新しい学力と教師の力量

「ゆとり教育」を否定している一方で、文部科学省はどのように「新しい学力観」を考えているのでしょうか。齋藤孝氏は今の文部科学省が目指している方向性は「学習内容の充実を維持し、基礎的学力を高めつつも、問題解決型の学力も伸ばしていく」ということを考えているのだと言います。ゆとり教育のように、ただ、子どもの学習にゆとりを持たせて、学習内容を削減するのではなく、バランスを取りながら問題解決能力にも力を入れていこうというのです。こういった意味では「新しい学力観」という考え方は一貫して平成元年(1989年)より変わっていないのです。ただ、そういうものの、その両立こそが難しいのであって、「ゆとり教育」の失敗から見出された何点を解消していくことが求められます。では、その難点と言われる部分はどういったところにあるのでしょうか。

 

まず、第一に思考力・判断力・行動力・表現力といった新しい学力を育成していくにあたり問題となるのは「新しい学力を伸ばす指導方法を、教師や指導者がどこまで実践できるのか」といった部分です。「新しい学力を伸ばすには、教師の力量が今まで以上に必要である」と齋藤氏は言っています。従来のようにただ記憶させるということが目的なのであれば、教育方法上の工夫はそれほど重要ではありません。しかし、新しい学力を伸ばすとなると、教師の側に高度な工夫が求められることになります。意欲・思考・判断・表現・行動といった諸能力を授業で伸ばす方法を考える実際には難しいというのです。

 

なぜならば、これらの授業を行うために学習者の意欲や思考レベルがどのようなものであるかをその都度肌で感じ取るとともに、その到達度を客観的に評価する必要があるからです。一人一人の状況を把握しながら、授業するというのは、一方向的な授業よりもはるかに難しいのです。こういった学習状況を把握するには、教師の「センス」としか言いようのないものが必要であると齋藤氏は言っています。しかし、効果的な教育方法を生徒の状況に応じてその都度編み出し、導入することができなければ、いくらアクティブラーニングを導入した路ころで、授業は「活性化」しないのです。

 

確かに、子ども一人一人に合わせた教育方法を行うということは、一斉に一方向から教育を行うよりもかなり複雑なものであるのは言うまでもありません。ただ、それは教える教師が一人の場合はそうであり、選択肢があくまで大人から発信するものであると難しいのだろうと思いました。以前、オランダのイエナプランを見学に行った時に感じたのは、子どもたち自体が学習する時間割を決めたり、学ぶ順番を決めていることでした。基本的には自習を行っていて、教師が教える時間はある程度決まっていますが、それを深めていくのは子どもたちの選択によるのです。日本ではどうしても教師から子どもたちへという方向で教育を進めていくというのが当たり前の様子でしたが、イエナプランでは主体は子どもであり、選択も子どもが行う機会が多くありました。

 

実際、自園の保育においては、選択制で活動を決めたり、制作活動でも難易度を選択したりできるようにしています。「保育活動」というある程度大人が提案しなければいけない内容の中に子ども主体の部分をどう残す必要があるのかを考えた結果にあります。選択肢の中で自分を知り、責任を持つことで、自分の能力を知る。これはアクティブラーニングにもつながる者であると考えています。