バランス

齋藤氏は決してこれまでの伝統的学習を否定しているわけではないことはこれまでの話の中で言われていました。私もそのことには同感です。問題解決能力やコミュニケーション能力を今の学生や若者が持っていないではないかと言われていても、その中にも優秀な方はいらっしゃいますし、PISA調査を見ても日本は決して悪い成績を残しているかというと決してはそういうわけではないのです。よく、「非認知能力」と「認知能力」においても、同様のことが言われます。このことも、「新しい学力観」と「伝統的学習」との差と同じですね。どちらが大事かではないのです。これらはどちらも大事であって、どちらも必要とされるべきスキルなのです。

 

齋藤氏は分かりやすく医学部と法学部を例に出しています。これらの学部のカリキュラムは比較的定まったものです。憲法や民法、刑法などの基礎知識を学ばなければいけません。いくら「主体性」や「自由な発想」といっても、これらの基礎を習得していないと、現実問題は解決できません。医学部においても、解剖学や免疫学など、医療においては重要な知識は必修科目として多数あります。齋藤氏は医学部の教授に聞いたところ、医学部の学習の95%は記憶することによって行われるとまで言われているそうです。身につけるべき基本的な知識が非常に膨大なので、それを記憶する必要があるのです。たとえ、人柄がよく思考力があっても、基本的な知識がなければ適切な治療は施せないのです。まさに、問題解決能力だけを鍛えても、体系的な知識をもれなく正確に記憶していなければ、実際の仕事は不安定になるのです。

 

問題解決能力は現在の社会においては確かに必要なスキルです。しかし、「問題解決能力だけあればいい」というのは大きな間違いなのです。社会のそれぞれの領域には体系的知識があり、これを学ぶには体系的学習も必要になります。こういった土台となる専門的な知識を駆使しなければ解決できない問題に取り組み、具体的な成果を上げることはできないと齋藤氏は言っています。そのためただ、暗記するだけではいけないという論説を持って教育を考えるのは非常に惜しいことであると最近の論調について話しています。

 

このことは確かに今の社会において、注意しなければいけないことでありますね。今の時代「0か100か」で語られることが多いように思います。そうではなく、バランスが必要なのです。よく保育でよくあるのが「個を大切にするのか」「集団を大切にするのか」ということが言われます。そのどちらもが大切なのにもかかわらず、どちらかに絞ってしまいがちです。孔子は論語において「中庸の徳たる、其れ至れるかな。民鮮やかきこと久し」といっています。「不足でもなく、余分のところもなく、ちょうど適当にバランスよく行動できるということは、人徳としては最高のものです。しかし、そのような人を見ることは少なくなりました」といっています。今も昔も、ちょうどよいバランスというは難しいことであったのかもしれませんね。