「生きる力」と「ゆとり教育」

齋藤氏はこれまでの「生きる力」を社会に対応していく力として目標に掲げてきた教育の結果が、本当に「生きる力」を持った人間の育成につながったのでしょうかと疑問点を挙げています。確かに掲げられた目標は理想的でもっともなものであったとしても、実際にそれが効力を発揮したかは別問題なのです。そして、この最たるものが「ゆとり教育」ではないかといっています。

 

「ゆとり教育」は学習内容の3割削減、授業時間の減少、学校週5日制の導入、科目横断型「総合的な学習の時間」の創設などの施策全般を指します。子どもたちに「ゆとり」を与える主旨であることから、これら一連の改革により行われた教育が一般的に「ゆとり教育」と呼ばれるようになったのです。そして、ゆとり教育のねらいは過熱した受験勉強による弊害を防止し、ゆったりと勉強することができる環境を作ること、及びいじめや不登校問題の改善にありました。学習時間と内容にゆとりを作ったうえで、「総合的な学習の時間」を導入し、より生活に根差した問題を考える学習をする、余裕のある教育を目指したのです。

 

しかし、このゆとり教育ですが、導入主体の文部科学省がすでに否定的評価を下しています。2016年5月10日、馳浩文科相が、2020年から始まる新学習指導要領に関し、学ぶ知識の量を減らさない有無を確認し、「ゆとり教育との決別を明確にしておきたい」と発現しています。なぜ、このような発言が出てきたのでしょうか。それはゆとり教育の結果生じた「学力低下」に対し批判が起きたからです。国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の2003年の調査では、1995年の調査に比べて正答率の大きく下がった項目がありました。また、PISAの学力調査においても、2003年と2006年の調査を比較すると、数学的リテラシー・読解力・科学的リテラシーの三分野において国別順位を下げています。

 

また、他にもゆとり教育は大きな批判を受けました。学習内容を三割削減することによって、台形の面積など極めて基本的な知識の習得を先送りにしたり、円周率を「約三」として扱うなど、導入当初からこの方針には多くの不安があったのですが、国際学力試験の結果と重なり、その不安が的中したと批判されることになったのです。そして、この流れを汲んで、文科省は2008年の学習指導要領改訂を機に、教科書を厚くするという方向転換を行ったのです。このような流れの中でゆとり教育が否定されることになっていくことになるのですが、その一方で、「生きる力」を中核とした「新しい学力観」までは否定されたわけではありませんでした。

 

これが、「ゆとり教育」が否定されるまでの内容ですが、文科省はゆとり教育を否定する一方で、「新しい学力観」までは否定してはいなかったと齋藤氏は言っています。PISAのアンドレアス・シュライヒャー氏はゆとり教育について、日本は先駆的な取り組みを行ったと評していましたが、これはゆとり教育そのものではなく、「新しい学力観」における取り組みについての評価であったのでしょう。では、この後日本はどのように変革が行われていくのでしょうか。