赤ちゃんの能動性

現代においては環境要因による学習や体験といったものが大きな影響が出ると考えられることが多く、そのため早期教育においてもこの考えが強く反映されているのだろうということが分かります。しかし、生得的な要因も決して影響がないとは言えなく、赤ちゃん全員が同じ環境にあったからといって、必ず同じ結果が約束されるというわけでないのです。つまり、これは環境を中心とした体験や知識によって起きることではなく、生まれもった能力というものも影響があるということが見えてきます。

 

例えば、言語においてはどうでしょうか。よく言語は後天的な要素、つまり環境によって獲得されると考えられていますが、生後2か月、3ヶ月から1歳くらいまでの赤ちゃんに共通する「クーイング」(「アーアー」「ウーウー」などの発語)や「パパ」「ママ」といった最初の言語は、生得的なものといわれているそうです。確かに、こういった言葉は日本だけに限らず、海外においても全世界で共通する「言語」といえます。そして、これは「言葉の始まり」であるだけではなく、親を喜ばせ、庇護を受けるための赤ちゃんの戦略であると小西氏は言っています。つまり、こういった戦略が遺伝的にあるということを考えるとこういった言語の始まりはどの時代においても、皆同様に通る発達であるのかもしれません。

 

このこととは別に重要な生得的能力があると言います。それが「能動性」です。生後1ヶ月から3か月頃の赤ちゃんは、自分の顔を手で触ったり、指しゃぶりをしたりします。4か月頃になると手と手を合わせる仕草が、5,6か月になると自分の手を足にもっていく仕草や、グーにした手を口に無理やり入れようとする仕草が見られます。さらに、手で足を触ったり、足を口に入れたりするようになります。このような仕草は胎児期から始まってます。生後と同様、胎児は自分の顔(頭)、身体、手、そして足の順番で自分の体を触り、指しゃぶりをするのです。

 

この行動は何を意味しているのでしょうか。これは「口」や「足」を触覚器官となり、「自分の存在」を確かめているのだと小西氏は言っています。それと同じ頃、聴覚や視覚も発展させていきます。「舐める」「触る」行為は、赤ちゃんが身体で感じ取るものですが、「見る」「聞く」は赤ちゃんが自分から離れたものを認識する行為です。つまり、赤ちゃんは手や足を使って「自分の存在を確認」しているのと同時に、「目」や「耳」を使って他者や周囲の世界に興味を持ち、認識し、積極的に関わろうとしているのです。そして、発達とともに歩行が加わってくることによって、近くのものから遠くのものを認識するようになるのです。

 

このように、赤ちゃんは「自分がどのようなものか、周囲にはどんな世界が広がっているのか」を確認していきます。これが人間が社会的生き物といわれる所以であり、人間が社会性を獲得するための生得的な知恵ということになると小西氏は言っています。

 

赤ちゃんを見ていると周りをジッと見つめていたり、キョロキョロと顔を動かしている様子をよく見ます。これは赤ちゃんが外の世界を理解しようとしているからこそ起きる行動なのですね。いかに赤ちゃんが受け身である存在ではなく、能動的に世界に働きかけているのかということが観察していくとよくわかります。