人と物との違い

これまでゴプニックらの実験をもとに歯車のおもちゃやブリケット探知機の実験を通して、赤ちゃんの物理的因果関係の学習を見てきました。では、次に今度は物理的なものの因果関係ではなく、心の因果関係を赤ちゃんがどう学習していくのかということにゴプニックは言及しています。子どもは物理的な因果関係と同様に心理的な因果関係も熱心に学びます。当然、生まれたばかりの赤ちゃんはまだ、感情と行動の関係は当然ながら分かっていません。しかし、そのご、成長するにつれて、願望、知覚、信念、性格、気分、偏見といったものから「源氏物語」やプルーストの小説に描かれるような人間心理の機微まで理解するようになります。こうなっていくにあたって、子どもたちはどのように他の人の心を理解していくのでしょうか。

 

ゴプニックは「これも、物理的な因果関係を学ぶときとよく似ている」と言います。つまり、ブリケット探知機や歯車オモチャと同じように心の理解においても統計的なパターンをもとに相手に心を持つかどうかを判定していると言います。つまり、「人ともの」をこの統計的なパターンから判定しているというのです。

 

では、人間とものとの違いはどこにあるのでしょうか。ゴプニックは物体を操作した時の結果は、たいていが「全か無か」、つまり白黒がはっきりしていると言います。たとえば、ボールを持つと、ボールは人の体に合わせて動きます。しかし、ボールを下に置くと、人の動きに動じることはなく、一切応じることはなくなります。一方、人間の場合、反応は複雑で微妙なものになります。赤ちゃんが母親に笑いかければ、母親は笑い返すこともあれば、ぼんやりしていたり、忙しく笑ってくれたりしないこともあります。母親が笑顔を返せば、赤ちゃんも笑顔を向け、母親はさらに笑顔を返します。こういったように反応に複雑に連鎖するのが人間の特徴なのです。では、何も待たない物体が、人間のような反応をした場合、どう感じるのでしょうか。こういった場合、私たちはこういった反応を返されるとそれは物体であっても、心を持っているような気になると言います。確かに、以前流行った「ペッパー君」なんかもそうですね。あの機器は決して有機的な心があるわけではありません。無機質なプログラミングをされたものです。しかし、こちらの言葉に的確に言葉が返ってくるのをみていると、相手に心がないのを理解しても、まるで生きているものであるかのように感じてしまいます。もっというと、バイクや車をよく人に見立てることをします。「今日は猿人の機嫌がいい」とか、時にはまったくかからない時もあったり、とまるで人のように機嫌を持っているかのような動きをします。

 

こういった人の動きの予測とは違う動きをしたものに人は心があるように感じるようです。では、赤ちゃんはこういった心の機微をどのように理解しているのでしょうか。このように感じることは赤ちゃんのころから理解しているのでしょうか。