな人たちに投げかけてきました。すると、場所、文化に関係なく、返ってくる答えは同じだったのです。それは「まず、聞く態勢を完璧に整えよ」ということだったようです。そのために、「相手に対する質問などは事前にすべて用意しておく」そして、「そこで何を話題にするかも事前に考えておく」そうしておくことで、現場で次はどうしようと考えて立ち往生することは避けられるというのです。

 

クリスティーン氏は相手に自分のなにもかもを向けなければいけないと言っています。そのため。邪魔になるもの(携帯電話など)は側におかないことが賢明だと言っています。関係のない情報をできるだけ入らない工夫が必要なのです。そうすることで、相手と向き合うことができるのです。クリスティーン氏は「礼節とは、根本的には、人間らしく相手と関わるということを意味する」と言っています。大切なのは向き合い方なのです。

 

そして、「話を聞くというのはただ受け身ではない」ということです。あくまで能動的に相手の話をきくのです。そのため、視点は相手のどこが自分と同じで、どこが自分と違っているのかを見極める必要があります。冷静に相手に対しては能動的にすり合わせることが聞くことには重要な意味があります。相手と目を合わせること、相手の感情に合わせて表情を合わせることも大切になってきます。相手の話の内容理解と同時に相手の感情の変化にも注意をする必要があります。

 

返答も大切です。相手の話を自分の言葉に言い換えることも有用です。しかし、相手の意図に外れたことを言うと、かえって邪魔することになります。すぐに割って入るべきではないとクリスティーン氏は言っています。考える時間を相手に与えることで、さらに有用な話がでてくるかもしれないからです。大切なのは相手の様子を見てタイミングよく、相手の的を射た質問をすることが大切なのです。沿おうすることで相手の話の趣旨をより明確にすることができるのです。

 

このようにクリスティーン氏の言うようなことを言葉に起こすのは簡単ですが、いざ実践となるとなかなか難しいものです。つい「聞く」となると、「ただ聞く」だけになりがちです。相手がどういうことを言いたいのか、どこに問題があるかを知るためには「聞く」必要があるのです。短期的な問題解決ではなく、長期的な問題の解決するためには今の現状をしっかりと聞き取る必要もあるのでしょうね。大切なことは「自分の話を押し付けない」ことでもなければ、ただ「聞く」だけでもない。根本にはどちらの意見が大事かというよりも「調和や尊重」というものが土台になければいけないのでしょうね。「人間らしく相手と関わる」というのはそういうことなのだろうと思います。

聞く力とその影響

ヒトと良好な関係を作っていく上で必要なことがいくつか出てきました。一つ目は「笑顔」そして、もう一つが「相手を尊重する」つまり、「存在を認め、尊重する」ということです。ほんの一瞬の態度によって、その受け止め方が変わるということが言われていました。そのためには「相手のことをよく知る」必要もあります。相手の反応や質問、疑問点、それらを察知し、適切に返さなければいけないのです。そのために必要となってくる力が人と良好な関係を作るため、礼節ある関わりをするための三つ目の原則「聞く」ことです。

 

クリスティーン氏は「人の話をよく聞くことは人間関係を築き、深める上で絶対に必要なことである」とその重要性を話しています。そして、「熱心に話を聞けば、その人のことを気にかけ、大事にしていること、人間関係を保ちたいと思っていることがわかる」と言っています。話をよく聞いていれば、それだけ重要な情報、アイデアが手に入りやすくなる。それは相手が自分のことを「この人は話を聞く気がない」と思われたら、何かいいアイデアがあっても伝えようとしないし、役に立つ提案もしないだろうというのです。

 

ただ、「人の話を聞く」と一言で言っても、それは楽なことではないとクリスティーン氏は言っています。集中して話を聞くにはエネルギーがいります。話を聞いているつもりが、ついその途中で余計なことをしてしまう人も多いのです。よくあるのが、相手の話をさえぎって自分が話し始めてしまう。相手の話をきくよりも、自分のことを話して優位に立とうとする。割り込んで、誰も求めていない助言をすることもあるなどです。最後まで聞かずに「こうであろう」と勝手に決めつけ、あとは自分が次に何を言うかを考える人もいると言います。

 

なんとも耳が痛い話です。私も否定はできないところが多くあります。最近、ZOOMというパソコンのコミュニケーションツールがよく使われています。以前、他の保育園の子どもたちと自園の子どもたちでZOOMを使った自園紹介をしました。面白かったのはいつもは我先に話を始める子どもたちが、このツールを使うときには話を待たざるを得なかったのです。ZOOMではマイクで音声を拾って、スピーカーから音を出します。そのため、両方がいっぺんに話をすると、混線し相手が何を言っているのか分からなくなります。そのため、会話をするためには相手の言葉を待ちしっかりと聞かなければいけません。つまり、ここで言われる「人の話を聞かなければいけない」のです。自然とこのやりとりが行われるのは非常に新鮮であり、子どもたちにとっては必要な経験だったのではないかと思います。

 

また、この「ZOOM飲み」というのがコロナ禍でも流行っていました。自身も何度かしたことはありましたが、確かに待つことにまどろっこしさを感じることは多々あったのを覚えています。つい、自分が話したいことを話してしまいがちになり、相手の話を最後まで聞くということがおろそかになることが多々あります。たった少しの聞く態度の変化によって人の印象というのは大きく違ってくるのかもしれません。では、どう聞き方を変えていくことが必要なのでしょうか。