子どもの主体性、自立性

ドイツでは、子どもたちの個性、自立性を尊重し、多種多様性を受け入れることができ、困難を乗り越える力も養うことができる保育形態が「オープン園」であるのだとベルガー氏は言います。これはドイツにおける「子ども観」が中心にあるからなのですね。そして、「オープン園」が広がっていく背景にはドイツの風土があるからなのだとベルガー氏は言います。その風土とはどういったものかというとそれは遊びを大切な学びの機会ととらえている点です。

 

遊びの重要性については、陶冶保育プランでも重ねて指摘されている。従来のように先生が前に立って指導する保育方法と違って、「オープン園」には、子どもが自由に選び遊ぶ時間が十分あります。先生によって計画、指導される保育ももちろん必要であるが、ドイツではそれよりも子どもの発達に大切なのは、自主的な自由遊びの中での学びであることを強調しています。陶冶保育プランの中にも自由に遊ぶ中で、さまざまな生きる力を身につけていく理論的裏付けや、実例が記載されているのです。

 

これは日本においても、同様のことが言えますね。保育所保育指針、幼稚園保育要領、こども園保育要領においても、「自主性」「自発性」という言葉は多く入ってきます。しかし、ドイツの陶冶保育プランと違うのが「自由遊び」の重要性というのはあまり語られていないように思います。以前にもブログに書きましたが、自由遊びというのは非常に大きな影響を与えるものが多くあります。思考力や社会性、ストレス緩和に想像性と上げていくととても多くあります。しかし、日本ではまだまだカリキュラムによる、先生主導の活動の方に重きが置かれているような印象があります。その割合が日本の場合とドイツの場合では大きく違っています。そして、その根底にはドイツとの「子ども観」の違いが見え隠れします。特に「自主性」「主体性」といった取り方は日本とドイツではとても大きな違いがあるのを見学に行ったときに感じました。日本はどちらかというと「子どもたちと一緒に遊ぶ」ことや「子どもと仲良くしている」のが良い先生なイメージがあるのに対して、ドイツの先生は「子どもたちの動きを尊重する」、「無駄な関わりを一切しない」といった印象がありました。園庭遊び中も紅茶を飲んで子どもを遠巻きに見ている様子が多かったです。無駄な介入はしないのです。しかし、子どもからのアプローチには、応答的に反応していました。一見、日本においては「放任」ではないかと思うほどです。しかし、その行動の裏には「子どもには生きる力があるということを信じる」という気概が非常に強くあるということを感じました。

 

日本は「先生主導が良し」とされ、「先生の力量」が求められることがまだまだ多いです。そのため、「子どもたちがどう考えたか」よりも「子どもたちが何をしたか」に目が行きがちです。過程よりも結果をみてしまうのです。ドイツを見学していく中で、改めて、書類を通して子どもを見るのではなく、ありのままに子どもを見ることの必要性を感じたのを思い出しました。