新しい学力観と主体

「PISA型学力」や「問題解決学力」は従来の「伝統的学力」とは明らかに異なると齋藤氏は言っています。そして、「教科書を完全に暗記したとしても問題が解けるとは限らないというのです。実際の生活状況に近い問題が出され、仕事や生活で必要とされる力に近いと思われる力を測ることを目的としています。それは問題ごとに新たに考え、判断しなければならないタイプの問題がPISA型の学力である」といっています。

 

そのような学力を得るためには、問題を機械的に覚えて回答するのではなく、まず問題を理解しなければいけません。そうでなければ回答できないになるのです。ただ、知っていることを記載する試験では思考力は求められまさせん。そのため、問題を解くことに対する意欲自体ははかりづらくなります。その一方で、問題解決型の場合は、出題の意図をキチンと理解し、問われていることに対して自分で考えるプロセスが要求されます。そこには思考のエネルギーも求められます。このような問題に取り組み、そして、思考する意欲自体が問われ、また実際に問題解決能力も問われているという点では、このPISAの調査はまさに文部省が平成元年から目指してきた「新しい学力観」を具現化したものといえます。そういった意味では、今後の学習内容において、PISA型の学力の測られ方に変わってくるかもしれませんね。

 

このように「新しい学力観」では、生徒の主体性が重んじされることも大きな特徴になります。そのため、子ども一人ひとりがそれぞれ感じていること、考えていることを活かした授業を行うことが教師には求められるようになりました。子どもたち個々の意欲や感じ方、表現力・思考力・判断力が重要なのは疑いようがありません。しかし、実際にどのようにそれらを伸ばすか、どのように評価するか、ということになると、工夫が必要になると齋藤氏は言っています。

 

齋藤氏はこういった主体性を求めた学習について、「全体に対して特定の教育内容を一方的に伝達するという形式の指導では、ひとり一人の主体的な学習を活性させることにはならない」と言います。こういった学習形態は保育の中にも、落とし込んで考えられます。つまり、「子どもたちに一方的に情報を伝える保育は子どもたちの主体性を活性化させることにはならない」ということになるのです。そのためにも子どもたちが「自分で考え、自分で判断する」機会を与えることが重要になってきます。また、なぜ、「主体性」がこれほどまでに言われるのか、それは「子どもの権利条約」において「意見の表明権」というのはあります。それは子どもたちが自分で選び、自分で考える自由があるということが言われています。日本の場合、この意見の表明権に関してはまだまだ課題があると言われています。それは何も「子どもの言いなり」になることではありません。子どもを一人の人格者として見ることが必要なのです。よく「見守る」ということをいいますが、それは見ているだけでは、それはただの放置になるのです。「主体性」というのもただ、「主体が子ども」であればいいのではなく、何のためにそういったことが求められているのかということを念頭に考えていかなければいけないのだろうと思います。