3月2020

フロー体験

ミハイ・チクセントミハイは「最適経験」の研究において、高度な集中状態を表す「フロー」という言葉を考え出しました。フロー体験は「困難でやりがいのある何かを達成しようとする自発的な努力によって心や体が限界まで引き伸ばされたとき」に起こることが多いと書かれています。初期での研究ではチェスの名人、クラシックのダンサー、登山家に取材し、この三者が一様にフロー体験を「高度な多幸感と支配力」のような言葉で表現するのを聞いたと言います。ピーク状態にあるあいだは「集中することは息をするようなもので、考えなくてもできる。たとえ屋根が落ちてきても当たらなければ気づきもしないだろう。」とチェスのプレーヤーはチクセントミハイに言ったそうです。ある研究によると、試合中のチェスプレーヤーの体の変化は競技中のスポーツ選手のそれと酷似していたそうで、筋肉の収縮、血圧の上昇が起こり、呼吸数は平常時の三倍になるそうです。

 

しかし、このフロー状態というのは何か熟達しているものがない限り、フローを体験することはなく、普通の人がチェス盤に向かってもフロー体験は決して起こらないだろうというのです。しかし、スピーゲルの生徒のジェスタスやジェームスはいつもこれを体験しているようです。

 

タフ氏はスピーゲルにチェスの上達のために生徒たちが多くのものを犠牲にしていると思ったことはないか、尋ねたそうです。それに対して、彼女は頭がおかしいんじゃないのとでもいうような目つきで「チェスをプレーすることがどんなに・・そう、素晴らしいかわかっていないからそういう発想になるのよ。そこには喜びがある。チェスをしているときが一番幸せで、一番自分らしい自分でいられて、最良の自分を実感できる。“逸失利益”みたいなことも考えてられなくはないけれど、ジャスタスとジェームスだってチェスの代わりにやりたいことなんてないと思う」と言ったのです。

 

よく上手にギターやピアノなどを弾いている人を見ていると、「あれだけ弾けれたら楽しいだろうな」と思うことがあります。実際のところどうなのか分かりませんが、事実たのしいのかもしれませんね。そういった人は練習においても、苦ではなく「フロー」な状況、つまり集中していたり、そこに喜びを感じたりしている状況にいるのかもしれません。つまり、「フロー体験」というのは「熱中している」ということと同じのように思います。

 

現在、私がいる園では遊びのコーナーを「ゾーン」と呼んでいます。それは「ゾーニング」という建築の用語といった意味だけではなく、「ゾーン体験」ができればいいと思っています。ゾーン体験というのはつまり、スポーツ選手などが「ゾーンに入る」といった意味である「集中して周りの音が聞こえない状態」であったり、「熱中している状態」です。子どもたちが遊び込むことや友だちと真剣に遊びに集中しているというのはそれだけで喜びを感じるものです。人間だれしも、時を忘れるくらい何かに集中したり、楽しんだりすることがあると思いますが、そういった体験を子どもたちの普段の遊びから過ごしてほしいという願いを込めています。そのため、そういった環境をどう作るかは非常に問題になってきます。「フロー体験」をするにはそれ自体が好きでなければいけません。タフ氏が言うようにいろんなものに興味を持つことは必要なことです。しかし、好きなことを見つけたときに「やりこめる」ほど子どもたちは遊べているでしょうか。いろんなものに興味をもた「せよう」としているのは大人であって、子どもたちがやり「込みたい」ものを通り過ぎさせてはいないでしょうか。スピーゲルにおいても、タフ氏においても両方の意味や意図は非常に感じますが、こういった「やりこむ」環境というのは今もっと自由にあってもいいように思います。

いろんな興味とひとつの物事

タフ氏はオフィスの参照用においているチェスセットに2歳の息子がいたずらして倒したり、盤上でならべてみたりする姿を見ます。その姿に「もし今から駒の動きを教えて1日1時間プレーすれば、きっと3歳になるころには・・」と思ったそうです。タフ氏はポルガー家のようになるかもしれないことを夢想することは楽しかったのですが、息子にチェスの天才になってほしいわけではないことに気づきます。ふとなぜそう感じたのか、正確な理由を考えようとすると、説明したり根拠を示したりするのは容易ではなかったといいます。

 

もし、息子が毎日4時間チェスの練習をすると、代わりに逃がしてしまうものがあるのではないかと思います。しかし、自分が正しいかどうかはよくわからなかったのです。タフ氏は「子ども時代を、あるいは人生全般にわたって、たくさんのものに少しずつ興味を持って過ごすのがいいのか、それともひとつのことに多くの関心を注ぐ方がいいのか」というのを判断するのが難しく感じたのです。そして、この疑問に対してスピーゲルとたびたび議論してます。そして、スピーゲルの一事に集中することの利益を主張する彼女の言い分には説得力があったことは認めざるを得ないと思ったのです。

 

それはタフ氏が迷った理由にアンジェラ・ダックワースのやり抜く力の定義を思い出したからです。やり抜く力とは一心にひとつのゴールを目指す行動と深く結びついた自制心のことだからです。スピーゲルは「何かに夢中になることで、子どもたちは自由になれると思う。彼らはいま、ずっとあとになっても忘れない、ものすごく大事な経験をしているところなの。子どもの頃を振り返ったときに、退屈しながら教室に座っていたり、家に帰ってテレビを見たりっていうぼんやりしたイメージしか浮かばないのは最悪だと思う。少なくともチームの子どもたちが振り返れば全国大会の思い出があるし、あるいは個人的によかった試合とか、アドレナリン全開で一番の難題に取り組んだ瞬間のことを思い出せる」というのです。

 

スピーゲルは話の中でマーティン・セリグマンと共同研究をした心理学者ミハイ・チクセントミハイの「最適経験」について言及しています。これは「人が日常の雑事から開放され、運命を掌握し、完全にひとつのことに没頭する稀有な瞬間」の研究です。

 

その中で高度な集中状態を表すために、彼は「フロー」という言葉を考え出しました。

天才を作る2

前回のポルガー家以外にも同じように子どもたちを天才にしようとする家族がありました。それが、ガータ・カムスキーのケースです。この家庭に関してはタフ氏はポルガー家以上にゾッとするケースだと言っています。カムスキーは1974年、ソ連時代のロシアに生まれ、父親の監督のもとで、8歳の時にチェスの勉強を始めました。父親のルスタムは短気な元ボクサーで、母親はガータが小さいときに家族のもとを去っていました。12歳になるころにはガータ・カムスキーはグランドマスターを何人も破っていました。1989年アメリカに亡命したカムスキーと父親はカムスキーが世界チャンピオンになると信じたベア・スターンズ社の社長からブライントビーチのアパートメントと年間3万5千ドルの生活費の提供をうけました。そして、16歳でグランドマスターになりました。17歳で全米チェス選手権優勝。だが、若くしてこれだけの成功をおさめながら、苛酷な教育環境にあることも有名でした。

 

父親の監視下でカムスキーはアパートメントからほとんど出ずに1日14時間チェスの勉強と練習をしていました。学校には行かず、テレビも見ず、スポーツもせず、友だちもいなかった。父親はチェスの世界では暴力的な気質の持ち主としてよく知られていた。ミスをおかしたり、負けたりしたガータに罵声を浴びせ、ものを投げつけることもよくあった。ある試合では息子の対戦相手から「暴力で脅された」と申し立てられたということもあったのです。しかし、1996年22歳になるとカムスキーはチェスをきっぱりやめてしまったのです。彼は結婚し、ニューヨーク市立大学を卒業し、医学専門学校に通うようになります。その後、ロングアイランドの方か大学院で学位を取るが、司法試験には通りませんでした。

 

このカムスキーの話は、早期教育の強引な親の関わりがいかに裏目に出るかという警告のようにも見えます。しかし、カムスキーは2004年にチェスに復帰します。そして、数年のうちに思春期の頃の成績を越え、2010年には全米選手権で19年ぶりの優勝を果たします。さらに翌年、2011年にもまた優勝します。現在、国内最高レーティングのプレーヤーであり、世界ランキングも10位であった。例の1万時間の法則の効果(カムスキーの場合には子ども時代を通して1日14時間練習していたのでそれ以上かもしれないが)非常に強力で、8年のブランクがあっても続いていたようでした。

 

このことだけを考えると、一見、早期教育的に小さい頃から強制してでも子どもに教え込むことが大切なように思うかもしれません。なぜなら、小さい頃から1万時間チェスに打ち込むことはカムスキーがチェスの世界で活躍するためには非常に有効な時間となったからです。それは8年のブランクがあっても効果があったからです。このことはスピーゲルや他のチェスの選手も、カムスキーやポルガー姉妹の子ども時代については賛否いろいろな感情が入り混じると言っています。こういった一つの目的を追うだけの子ども時代は不健全であるとまではいわないまでもバランスを欠いている。しかし、その反面、幼いころから結果を出している子どもたちを見ていると嫉妬を覚えずにもいられないのです。

 

私は早期教育については否定的ではありません。しかし、その体験が「いったい誰のためなのか」ということはよく考えなければいけません。主体の問題です。親が子どものやりたいことを決めつけるのと、子どもが自分で選択するのとでは大きな違いがあるようにも思います。しかし、スピーゲルはこのことについても言及しています。

天才を作る1

子どもたちは様々な可能性があると言われています。最近でも、まだまだ「早期教育」としていろいろな課外教室があり、そこに参加されている家庭も多くあります。天才的なスキルの習得というものはどう進めていくと身につけることができるのでしょうか。

 

スウェーデンの心理学者K・アンダ―ス・エリクソンは1万時間の法則を提示しています。つまり、どんなスキルでも(たとえば、バイオリンを弾くことでも、コンピューターのプログラムを書くことでも)本当に習得するには1万時間の着実な練習が必要であるという理論です。エリクソンのこの理論の一部は、チェスの取得の研究に基づいています。彼の発見によると生まれながらのチェスのチャンピオンはいないというところから始まります。そして、勉強やプレーに多くの時間を注がなければグランドマスターにはなれないと言っています。これまでの最強のプレーヤーたちは子どもの頃にチェスを始めています。チェスの歴史を眺めてみても、野心を持ったプレーヤーが最高レベルに達するためにチェスを始めるべき年齢は年々早くなってきています。エリクソンによると20世紀が終ることのチェスの開始年齢の平均は10歳半、グランドマスターならたいてい7歳にはチェスを始めていると言います。

 

チェスにおける早い時期からの集中的な訓練の効果について述べた研究があります。ハンガリー人の心理学者ラスロ・ポルガーによるものですが、ポルガーの著書『天才を育てよう!』(1960年代)では、充分に勉強させればどんな子どもでも天才にすることができると論じました。この本を書いた当時、ポルガーは独身で子どももおらず、みずから理論を実証することができなかった。しかし、クララという名のハンガリー語を話す外国語教師の心をつかむと、状況が変わり始めた。クララはウクライナに住んでいたのだが、ポルガーに手紙で説得されてブダペストに移ることにした。その手紙には「一緒に天才を育てる方法」について詳細に書かれてあった。

 

驚くことに二人はこれを実行します。二人は3人の女の子の親になり、ラスロはチェスに特化したプログラムで全員に家庭教育を施しました。どの子どもも5歳の誕生日を迎える前にチェスの勉強を開始し、すぐに1日10時間ほどプレーするようになった。長女のスーザンは4歳の時に初めてトーナメントで勝ち、15歳になると世界でトップレベルのレーティングのプレーヤーになります。そして、21歳でグランドマスターになりました。スーザンの成功に関しては、転載は生まれつくのではなくつくられるものだという父親の主張を見事に証明しました。しかし、一番強かったのは末っ子のユディトでした。ユディトは15歳でグランドマスターになり、最年少記録を塗り替えます。その後世界ランキング8位、彼女は現在でも史上最強の女性チェスプレーヤであるとされています。

伝え方

スピーゲルは厳しくとも大人が上からでなく、一緒になって真剣に見つめるといったことが子どもたちは必要としていると言っています。マイケル・ミーニーやクランシー・ブレアらを含む研究者たちは、幼児が粘り強さや集中力といった気質を伸ばすには養育者からの温かく愛情に満ちた世話が必要であると論じてきました。しかし、スピーゲルの成功例を見ると、思春期に到達するころの子どもたちに有効な動機づけは毛づくろいに似たスタイルのケアではなく、まったく別の気づかいです。おそらくミドル・スクール(中学生)の年頃の生徒をスピーゲルのチェスチームの選手たちと同じくらい熱狂的に集中させ、練習させるには、誰かが意外なほど自分のことを深刻に受け止めてくれるという(自分の能力を信じてくれて、もっと改善できるからしてみなさいと持ち掛けてくれるという)体験が必要なのだと言っていました。

 

これはどういったことを物語っているのでしょうか。思春期のころには自分の能力を信じてくれ、もっと改善できるということを持ちかけられる体験が必要であり、それは幼児期のような「毛づくろいに似たスタイル」ではないと言っています、どうやら幼児期と思春期とでは関わり方は違うようですね。

 

タフ氏はKIPPの教員や理事が日々の心の危機や間違った行動に話して聞かせるやり方とIS318でのスピーゲルの様子を比べてみます。そのどちらも生徒に教えるという方法です。そして、その両者はよく似ていると言っています。まず、KIPPの生徒のアプローチは認知行動療法に近いといっていました。生徒が大きく揺らいでいるとき、強いストレスのかかった瞬間や気持ちが混乱してわれを忘れそうになっているとき、物事を大きな絵で見るようにと促していました。そして、これは心理学者がメタ認知(思考を思考するという力)と呼ぶ方法で、前頭前皮質を使います。自分の気持ちを落ち着かせ、自分の衝動を吟味し、教師に向かって喚き散らしたり遊び場でほかの子どもを押しのけたりするよりも生産的な解決方法を考えるのである。

 

そして、これはチェスの試合後の分析でスピーゲルが行っているのも、これをもっと明確な形に発展させた指導です。KIPPの生徒と同じように、IS318の生徒も自分の間違いを深く見つめ、なぜ自分がその間違いをおかしたのか吟味し、ではどうしたらよかったのかを懸命に考えるよう求められます。これを認知行動療法と呼ぶのも、教え方がうまいだけだと言うのも自由ですが、ミドルスクール(中学生ごろ)の生徒に変化をもたらすのに極めて効果的な方法であることは間違いないとタフ氏は言っています。

 

しかし、この方法は現在のアメリカの学校で実際に使われることは非常に珍しいのだそうです。それは学校の使命や教師の仕事とは単に情報を与えるだけのものであると信じるなら、生徒にこうした厳しい自己分析をかす必要はないと思われているからです。しかし、生徒の気質を変える手助けをしようと思うのであれば、情報を伝えるだけでは充分ではないのです。スピーゲルは自分の教え方を説明するのに「性格」という言葉を使わなかったが、ディビット・レヴィンやドミニク・ランドルフが強調する「性格の強み」とスピーゲルが生徒に教え込もうとしているスキルには大きく重なる部分があります。タフ氏はスピーゲルが生徒に教えようとしていたのは、やり抜く力であり、好奇心であり、自制心であり、オプティミズムであるというのです。

 

日本の教育現場では「生徒指導」と「学習指導」があります。実際こういった「性格の強み」といったものは「生徒指導」の部分と言えるのだろうと思います。日本はそういった意味ではKIPPのような教育現場に近いように思います。つまり、こういったことを考えることは決して、無縁ではないことであり、こういった性格における考えも改めて考える必要があるのではないでしょうか。そして、まさにこういった性格におけることは「人格形成」にもつながり、AIでは教えることや伝えることができない部分でもあるのでしょう。