情熱

吉田松陰が開いた松下村塾からは数々の歴史を変えた偉人たちがともに学んでいました。徳富蘇峰の言葉を借りると松下村塾は「徳川政府転覆の卵を孵化したる保育場の一なり。維新革命の天火を燃したる聖壇の一なり」というと齋藤氏は言っています。松下村塾は安政3年から安政5年までおよそ2年半の期間、松陰によって運営されました。たった二年半ですが、そこから日本を変える大きな逸材たちが生まれたのです。塾生の日下玄端は禁門の変の中央人物になり、高杉晋作は騎兵隊を組織し、幕府軍に勝利しました。幕府軍に長州藩という一藩が勝利したというのは非常に画期的な事件であったのです。また、薩摩藩と長州藩が手を結んだことで、明治維新の流れをつくり、そこにも松下村塾の塾生は大きな役割を果たします。それらの人材は明治になっても、伊藤博文や山県有朋らが近代日本建設の中心となったのです。このように、松下村塾からはこれほど多数の人材が輩出されました。

 

それは教師としての松陰の類まれな資質が関係していると齋藤氏は言います。現在と古典の問題を結び付け。常に問いかけをし、意識をアクティブにさせていく。学習形態をアクティブにするだけでなく、松陰自身の情熱を伝えることによって、塾生たちの意識自体が活性化したのです。齋藤氏はこの松下村塾のことを受け、教育の根本的原理は「憧れに憧れる」関係性にあると考えました。教師の何かへの強い憧れが学習者たちのあこがれを喚起します。教師が物理学を愛し、ニュートンやアインシュタインへのあこがれを強く伝えることで、生徒はそのすごさに目覚め、物理学を一層学びたいと思うようになるというのです。

 

教師があこがれを持つことで、生徒が憧れるかどうかはわかりませんが、その姿を見て、その先生の姿勢に憧れることはあるように思います。この人のように学びに向かいたいといったことや、深い学びを持つことがどういったことにつながるのかを知りたいという意欲を持たせることが「憧れ」にはあるように思います。教師自体が学ぶ姿勢があることで、子どもたちにその姿勢が伝播することにつながるのだと思います。

 

齋藤氏も、教師の情熱こそが主体性を育てると言っています。「学問ははじめから面白いとは限らず。地道でつまらないものと思える勉強を経て、学問が分かるようになり、そして、自在に応用できるようになって、初めてそのすごさ、面白さがわかってくるものである。教師は、その面白さが分かるようにするために粘り強く自らが情熱を持って教えなければならない」といいます。私もこのことには同感です。自分が教える教科が好きなことであると、それだけ思いは伝えていく過程の中で強く出てくるのではないでしょうか。ただ、大切なのは教師が学習者を思っての行動かどうかです。ただ単に自分の思いだけを相手に伝えたのでは思ったような意欲は出てこないでしょう。相手に伝えたい、相手の様子をみて伝えることではじめてそのやりとりは成立するのです。授業とはいえ、そこはコミュニケーションの場なのです。齋藤氏も「教室空間や家庭の学習空間を支えるのは、教師や親の情熱であり、配慮である。マニュアル化しにくいその根本的な部分こそが『新しい学力』の柱なのである」といっています。