偏見と思い込み

人は無意識に偏見を自然に持ってしまうと言います。そして、その偏見によってレッテルを相手に貼ってしまい、本来の力を発揮できない、又は認められないような環境を作ってしまう可能性があるのです。この問題は難しいものです。なぜなら、これにおいてはどちらの立場でもそれが言えるからです。

 

管理者は部下に対して、偏見を持ってしまうと、その人自身のやる気や本来の力を発揮できないような環境を作ってしまうことがあるからです。一方で、部下側から見たらどうでしょうか。些細なやりとりの中で、管理者つまり上司に対して偏見を持ってしまうと、その人のためや会社や組織のために動こうと思わなくなります。お互いがこういった偏見を無くす努力をしていく必要があり、それが組織における雰囲気作りであったりします。そう考えるとやはり最終的にはそのリーダーである人間のリーダーシップの影響は大きいですし、そこにおける偏見を解くことは重要な意味合いがあるのが分かります。

 

先日、実習生の学生と就職について話すことがありました。就職する保育士からするとやはり気になるのは人間関係です。そして、管理者側からしても、人間関係は頭を悩ませる要因でもあったりします。学生たちは様々な人間関係に不安を持っていることが分かりました。「人間関係がうまくできるのか」「人間関係が良い園なのか」というところが気になるようです。しかし、そこで私が思うのは「人間関係も良いと思うか。悪いと思うで、大きく変わってくる。」というのを感じます。つまり「良くするのも、悪くするのも自分次第」と思うのです。仮に注意されたり、怒られたり、時には同僚と言い合いのような議論をすることもあるでしょう。それをネガティブに捉えると「自分に合ってないと思います。」しかし、ポジティブに捉えると「そういった考えもあるのか」と自分にできない視点であったり、自己啓発として自分を変えるきっかけにもなります。要は「相手のせいにする」のか、「自分の伸びしろ、自己評価」にするかで、大きく変わってきます。

 

クリスティーン氏の本では、「まず自分が変わる」ことを言っています。私も相手を変えることは難しいと考えています。しかし、自分は心がけ次第で変わることもできるのです。なぜなら、「自分次第」だから。偏見というのは非常に根深く、人の心に影響を与えますし、なかなか拭うのは難しいものです。しかし、そこを見直すことで、自分が大きく変わる良い機会やチャンスにもつながるように思います。

 

では、クリスティーン氏は「無意識の偏見」をどう鎮めるというのでしょうか。それはどういった方法があるのでしょうか。