向き合う

小西氏の本を読んでいると、もっと育児に対して正直にしてもいいのではないかと思います。最近では「褒める」ということが善とされ、「怒る」ということがいけないことのように言われることが多くあります。確かに一方的にこちらの感情を子どもに向けてしまうのはどうかと思います。しかし、「怒る」ことに困る親もいれば、「褒める」「受け入れる」ということに困る親も今の時代は多いのかもしれません。

 

小西氏が3歳児の子どもが玩具の売り場で玩具を買ってほしいと泣く子どもの相談を受けます。その親の相談に子育ての講演会に来ていた講演者はこうアドバイスをしたそうです。「お母さん、そんな場合は子どもに寄り添うんです。寄り添って、受け入れて、子どもが一体何をしたいのか、何を求めているのかを一緒に考えてあげてください」と言ったそうです。確かにこの返し方はよくあることであると思います。そう言われた親は「怒っちゃだめか」と反省したそうです。

 

これに対し小西氏は「子どもに玩具を買ってやる気がないのなら、パチンと叩いて引っ張って帰ってくればいいんじゃないの」と言ったそうです。すると、その親は「先生、違うんです。最近は、子どもを叱らないんです。寄り添って、受け入れて、褒める育児が良いんです」と言ったそうです。確かに、今の時代、「子どもをたたいて良い」ということを言う人は少ないでしょうね。

 

しかし、その意図に小西氏は「子どもは褒められ受け入れられるだけではなく、叱られたり拒否されたりすることでも人間関係を学びます。親が自分の感情を抑え、子どもの気持ちを受け入れて、衝突を起こさないと、子どもは一方通行の人間関係しか学べません」と言っています。つまり、「うまく叱ることも、大切な育児の一つ」というのです。そして、大切なことは「なぜ自分が親に叱られたのかを子ども自身にも考えさせればいい」というのです。

 

この視点は非常に共感します。私は「褒める」ことも「叱る」こともどちらかに偏るのは良くないですし、方法論的にそういったことをしても意味がないと思っています。ここで出てきた親のように「最近は、子どもを叱らないんです。」といった言葉にそれが現れているように思います。大切なことは小西氏が言うように「なぜ、そうなったのか」ということを子どもが理解できなければ、褒めても叱っても意味は無くなってしまうように思います。大切なのはその子どもに対してどう向き合うかのような気がします。迷うことや悩むことを大切にすることが必要なのだと思います。これが育児や保育に答えがない由縁なのだろうと思います。

 

小西氏の話にあるお母さんの話が紹介されています。「あるお母さんが、2歳の子どもに初めて本気で手を挙げたとき、罪悪感や悲しさがこみあげてきて、涙が止まらなかったと言いました。子どもを叩いたときの手の痛さは、我が子がかわいくて仕方がないということの証でもあります。」と言っています。そして、「親と子は衝突と受容を繰り返しながら、とみに成長する。子どもを叱ることから逃げてはいけない」と言っています。

 

そうは言っても体罰は良くないと思います。しかし、これほど真摯に子どもと向き合うことがより良い育児であるということなのだろうということはよくわかります。大切なのは子ども自身が気付くことや自覚すること、その当事者として子どもがそこにいるかどうかであるのだと思います。そういった意味で子どもを見ることは必要になってきますね。