英語の早期教育の必要性

赤ちゃんの早期教育について、京都大学霊長類研究所の正高信男さんは「ヒトの脳をつかさどる中枢は、最初に習得する言語を基にして第二言語を学習していく仕組みになっている。母国語すらおぼつかない段階で他の言語を同時並行で教えても脳を混乱させるだけ。どちらも中途半端になる」と言っています(2004年7月19日「産経新聞」)

 

やはり、乳児期における英語の早期教育の必要性はどの人においても、あまり重要視されていないどころかデメリットすら起きているという見解が多くあるということが分かります。実際、2歳で園に入園してきた子どもがいました。その子は親の仕事の都合で一年間のうち、半年くらいは海外にいるような子どもでした。2か月ほど海外にいて、また、数カ月日本にいて、また海外へ行くということが繰り返し一年間の中で起きるのです。やはり、その子どもの様子を見ても、日本語は拙い様子でした。日本語での会話においては、感情を表現するときにうまくいかず、癇癪のような形で表現することが多かったのを覚えています。決して、知能的には遅れているわけではなかったのですが、正高氏がいう言葉を使うことに「混乱」という表現が当てはまるような感じであったのを覚えています。

 

英会話教育において、これまでの内容を整理していくと、それほど早期教育を行うことの意味があるのかと考えてしまいます。まず、英語教育にするにあたって、重要な観点として①第一言語を習得した後であること ②本人のやる気が大切であり、意欲のない状態で進めても難しい ③バイリンガルにするように早期教育をするには親にも根気や覚悟が必要になる ④大切なのは「しゃべること」ではなく「しゃべる内容」 であることが分かってきました。小西氏は早期教育の怖さは「効果を求めること」にあると言っています。母国語は日本語で、あくまで英語は第2言語なのです。そのため、あまり興亜を求めずに英語を通して親子の関係を深めることの方が大切なのではないかと言います。

 

あまり、早期教育として英語を施すことはそれほどいいことばかりではないのですね。こういったデメリット部分もあることをよく考えなければいけませんね。大人としては、親心で子どもたちにとってできるだけ「良い教育」や「良い環境」の中で暮らしてほしいものだと思います。しかし、それはあくまで「大人が思ういい環境」であって、「子どもにとってはどうなのかは子どもにしかわからないのです」小西氏はこのことに対して「教育に哲学が無くなったと言われる時代になった」と言っています。

 

「教育とは何のためにあるのか」こういった考えを今改めて考えることが必要なのだろうと思います。「学ぶことは何のためなのか」を見つめなおす必要があるのだろうと思います。それは成績を上げるためなのか。それはいい会社に入るだけなのか。いい会社に入った後が大事です。いい成績を活かすことが重要なのです。「教育を哲学する」することは本来の教育の形を改めて考えることになります。早期教育も本来の意味としてそれはどうあるべきなのかをしっかりと捉えていく必要があります。