「心の問題」と育児

小西氏はここ数年で医学や心理学で使われる専門用語が広く一般的に使われるようになった一方である違和感を感じていることも著書の中で言っています。たとえば、子どもの登園拒否について悩んでいるJさんは子どもの登園について、「先生、そんな『症状』がでたときには、どうすればいいのでしょうか」といってきたそうです。子どもの登校拒否を『症状』という言葉で表すというのに違和感をもったのです。「症状」というのは病気や疾患の状態を表すからです。他にも、子どもが泣きわめているのを見て、「パニック(障害)ですね」という専門家がいたそうです。しかし、パニックとは突発的な動悸やめまいなどの発作に襲われたり、再発への恐怖心にとらわれたりする精神障害の一つです。

 

このことについて、小西氏は「『甘え』と『自立』が芽生え始めた時期の子どもの登校拒否は、通常の発達の範囲内の行動です。『パニック(障害)』についても、その子の状態が『病気』や『異常』に相当するかどうかを判断するには十分な配慮が必要です」と言っています。そして、「最近、お母さんたちと話をしていると、子どもの『心の問題』に非常に関心が高く、また、『普通の発達の範囲』と『異常なこと』が混同しているように感じられます」と言っています。

 

このことは私も最近感じるところです。どうも、私たち自身がこういった言葉や知識を持っているがゆえに、「子どもそのもの」を見るというよりは、そういった障害であったり、子どもの傾向にばかり目がいってしまったりしているように感じます。いつの間にか、障害が軽くなることばかりに目がむかい、肝心のその子自身の気持ちに共感することや関わることが後回しになっているようにも感じます。しかし、これは「障害のことを知る必要はない」ということでもなければ、「障害児対応を否定」しているわけでもありません。あくまで、中心にはその子ども自身がいるということを意識していなければいけないのではないか。その子自身の存在を認めていないといけないのではないかと思うのです。

 

このことについて小西氏は「テレビや新聞、インターネットなどを通して、『心の問題』をテーマにした多くの情報が提供される時代です。医者や精神科医などの専門家が使う専門用語が、一般的な言葉として定着することも少なくありません。しかし、『心の問題』は子どもの成長発達の一つの側面であって、すべて出ないということを知っていてほしい」と言っています。

 

今の時代、、こういった専門用語に振り回されている現状があるのかもしれません。「○○はこういうものだから」と一緒くたに考えてしまうのはその子の存在を消してしまうことになりかねないと思います。まずは、1人の人格を持った人として子どもにあたることが大切なことなのだと思いますし、それは問題やハンデを抱えている子どもに限らず、どの子どもに対しても同様に関わっていくことが重要になってくるのだろうと思います。その一人一人の子どもたちに対して、どういったアプローチが必要なのかを見通し、考えていくことが援助につながっていくのだと思います。