テレビ視聴と子ども環境

テレビの影響の中に「子どもの言語能力は、一方的な視聴だけでは発達しないことを認識すべき」という指摘がありました。このことには小西氏も同様であるようです。テレビやビデオといった媒体を使って、「言葉」や「知識」を教えるための教材として利用している親が増えていると言っています。確かに、英語教育や日本語教育の教育番組も多くなってきていますし、そういったテレビ番組を見せることで触れるという機会は多くなってきていますね。しかし、その一方で、長時間の視聴や乳幼児期の視聴は、子どもたちの生活から「周囲との双方向のやりとり」「物に触る触覚」「自ら積極的にものを見る」という機会も奪っているのではないかと小西氏は言います。それと同時に、散歩や外遊び、絵本の読み聞かせなどの機会を通して、実際に物を見たり、触れたり、嗅いでみたりしながら、子ども自らが積極的に周囲と関わろうとする意欲を削がないためにも、長時間の視聴には注意が必要だと異言っています。

 

確かに、テレビをただ見せるというのは人との関わりを奪ってしまうというのは確かにあるかもしれません。確かに、テレビやビデオを見ていると子どもはジッとテレビを見ていますし、落ち着いて、1人で見ているので大人は助かります。しかし、その反面、そこで起こりうる関わりというものは少なくなってしまっているのは確かです。これは最近思うことすが、認定こども園の場合、乳児から入ってくる子どももいれば、3歳児から入ってくる子どもがいます。特に幼稚園から始まった認定こども園の場合、3歳から入ってくる子どもが多くいます。その子どもたちと乳児から入ってきた子どもたちでは、コミュニケーションの質が違っているということが見えてきます。乳児から入ってきた子どもたちは割と自分の言葉で自分の気持ちを訴える一方で、3歳以降から入ってきた子どもたちは他者が悟ってくれるまで待っている子どもがおおいように思います。3歳から入ってくる子どもがいけないとは思いませんが、やはり、子ども同士で関わるという機会は少なく、家庭でいる子どもほど、テレビやビデオに頼らざるを得ない状況というのは多いのではないかと感じます。

 

しかし、これはかなり難しい子ども環境に問題があるのではないかと思いますいくら、専門家が「テレビをやめて積極的に外遊びをしましょう」とか「自然の中で遊びましょう」といっても、実際には母親は進んでテレビを見せているわけではないのです。地域に出ても、同世代の子どもがいなかったり、昔と比べて自然が無くなっています。地域社会の形骸化とそれに伴う親の孤独が、外に「出られない」という状況を作り出しているのではないかと小西氏は言っています。そして、多くの親はテレビの長時間視聴が良くないことは自覚しており、見せる内容にも気を使っている。そのため、生活の中からテレビを排除するだけではなく、1日に長時間テレビを見せる親の背景に何があるのかを考えなければ、問題の根本的な解決には繋がらないのではないかというのです。

 

最近では、街に子どもたち、特に小さい子どもたちほど、遊んでいる姿が少なくなっています。小学生ですら、地域で遊んでいる姿を見るのは少なくなっています。そのうえ、今の時代は小学生ですら塾に行ったり、習い事をしたりと大人顔負けに忙しかったりします。そうして、外の世界で遊ばなければいけない時代において、子ども環境というものは非常に難しい時代であるのかもしれませんし、それだけ、家庭が孤立化しているという現状もあるのだろうと思います。そういった時代において、乳幼児施設が担うべき仕事というのはこういった子どもたちの環境を保障することから考えていかなければいけないのだろうと思います。