記憶の因果関係①

エピソード記憶のうち、自分の体験したことの記憶である自伝的記憶は、自己同一性、つまり、自分を客観的に見ることや自分がどう思っているかを自覚することなどといったものに非常に重要な役目を果たします。過去と未来の自分が連続していると感じるのは、特性が変わらないからではなく、同じ体を持つからでもありません。鍵を握っているのは「記憶」です。自分の過去に起きた記憶は紛れもなく「自分のもの」であり、他人の記憶とはっきりと弁別できるものです。仮に他の人が、かつて自分と同じ考えや思い込みを持っていて、そのことを自分が知っていたとしても、その他者の記憶は自分の記憶とは別物であります。

 

哲学者のジョン・キャンベルは、自伝的記憶の意識体験は、過去、現在、未来の自分の間にある因果関係に依存すると言っています。大人は、自分の人生を過去、現在、未来の体験を因果で結んだ一つのつながりの物語として捉えているというのです。自分が将来すること、感じること、信じることは、現在していること、感じること、信じることに左右され、それはさらに過去にしたこと、感じたこと、信じたことに左右されるというように考えるのです。人生が一本の時系列であるとのは疑う余地がないように思えます。

 

ところが、このような因果関係的には構成されない意識体験もあります。たとえば、解離性障害、つまり多重人格であれば、複数の自分事に違った時系列があります。同じ体で起こる体験であっても、Aの人格であるときにはAの未来に関わるが、Bの人格のときには影響がおきません。

 

では、赤ちゃんに至ってはどうでしょうか。自我の感覚というのはごく幼いうちに芽生えます。たとえば、1歳半ぐらいで鏡の中の自分を認識できるようになると言われています。これは、シールを使った実験で行われており、赤ちゃんの頭にこっそりシールを貼って鏡の前に連れて行くと分かります。1歳児は誰か別の赤ちゃんが鏡の中にいるかのように振る舞って、鏡に映ったシールを指さします。しかし、これが2歳児だとすぐに自分のおでこを触り、シールがあるか確かめたのです。

 

しかし、まだ、この頃であっても、現在の自分が過去や未来の自分とどう関係するかまではわかっていないようです。これらが時系列で結ばれていないのです。確かに、赤ちゃんにトラブルになった後に「なんでこうなったかわかる?」と聞いても分かってはいません。

 

このことをテレサ・マコーマックは、子どもに2組の絵を2日間に分けて見せ、そのあと、見たことのある絵はどれか、それは今日見た絵か、昨日見た絵か、と尋ねました。すると、三歳児は見たことのある絵がどれかはよく覚えていましたが、いつ見たかという質問にはよく答えられませんでした。ところが、6歳児では、大人と同じ程度に、どちらの日に見た絵かを判別することができたのです。

 

これとは別にダニー・ポヴェネリが行ったビデオを使った成長記録ビデオを使った実験ではもっと劇的な結果が記されています。