評価

新しい学力を育成する際の二つ目の問題点は評価の問題です。「意欲」というものをどう評価するか。「情熱があります」「意欲があります」と面接の中で言葉として出しても、それが情熱・意欲の証明になるものかというと疑問です。意欲は内に秘められてこともありますし、静かに燃えている形もあり、いかにも活動的で話し合いが巧みであっても、生涯をかけて粘り強く研究を続ける意欲があるとは限らないと齋藤氏は言っています。これは意欲だけに限らず、思考力・判断力・表現力・行動力といった諸能力についても、それを評価し、点数化することは、かなり困難なことであります。

 

では、評価の一つの方法として、生徒一人一人が自分の思考力や判断力について自己評価を下すことも考えられなくはない。例えば、カードにその都度自己評価を書いていくことがそれであるが、それも学力評価になるかというと、客観性には欠けるのです。そして、「みんなそれぞれがそれぞれの意欲を持てばいい」とすると、評価基準はないに等しくなります。アクティブ・ラーニングでは、生徒の自主性に任される側面も多く、それについて教師が一方的に評価することが必ずしも正しいとはいえない。生徒がわき道にそれても、それをゆるやかに受け止め、何かしらの気づきが生まれることを期待する器の大きい授業運営が求められると齋藤氏は言います。

 

齋藤氏は器の大きい授業運営の難しさを過去の小学校の見学を通して話しています。そこではこんにゃくの作り方をテーマに1時間生徒に話合わせていました。しかし、そこで行われていたのが一見熱心に話しているように見えるのですが、生徒は自分の言いたいことをただいうだけで、的確な根拠に基づいて思考し、判断し、次の課題に行く過程は見られなかったのです。そして、それだけはなく、教師や他の生徒が「評価しよう」とする場面もなかったのです。楽しく研究発表をして終わるのであれば問題がないが、評価基準のない教育を実践するはあまりに危険だと齋藤氏は言います。意欲・思考力・判断力などを評価する明確で客観的な基準をどのように設定するのか。教師の主観に頼りすぎない客観的でシンプルな評価のやり方が用意されているかが問題であるのです。

 

成績の評価というのは難しく、思考力や判断力・意欲といったものをどう評価していくかというは常に課題となっていると言います。齋藤氏は自己評価についても触れていましたが、日本では自己評価というものが海外ほど重視されていないことも一つの要因でもあるように思います。基本的に日本は他者評価が多いように思いますし、自己評価を行い、自分自身に学習の責任を持たせることをしていなかったのではないかと思います。確かに自己評価が学力評価として適切かどうかは疑問です。しかし、アクティブ・ラーニングが学習内容ではなく学習方法であるように、評価においても、自己評価は学力評価とは別にもっと積極的に行っていくべきであろうと思います。また、この議論においては、テスト形式においても、記述式ではなく、マークシートで、一設問に対し、複数の答えを選択したりと、まだ、工夫の余地はあるのではないかという見方もあります。また、こういった取り組みに関しては学校教育だけではく、乳幼児教育においても行っていくべき部分はありそうです。自己評価や自分で主体的に選択すること、思考力・判断力・意欲というものは乳幼児教育においても、決して、無縁ではなく、その始まりは乳幼児教育にあります。私がここ最近、学校教育における書籍を紹介しているのも、先の学習に対する乳幼児からのアプローチを考えていかなければいけないと思うからです。何も情報をやり取りするだけが連携ではなく、小学校の教育を理解して保育をすることも、幼保小の連携であるのでしょう。