赤ちゃんの観察

赤ちゃんも大人と同様に外因性注意や内因性注意を通して周りを意識しますが、赤ちゃんの場合は内因性注意よりも、外因性注意の方がずっと支配的だとゴプニックは言います。赤ちゃんであっても、自分の注意をコントロールするといった内因性注意をしないことはないのですが、幼くなるほどそのようなことはまれで、注意はもっぱら外の世界の興味深い出来事に注がれ、心の中の計画だとか目的だとかに従うことは少ないと言います。これを以前紹介したボールのやり取りの中にゴリラが横切るといった例でいうと、赤ちゃんはボールを追うのをやめてしまうのです。内因性注意は、幼児期を通じて、時間をかけて発達していくのだと言います。

 

2歳児からお気に入りのおもちゃを取り上げたいときは、言い聞かせたり、鉱物で釣るより、別の注意を引いそうなおもちゃをあげるほうがずっと手っ取り早いです。こうすることで、子どもは自分から古いおもちゃを手放します。赤ちゃんは嫌いなのだけれどつい、興味をひかれてしまうもの、強い光とか大きな音に注意を向けるところもあって、べそをかきながらも、目を話せないところがあるのです。ある意味、人間の「見てはいけないものほど、見たくなる心理」みたいなものは赤ちゃんにも同様にあるのです。

 

しかし、このように馴化のプロセスを逆手にとって古いおもちゃを手放させるこのやり方は、赤ちゃんの成長と共に通用しなくなります。それは年齢が上がるにつれ、外部の出来事よりも、内部の思惑で注意がコントロールされるようになるからです。こうなると、新しいものや珍しいものにいつも注意してくれるとは限りません。そうして大人になったときには、ボールから目を離さないといったん心に決めたら、突然出てきたゴリラにも気づかなくなるのです。

 

確かに、保育の中で見る赤ちゃんは常に目をキョロキョロとさせ、何か音が鳴るたびに、そちらに目を向けます。逆にその音の出どころが分からないと不安になり、泣いてしまう子どももいるくらいです。こういった活動には何か意味があるのだろうといつも見ていました。ゴプニックが言うように周りの環境に目を配らせ、外の要因に目を向けることで、学ぼうとしているのです。ある意味で集中してはいない状態です、その集中しないということ自体が必要な時期なのですね。様々なものを「馴化」が起きるまで観察し、興味のある者や目につくものを分析し、学んでいるのでしょう。

 

つまり、この頃の子どもたちの対応は「あ~しなさい、こ~しなさい」と指示するのではなく、その子どもたちが注意しそうなことや興味のありそうなもの、楽しいことを環境の中に用意する必要があるようです。